10/1から始めた読書日記の続き。
1週間ごとに公開していったらたぶん全52回ぐらいになると思うので、ナンバリングしてみた。10/2から来年の9/30なら52週であってるよね?
10/2
休みだったが、家族の運転手仕事があり午前中はほぼずっと車に。病院待ちの時間が長かったので、持ってきていた『文學界10月号』を手に取った。文學界は昨年12月から読み始めて10冊目。知り合いと一緒に「一年間読むチャレンジ」をしているおかげで、なんとか欠かさずにここまで読んでこれた。それまで文芸誌なんて全然読んだことがなかったけれど、読み始めるとこれが結構面白い。
特に今日読み始めた円城塔×福永信×澤西祐典『琵琶湖を読む、琵琶湖を書く』の鼎談には何度もニヤけてしまう。
この三名、今までに「個別の土地をテーマにした作品を読んで、自分たちでも書く」というめっちゃ楽しい企画を6回もやってきたとか。それで今回は琵琶湖にやってきたというわけだ。ちなみに三名が書いた作品は青空文庫に収録されているらしい。「現役の作家でも一度書籍に載った作品であれば青空文庫に入れられる」というの初めて知った。
最初にご当地小説は需要があるという話が出てきて、漱石の『坊ちゃん』は道後を結構貶してるのに現地では愛されていたり、梶井基次郎の『城のある街にて』はマイナーだけど松阪では推されている。だから我々も書こう!(いつか団子になるかも)という動機なのが面白い。
そこから「読む」パートでは、青空文庫で「琵琶湖」と検索して出てきた作品が色々紹介されている。ほとんどが大津付近を舞台にした作品だという話もあって興味深い。湖北も結構いい場所なんだけどな〜。
佐藤垢石、吉川英治、中里介山は毎回出てくるという。たぶん西村京太郎とかも収録されたらどこでも出てくるな。
後半は「書く」パート。三名それぞれが琵琶湖をテーマに書いた短編とその制作過程が掲載されている。「伊賀に生まれた。」から始まる円城さんの作品はまさかの琵琶湖の一人称視点だった。琵琶湖が電車に乗って旅するってどういうことやねん。
10/3
河出から出ている「14歳の世渡り術」シリーズにはなかなか良い本が多いと気づいて、度々手にとっている。今は『10代からの文章レッスン』をパラパラめくっていたが、その中で文学研究者の頭木弘樹さんが「言語隠蔽」という現象について書いている。
事件の犯人を目撃した人に、その人相を言葉で説明させてから写真を選ばせると、正しい犯人を選べる確率が下がるという。同じようにワインを飲んで感想を述べた後に複数の中から同じワインを選ばせると、感想を言わないより正答率が下がる。ゴルファーに自分のショットを説明させると、成績が下がる……。
つまり、言葉にすることで特定の部分を強化学習してしまい、それ以外が抜け落ちてしまうという。言語化のダークサイドである。
頭木さんがここで言わんとしているのは、型にはまった表現を安直に使うと大切なことが抜け落ちちゃうよ、ということだと思うが——とまとめにかかった時点ですでに何かが抜け落ちている、ということだ。つらい。
要するに…とか、〇〇系の…とか、自分の知識の範疇で物事をカテゴライズしてしまうことは多々ある。誰でも大なり小なりやってることだとは思うが、そもそもの知識の引き出しが小さければ、カテゴリの当てはめ方つまり理解の仕方もざっくばらんになってしまう。
やっぱ読みたい本だけ読んで、見たいものだけ見てちゃダメなんだなあ。
(と、これまた一般論的な結論にしか辿り着けないところ)
一箱に向けて積読も消化中。南陀楼さん編の『中央線小説傑作選』を読んでいる。これはたぶん持っていったら売れる本なので、それまでに読了したい。
収録されている昭和の作家たち。以前なら絶対に手に取らなかったが、「百年文庫」シリーズでだいぶ慣れてきたので読める。読めるぞ。
原民喜の『心願の国』まで読んだけれど、これ絶対遺書じゃん。
枯葉の描写、地球や星の描写などが美しい。自分には家族を失う哀しみも原爆の壮絶さもわからないけれど、この美しさの中にある深い悲しみとナルシスティックな感じはとても惹かれてしまう。だから危ない。
10/4
バイトが比較的忙しく、あまり読書が進まなかった。引き続き『中央線』を読む。尾辻克彦が赤瀬川原平のペンネームということを初めて知った。
家のさまざまな設備が物理的に分散している話。部屋は国分寺にあるのに風呂は高円寺にある。だから電車に乗って行かねばならないという。遠すぎやろ。それはもはや仕事終わりのひとっ風呂とかいうレベルじゃない。
小学生の一人娘が廊下が欲しいというから、不動産屋に廊下の物件を見に行く。希望する価格帯では我孫子にしかないという。廊下が廊下単体の廊下、それはもはや廊下なのか?
