このブログもそろそろ文芸誌の感想専門みたいになってきているけれど、仕事の1日のハイライトはやっぱり通勤中の文芸誌読書なので、今日も感想から。
エッセイ評論連載ゾーンに入った。江崎文武さん『音のとびらを開けて』は毎回読後感がスッキリで好きだ。早稲田大学モダンジャズ同好会(通称ダンモ)での思い出が綴られていて、セッションの臨場感に溢れた文章は読んでいて気持ち良い。
続いて津村記久子さんの『ぐるぐるマップ』。前回に引き続き高知旅行の話で、そういえばスマ……もといピルペロを無くした話だったなと思い出す。ビルクル400は一度に飲み切ってはならない。新たな生活の知恵を手に入れた。
藤原麻里菜さん『余計なことで忙しい』。小型スマホを使ってる知人はいるが、そこを通り越してキッズスマホまで行っちゃうのがさすが。炎上を恐れる気持ちの裏には他者への不信感がある、というのはなんとなくわかる。なんにせよネットで他人を傷つける人が悪いんだけどね。
そういえばちくまプリマー新書から『ネットはなぜいつも揉めているのか』という本が出て、これも気になっている。
文學界に戻って王谷晶さんの『鑑賞する動物』。映画・舞台・展示のレビューなのだが、これも毎回読みやすくって好きだ。しかも今回は「シュルレアリスムと日本」展が取り上げられている! この展示は今地元に巡回してきていて、近いうちに行ってみようと思っていたところだった。見に行ける展示のことが書かれている、というのが嬉しい。気になったものをいつでも見に行ける都会の民が羨ましいぜ。そのために住みたいとは思わないけど……。
『扇情する考古学』は軍事遺産のあり方を問うテーマが多く、今回は長崎の神社にある軍人像が取り上げられている。最後のまとめで言及されている、軍国主義的なものと消費社会の関係というのは確かに自覚する必要がありそうだ。武器の擬人化や娯楽作品化。最近では即売会で購入したものを「戦利品」と呼ぶことに対する疑問も唱えられていた(私も戦利品と書いてしまっていたので、その投稿は消した)。私たちはそういったものを楽しみつつも、そこに無反省であってもいいのだろうか? 深刻になっていく世界情勢の中、倫理を問い直すことが求められている。
ここでエッセイゾーンが終わり、連載小説へ。
綿谷りささんの『激煌短命』は露骨に濡場から始まっていて電車で読むのをちょっと躊躇ってしまったけれど、まあ文芸誌の醸し出す硬そうな雰囲気と小さい文字からでは、誰にもそんなエロティックな場面が誌面上で踊っているなんて思われっこないので何食わぬ顔で読んでいた。と思ったら伏線回収が早すぎてびっくりした。
金原ひとみさんの『YABUNONAKA』もそろそろクライマックスに入っている気がする。これも連載途中から入っているので久々の人物名が出てくると「どういう関係だっけ…?」とあやふやになってしまうのだが、会話や地の文からなんとか読み取って場面を組み立てる。毎回視点人物が変わるのだが、誰に移入しようとしてもえぐられる感じが金原さんなんだなーと思う。
通勤中に読んだのはここまでだったのだが、もう新人小説月評と文學界図書室だけなので最後まで行ってしまおう。
今回は『すばる』から一作と『新潮』から二作。ページが削減され1ページずつになっている。1ページに収めて評論しないといけないの、かなり技術がいりそう。新潮はなぜか馬作品が二つ選ばれていて、しかも文學界図書室でも九段理江さんの『しをかくうま』が選ばれているので、この4ページぐらい謎にウマ味が高い。
ところで『しをかくうま』の表紙は有名なマイブリッジの連続写真である。馬が走るときに完全に宙に浮く瞬間はあるのか、というので賭けになったのを、世界初の連続写真撮影装置を使って撮影し証明したという一枚。これをドンと上下で2枚配置した装丁がすごく良い。読んでみたい。
図書室のもう一作は先月号でインタビューが載っていた上田岳弘さんの『K+ICO』。三宅香帆さんの書評、すごく読みやすい。ウーバーイーツ配達員とTikTokerが主人公というのにすごく同時代性を感じるので、こちらも気になる作品だった。
ということで五月号終わり!!
(「トゥルーイズム読書会」は相変わらず保留しているけど……そろそろいい加減に課題本の『思考の教室』を読破しなければ)
なんとか26日の文芸誌チャレンジ報告会に間に合った。けれど正直最初の方の文學界新人賞とか忘れちゃってるから、当日までにもう一度読み返さねば……。群像のルシア・ベルリンとか小説新潮のR18文学賞も気になるし。エンドレス文芸誌。助けて。