別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

読書日記一年分予定(9/52)

10月からやっている読書とか身辺のちょっとした記録です。
最近忙しいのか暇なのかよくわからない。

先週ぶん
himasogai.hateblo.jp

11/26

あめ。あめあめ。思ったほど激しくなかったけれど、雨の日はちょっとずんもり。

今週も引き続き『ユリイカ臨時増刊号 〈総特集〉92年目の谷川俊太郎』を読んでいく。音声学や哲学的な評論はけっこう手強い。何言ってるのか全然わからん、という箇所がいくつもある。ぼんやりと流しつつ読む。
加藤邦彦『谷川俊太郎の詩をどうやって読めばいいか』は文字通り谷川俊太郎の作品が何で読めるのかに関する文章。そのテーマでこれだけ書けるというのが谷川俊太郎の凄さだ。
薄々思ってたけど、やっぱり全集は難しいだろう、と書かれている。あまりにもあらゆる媒体に発表されすぎている。しかも選集を作る際に書き下ろしが追加されていたり、後年に手を入れて微妙に表記揺れしている作品もあるとかで、途方もなさすぎる。

奥村門土さん、矢萩多聞さん、ゆめのゆきさんの読みやすいエッセイがあり、そこからは比較的読みやすい絵本論とラジオ、テレビドラマの観点からの文章。本当に総特集だ。
というか思ったよりテレビドラマ書いてるんだな。


11/27

寝足りなかったので三度寝してお昼前に起きる。ご飯を食べて、散髪へ。あまり伸びていないつもりでも、切ったあとはサッパリする。基本的に身だしなみを整えるのが面倒なタイプなので、お手入れなしで保てる状態が一番良い。すぐに乾くし。

午後は「文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ」の準備に『文學界11月号』を読み返す。もう全然覚えていないんだけれど、この日記をつけているおかげで、そんな話だったなーと思い出せてありがたい。『泥の香り』あたりはもう一度しっかり読み返したい。
話すことも一通り決めたので、続いてユリイカへ。谷川俊太郎最果タヒの比較とか、谷川俊太郎の愛国観とか色々面白い観点の論が続くなかで、山田亮太『ゲゲゲの俊太郎 あるいは闇の谷川俊太郎の錬成』は飛び抜けて怪奇だ。これは評論じゃなくて作品なのだけれど、さまざまな谷川作品から「死者や死んでなお生きるもの、不死なるものにまつわる詩句」を抜き出して繋げ、それをかっぱ風にリミックスし、最終的には意味が取れない文言にまで崩してしまうという試み。そこだけ抜き出すとこんなに昏くなるのか、という言葉が意外と谷川作品にもあるのだった。

夜はいつものメンバーで文チャレ。毎度話しすぎてしまうのを後から反省する。でもそれぐらい話せてしまうほど面白いのが文芸誌。


「文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ(文チャレ)」の様子はこちら
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11/28

教室で机を向かい合わせてペアを作れと言われているのに、なぜか永遠にペアができない夢を見た。やめろよぅ……。
なんとなく寝たり起きたりしていたのを覚えている。最近恐ろしく眠りが浅い。体がもたなくなりそう。

今月も文チャレが終わってひと段落したので、とりあえずユリイカは一旦置いといて柴崎友香『あらゆることは今起こる』を読む。医学書院のケアをひらくシリーズの話題作。最近ケアひらシリーズも軽めの本が増えてきて読みやすい。
ADHDの特性として「多動」が言われるけど、柴崎さんの場合は頭の中だけ考えが止まらなくて、身体がそれに追いつかないという感じらしい。それ、なんかすごい身に覚えがある。自分も急に情報やタスクがたくさん来たらバグるタイプだ。なぜか優先順位低い方からやり始めたり、全部やめて寝るーー!ってなったりする。前からそうだけど最近は特に悪化してる。睡眠不足で余計にダメになってるのかもしれない。
それで今日もあたふたと仕事をして、想定外のこともいろいろあって。なんかもう疲れちゃってタイムラインをぼーっと見てたら新たなる文芸誌『GOAT』が小学館から出ていることを知って帰りしに本屋へ寄る。
ゴートだけに510円ということで、そんならお財布的にもイケるし、文チャレの一年が終わる前に発売というところに運命的なものも感じるし、その値段ならまあ『スピン』ぐらいの分量で軽く読めるかな〜なんつって面陳されていたものを手に取って……え? なにこれ?? あづいいいいいい!!!! 『文藝』の厚さじゃないか!! 恐る恐る値段を見たらやっぱり510円(税込)で、戦慄しながらレジへ持っていった。重さもなかなかやん。昨日まで読んでたユリイカとええ勝負やん。どういうことなの……?
しかも執筆陣にチョン・セランとかパク・ソルメとか韓国作家の名もあるんだわ。うーん、小学館恐るべし。

