別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

読書日記一年分予定(7/52)

10月から続けている日記の続き。
体調があまり安定せず、読むスピードも落ちてきた週。

前回
himasogai.hateblo.jp


11/12

11月も中旬というのに、ぬるい。先日までの寒さはなんだったんだという暖の戻りである。未だ喉と鼻をやられているので、快適な気候であってくれるのはありがたいが。
気温はそんな感じだけれど、紅葉はじんわり進んでいた。街路樹の上の方から下の方へと紅から緑のグラデーションが綺麗だ。いつもこんな感じで紅葉していたっけ? 気づいたら真っ赤になってるイメージしかないので、ちょっと新鮮。これも気温の緩やかな変化によるものだろうか?

仕事で一日中運転していたので日中は読めず。帰ってから寝る前に文學界を少し読み進める。
松尾スズキ『家々、家々家々』は上京→就職→退職と来て今回は下北沢時代の話。漫画を志してガロに持ち込むも「ストーリーがよくわかんない」と言われ挫折。その代わりに学生時代打ち込んでいた芝居への道を本気で考え始めたという。劇団とかサブカル系の固有名詞がたくさん出てくるので、この辺は芝居好きの知人にぜひ読んでもらいたい。

続いて津野青嵐『「ファット」な身体』は母の死を経ての生活の変化と祖母の介護の話だが、暗い感じはない。SNSに津野さんが作った衣装をおばあさまが着ている写真が掲載されていたが、本当に可愛らしい感じだった。長生きしてほしいなあ。



11/13

今日も家庭内ドライバーをしつつ、待機時間に文學界を開く。四方田犬彦『零落の賦』は毎度実在する人物やフィクションの零落を取り上げているが、今回は30ページ以上もある大作だ。テーマはずばり溝口健二。溝口監督の作品に通底する男女の凋落と、女性が自らを犠牲にして男性を元の地位へと送り返してゆく構造について、代表作それぞれのあらすじをたどりながら紹介している。
中でも最も評価されているのが「残菊物語」で、原作小説や新派劇版との相違を細かく見つつ、リアリストとしての溝口監督がいかに演出を行なっているかが分析されている。

いつも思うけれど、四方田さんはあらすじをかいつまんで説明するのが非常に上手い。歌舞伎とか説経節とか全然知らなくてもなんとなくイメージできるぐらいには丁寧に書いてくれている。前回出てきた話のあらすじもおさらいしてくれるのがありがたい。


11/14

『零落の賦』をようやく読了。圧巻だった。今までに読んだ映画評論の中で一番好きかも、というぐらい。
大部分があらすじと場面の説明なのだけれど、おそらく前情報なしで映画を観たら全然わからなさそうだし退屈に感じてしまいそうなところを細かく解説してくれていて、なんて面白そうなんだと思わせてくれる。これはもう、観なきゃならん。

ということで、「残菊物語」を観た。
戦前の映画なので思ったよりも音質が悪い。正直メインのセリフ以外は何言ってるのかわからないところが多々ある。しかしワンショットで撮り続ける迫力はすごいし、それを演じきる役者もすごい。これが昭和日本映画か。カメラがぐいーっと移動していくと、建物の間取りとか部屋のつながりも分かりやすくて見ていて楽しい。
旅回りに凋落した菊之助のやさぐれ具合が想像以上だった。お徳が不憫すぎるぜ。

歌舞伎の場面が三度挿入されていて、これも四方田さんの解説を読んでなければ全然わからなかっただろうなあと思う。初めてちゃんと歌舞伎見たわ。やっぱりこういう芸能に触れるためには、先に知識が必要なんだなあと思った。
四方田さんが指摘していた女相撲と墨染の呼応関係なんかは普通に見ていたら絶対思い浮かばない。評論家ってすごいなぁ。


11/15

雨が降りそうで降らない連日。でも駅に停めている原付のシートは濡れているので、その辺では降ってたのだろう。
文學界を読み進める。王谷晶『鑑賞する動物』でクラブゼロが取り上げられている。どこかで予告編だけ見たけど、確かに画面は綺麗だし微妙にぞわぞわしそうで気になる。
ただ、当たり前に地元でやるような作品じゃない。