文學界は特集「インターネットとアーカイブ」に入り、phaさんのエッセイまで読む。かつては「リアルで言えないことはネットに書く」だったのが今は「ネットで言えないことはリアルで」に逆転してしまった、という話が面白い。人が、情報が、お金の動きが増えすぎて窮屈になってしまったネットよりも、文フリとかで日記や雑文を売る方が気楽だという感覚。とてもわかる。自分がこうしてぐだぐだとまわりくどい文章を書くのも、長文の方が読む人も少なくて炎上しにくいんじゃないか、みたいな部分があるかもしれない。めちゃくちゃ予防線を張っている。
10/5
危うく書き忘れるところだった。今日は『中央線』『文學界』ともに読了。
『中央線』は全体的に私小説よりのものが多かった(舞台が具体的だからか?)。最後の松本清張『新開地の事件』がいちばん小説らしさを感じた。ほか印象に残ったのは黒井千次『たまらん坂』。
後書きで中央線がそのまま中央本線になって名古屋まで続いていると知る。諏訪の方までぐわーって上がって山梨からまた下がって東京で真っ直ぐになって……と、辿ってみるとなかなか面白い路線だ。いつか全部乗ってみたいな。二日ぐらいかかりそう。
『文學界』は特集の続きから。「あの人のブックマーク」ということで、最果タヒさんや品田遊さんなどあまり文芸誌のイメージがない方も寄稿している。しかしページ半分をサイト画像で埋めるのは露骨な誌面稼ぎに思えなくもないが……。
連載「身体を記す」は大田ステファニー歓人さん。なんとなく軽いイメージがあったのだけれど(失礼)、確かに文体は砕けているけれどめちゃくちゃ真摯な人だった。ガザの虐殺で殺された子どもの動画と、ご自身のお子さんを通して考える身体性。そして男性性の特権について。今表現をする人が避けては通れないテーマに正面から向き合っている。
頭木弘樹さん『痛いところから見えるもの』は腸閉塞の痛みについて。不謹慎ながら笑ってしまった箇所もあって、まさに「アップでみると悲劇、引きでみると喜劇」という感じだ。
他にもムダづくりの藤原麻里菜さんが最終回だったり、新人小説月評での、同じ作品に対する切り取り方の違いが面白かったり。今月も満足の読後感でした。
明後日にはもう11月号が出ちゃうんだけど……。
10/6
二種間ぐらいサボっていた掃除と片付けと買い物をした。合間にブックオフによって、絵本コーナーで五味太郎の『秋』を立ち読み。めちゃくちゃシンプルだけど笑ってしまう。本文が連絡帳の表紙みたいな格子状の凹凸がある紙に印刷されていておしゃれだ。
河崎一箱に出す本を整理。読み終わってから売ろうと思っている本がめっちゃあるけれど、たぶん読めないぞ……。
夜はニネンノハコでZINE読書会をやる。先々週ぐらいに思いついて告知だったので誰も来てくれないかと思っていたけれど、奈良帰りの知人が来て貴重なZINEを見せてくれた。最近は独立系書店の取り扱いも増えてきたけれど、やはりプロか有名どころのZINEが多い。文フリとかイベントでしか手に入らないZINEこそ、現場で買うべきなのだ。
自分は五月の東京文フリで買った大量のZINEを持ち込んだけれど、正直ほとんど読めていない。薄いからすぐに読めるやろ〜と後回しにして埋もれていくあれ、ほんと良くない。少しずつ手をつけていこうと、まずは百万年書房の北尾さんによる『幸せってこういうことだと思う日記』を読んだ。
最近はクオリティが底上げされすぎてZINEならではの自由さが減っているんじゃないか、という思いで、A4コピー紙モノクロ印刷をタイトル直書きOPP袋に入れた手作り感溢れる作りにしたという。これはこれでとてもセンスがいい。