平民金子『めしとまち』には沖縄の謎ローカルフード「オニササ」が。でかいおにぎりの上にささみフライが乗ってる。カロリー高そう。

井戸川射子『舞う砂も道の実り』は先月から始まった連載小説。ようやく井戸川さんの文体に慣れてきたので、初回よりは読みやすかった。
年齢の異なる三人が旅する話だが、世界観はぼんやりとしか描かれていないし(現代や日本ではない、異世界風な感じではある)、旅の目的もふんわりしている。主に書かれているのは三人それぞれの感情と意識の流れで、今回は年長であるダエが感じる閉経の安堵感やイフンが感じる子どもらしさへの反発など、割と誰しもが日常的に感じるような感覚が細かく描写されている。旅なんだけど主題は日常的な感覚、というのが独特な作品だ。

又吉直樹『生きとるわ』は、かつていじめてきた先輩に金を無心しに行くというなかなか緊張感のある回だった。酒場で先輩がかつてのことを謝ってきて、抱えていた想いなんかを語り始める。いい話になりそうなんだけど、でも金は貸してくれず「いや、貸せよ。貸してくれよ。頼むわ」で終わるという。この絶妙なボケ具合はさすが。
それにしてもさまざまな登場人物の事情が書かれていく中で、横井だけが事情ありそうに見えて全部嘘というどうしょうもなさ。これは一体どうなるんだ。たぶん年内には終わらんけど……。

新人小説月評、今回は文學界から3作が選ばれており、どれも読んでいたので嬉しい。なんとなく感じていることが見事に言語化されていく気持ちよさ。
先月の文チャレ報告会でも話したけれど、宮内悠介さんがめっちゃ書きまくっているので文學界の『暗号の子』と群像の『宇宙日本煉瓦小史』がどっちも取り上げられているという凄さ。しかし評者によって評価した作品が分かれているのも面白い。
トータルとして高評価だったのは永方佑樹『字滑り』。後半のアザミの体験は「母語獲得」だとか、「言語の物質性や翻訳(不可能性)」だとか、読み方としてすごく参考になる。これは再読せねば。

ということで文學界11月号は読了。一年の中でみると割と地味な巻ではあるものの、なかなか読み応えのある作品が多かった。特に創作系が良かったかな。


11/16

チープカシオの電池が切れた。秒針がこまめにビクビクして、そこから進まない状態になった。腕時計の電池切れってこんなんなんだな。
調べたらオープナーという工具で裏蓋をこじ開ければ電池交換できるということだったので帰りに百均へ寄ったけどなかった。ホムセンにもなかった。「百均にもある」という情報を見て行って実際にあったことがほぼない。大体数年前に廃止されている。なんでや。
しょうがないからAmazonで買うかと思い、家に帰って時計をよくよく見たらネジ蓋で、PCの裏蓋を開けるときに買ったほっそいドライバーを使ったら普通に開いた。電池とピンセットだけでも買ってきとけば良かった。

くどうれいん『日記の練習』を読み始める。先に『コーヒーにミルクを溶かすような愛』を読んでいたので、ところどころ知ってる話が出てくる。この日記があのエッセイになるのか〜と考えると面白い。発売記念対談も聞いたので、文量が少なかったりするところは嫌なことがあったんだな〜となんとなく察せられる。

『文藝 秋号』より安堂ホセ『DTOPIA』を読了。ディートピアかと思ったらデートピアだった。
以前に読んだ『ジャクソンひとり』は正直あまりピンと来なかったのだが(読んだころほとんど何も知らなかったのもある)、今作はめちゃくちゃ研ぎ澄まされていて、アホな私でもそのヤバさが感じられた。

フランス領ポリネシアのボラ・ボラ島で撮影された恋愛リアリティショー「デートピア」。世界各地から集められた10人の男が一人の「ミス・ユニバース」を巡って争うというその番組について「わたし」が語っているという状況から物語は始まるのだが、中盤で「わたし」の正体が明かされ、日本代表Mr.東京との過去編が始まってからがもう壮絶。
ミックスルーツ、ジェンダー、複合マイノリティ、資本主義、移民、ポリコレ、暴力、植民地……もうここに2020年代の全てが詰まっているのではないかと思えるぐらいの密度が押し寄せてくる。よく一つの作品にまとめられたなぁと思う。