4月から5月に書かれた1ヶ月分の日記には、自身や家族の入退院、仕事でのやり取り、日々の食事や音楽などがびっしり書かれている。特に仕事の多忙さについてはすごい。翻訳本の売り上げをエージェント(おそらく原著の権利を持っている)に報告したり、販促用POPをデザイナーに発注して入稿したり、トークイベント用の著者近影を取り寄せたり……と。一人出版社ってこんなに大変なのか。しかもその合間で著者や校正と赤入れ原稿をやり取りし、連載の原稿データをチェックし、書店とイベントの打ち合わせをし、自社サイトからの販売品を発送し……。一日の作業量と読書量が半端じゃない。これで自分の読みたい本にまで目を通しているのだから、どれだけのスピードで読んでいるのだろうか?(しかも原稿チェックはただ読めばいいわけじゃないのだし)
たぶんこういうめちゃくちゃ仕事してる人は、めちゃくちゃ仕事してるからめちゃくちゃ仕事できるんだと思う。一度どこかでそのループに入ることで、ガンガン回していけるんじゃないかな。自分はそれが怖いので、日々頑張らずに生きている。(頑張っても大したポテンシャルも出ないだろうが)
10/7
「この本には自分のことが書いてある!」という感想は大袈裟なんじゃないかと思っていたけれど、出会ってしまった。
色々な作家に手っ取り早く触れるために読んでいる『百年文庫』シリーズの14巻。「本」というテーマで選ばれた3つの短編の最初の一篇。
島木健作『煙』である。
大きな挫折を経験した主人公は、歳の近い叔父のもとに居候している。(ここは著者自身の体験とするならば、思想弾圧で収容されていたということになるが、作中では「病んで、疲れた」としか書かれていない)
叔父は古本屋を営んでおり、主人公はたびたび彼について古本組合の市に行っていた。
市では自らよりも年下の、修行中の小僧たちがテキパキと作業をし、自信を持って競りに参加している。そんな彼らと比べて自分は知識も体力もない……。
ある日、叔父は用事で出かけ、主人公が一人で市へと出向くことになる。張り切って落札した洋書だったが、相場よりかなり高い値で買ってしまったために同業者から「素人の強気にはあきれるね」などと陰口を叩かれる。しかも持って帰って落丁を発見したため組合に戻って報告したら、故意に破ったものと疑われ、余計に情けない気持ちに苛まれれる。
あああああ!
出来事の絶妙なしんどさに覚えがありすぎる。自分より若くその道に入った人たちの活躍を見て感じる、何とも言えない情けなさ。叔父さんからお金を預かって仕入れに行ったのに、めちゃくちゃ損をしてしまった申し訳なさ。
主人公にうっすらと影を落としている挫折について考える。かつては理想に燃え、信じた道を一直線に進んできた。それが今ではぷっつりと切れてしまい、「おれはどうやって生きて行ったらいいものだろう?」という問いに苦しんでいる。
生きているだけでありがたい。だから、善良な一人の市民として平凡に生きようとする。でもあの頃の理想に後ろ髪を引かれる……。
この「市民生活」をちょっと下に見てる感じとかね。市場で感じていた情けなさも、こういう驕りから出ているというのを主人公は自覚してるんだけれど、なかなか変われないんだ。
島木健作、感情を掬い上げる描写力がすごい。
胃がキリキリする小説でした。
お昼休みに文學界11月号を買った。めちゃくちゃ渋い茶色の表紙。攻めてるなあ。好き。
文チャレもあと1冊になってしまった。