正直、苦手か得意かでいうと苦手だ。さっぱりと書かれているけれどエグめの描写もあるし、ファッションとかカルチャー的な部分はあまり分からないし。
でも一方で、こういう作品を読む必要があるということを痛烈に感じる。「最近のカルチャーはよう分からん」とシャットアウトしてしまうのは、同時に価値観のアップデートの契機も遠ざけてしまうということだからだ。苦手でも、分からんでも、読んだり見たりすることはできる。(あくまで遠巻きに眺めるだけだから、ぬるいと言われればどうしようもないが…)
だから文芸誌を読む。

デートピア、芥川候補に入ってこないかな。来そうではある。


11/17

狭い駐車場で、半分ぐらい開けたトランクから顔を出そうとして思いっきりドアに後頭部をぶつけ、その反動で前にもガンといってしまい、左の眉毛の下ぐらいをがっつり汚してしまった。前にも車から出るときに目の近くをやって、血が出た状態で人と会って引かれたことがある。もうほんと車に近寄らないほうがいい人間だと思う。
ちなみに今日絆創膏をくれた方にはちょっとウケてた。

そんな感じで出来立てほやほやの怪我と共に、予定通り海辺で焚き火をしてきた。焚き火台を買ったという知人が海の近くに住んでいて、たびたび焚き火会を開催しているのだった。
以前にスズキナオのエッセイで河原焚き火を見てから非常に興味があったので、実際に体験できたのはとても嬉しかった。着火剤の松ぼっくりや葉っぱを探しながら、ゆるキャン気分も少し。
陽が落ちる17時ごろまでは普通に暑かったが、暗くなってからはちょうど良い暖かさだった。マシュマロとバームクーヘンを人生で一番焼いた。


『日記の練習』の7月と8月を読む。工藤は逆から読むと「雨読」と書いてあって、名前に対するそういう愛着の持ち方もあるのか、と思った。


11/18

遅く寝たので眠かった。
仕事で一日中移動の日。一緒に行動していたお仕事仲間の人が、おすすめの天ぷら屋に連れて行ってくれた。その人は外のメニュー写真を見て「これは詐欺やと思う」と言っていたが、実際に目の前にやってきたスペシャル天ぷら丼を見てびっくりした。多い。ここ3ヶ月ぐらいで一番量を食べた気がするし、人生で5本の指に入るぐらいの1,100円だった。

せっかく遠くに来たのだからと、某独立系書店へ寄る。よく見ると入り口に「緊急の用事で外出中」と書いてあったので、諦めるかな〜と思って階段を降りていたら駆け足で登っていく人とすれ違って、あ、もしやと思って戻ったら店主さんだった。ちょっと気まずい。
いつ来ても海外文学がめちゃくちゃ充実している。でも、どこから手を出せばいいのか分からず、毎度見送ってしまう。
古本コーナーにあった乗代さんなどを買う。

ついでに徒歩10分ぐらいのところのブックオフも行った。入ってすぐのところに均一本のワゴンがドン!ドン!と2つあって、地元の店舗ではまあまあな値で売られている岩波とか学術文庫で埋め尽くされている。文化格差よ。
吉本隆明『書物の解体学』などを買った。

数時間かけて帰宅。遠いところに行くのはシンプルに疲れる。やっぱ行き帰りにぼやぼやしていられる電車移動の方が良いなあ。

『日記の練習』の続きを読む。トークショーを聞いて想像していたよりもネガティブなことも割と書かれている。エッセイにも悲しいことを書かれていることもあるけれど、それはもうちょっと咀嚼できた物事なのだと思う。やっぱり日記だから、生っぽさがある(もちろんあとで修正を加えたり、ここに書けないこともたくさんあったりすると思うけれど)。

今まで何度もブログを作っては消していたというのがめっちゃわかる。なんか変えたくなっちゃうんだよなあ。
ただ最近は、10年もののブログを抱える知人たちへの憧れもあって、なるべく続けられるものをやりたいなあと思っている。