すでに転売で倍ぐらいになってるの、ほんとさぁ……。紙で体感して欲しいけど、転売で買うぐらいならKindle版を買ってください。

11/29

太陽が低い秋の朝、川は青々としている。
川の上を光が逃げていく。
そんなふうに、電車の窓から見えるものや自分の体内の感覚を、頭の中で言葉にしてみる。
「高速音読が記憶力にいい」という投稿を見て、確かにそういう普段使わないところを刺激するような何かは大切だよなと思ったのだった。それに昨日も今日もヘッドホンを忘れてきたので、音楽に意識を持っていかれていない。音楽は聞き流しているようで、意外と脳のリソースを使っているのかもしれない。もちろん曲を聴いていなくても世界の音は聞こえているわけで、そこにどんな違いがあるのかは分からないが。

そんなことを考えながら『あらゆることは今起こる』の続きを読む。片付けができない話がすごいわかる〜。これは自分の性格だけじゃなくて家族も壊滅的に片付け掃除ができないので、環境要因も大きそう。家の中探したらカビ案件はあちらこちらにありそう。というか、ある。でも怖いので探さない。
報酬系の話の中でincentive の語源は「励ましの歌を歌う」だったというのが出てきて、

私の脳は、励ましの歌を歌ってくれへんのやわ。励ましの歌、必要なんやわー
柴崎友香『あらゆることは今起こる』P86)

それ。


先日読んでたユリイカ筒井康隆の『短編小説講義』の話が出てて、そういえば持ってたよな〜と棚や収納ボックスを片っ端から探して見つけてぺらぺらと読んでみる。短編の書き方を教授するのではなく、実際の短編をいくつか分析する内容だ。ディケンズもホフマンもトーマス・マンも読んでないけど唯一ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』だけは百年文庫で読んでたので、そんな話だったな〜と思い出しつつ読んだ。この小説は二十六人の男たちがまとめて「私たち」という人称になっているのだが、筒井さんもその一人称複数という方式を評価している。そういえば小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』もこういう形式だったし、村田沙耶香の何らかの作品にもあった気がするし、『悪童日記』なんかも二人だけどこういう感じだ。その先駆け的な作品がゴーリキーだったんだな。


11/30

ブラックフライデーのセールが始まっていて、とりあえずSSDをカートに入れる。写真を保存するのに二年で一台ぐらい使っているが、今使っているやつがどうも接続が悪く、調子が良くないと50MBの転送に30分以上かかったりする。内蔵用をケースに入れて使ってるので不安でもある。いいかげんちゃんとしたポータブルのものを買う。最近のはUSBサイズで1TBとかもあるけれど、絶対無くすので普通のサイズ感のもので。

柴崎さんの続きを電車で読む。
十年ぐらいチャレンジし続けたけれどパクチーがどうしても食べられず、でも周りはそんなこと知らないからすすめてくるみたいなことが書かれていて、食の圧力は大変だよなあと思う。確か頭木さんもケアひらシリーズでそういうこと書いてたよね。
ぼんやりと世の中には「努力でなんとかなりそう」ゾーンみたいなのがあって、そこに入ってると「食わず嫌いだ」とか「本当の〇〇を知らないんだ」みたいなことを言われがち。自分の物差しを人に当てはめてしまうのはほんと気をつけなければ。


12/1

あの舞台もあの展示もあのマルシェも行きたかった。でも行かなかった。あまりにも選択肢が多すぎると疲れてしまい、どれも選ばないを選びがちなのだ。
でも最近ちょっと色々ありすぎているので、程よく休むのも大切かもしれない。結局全ては自分のことなのだから。

2月の舞台のチケットを買って、図書館に(読めなかった)本を返して、放置してホコリまみれになってたズボンを洗い、部屋を片付ける。たまにはちゃんと生活もやらないといけない。
今日はとてもぽかぽかしている日だったので、3時ごろにふらっと散歩に行った。やや傾き始めた太陽がススキの輪郭をふわっと光らせていて、晩秋の午後らしさを存分に感じられた。最近まったく歩けていなかったのだが、やっぱり歩かないとダメだなと思う。生き物としてダメになってしまう。
散歩しているときの、ただ歩くためだけに歩いていて、あらゆる予定や要請から宙に浮いている感じが好きだ。

『あらゆることは今起きる』を読み進める。読みやすいのに、なんか意外と時間がかかる。一つ一つに深く共感しながら読んでいるからだろうか?

「それぐらい誰にでもあるからだいじょうぶ」というのは、つらいことや困っていることをなかったことにしてしまう言葉だと思う。
(P157)

そうか、自分は割とそう言われると慰められるタイプなんだけれど、そもそもこの言葉自体が「みんなと同じのが良いこと」みたいな価値観を内包しているのか。安易に言わないよう気をつけねば。


12/2

隙間時間を見つけて ZINEのレイアウトを探り探りやっている。今月末のイベントで頒布する予定の合同アンソロジーなのだが、自分含め割とみんなギリギリタイプなので原稿が集まらない。まあそんな急がなくてもいいか〜と思いつつ一応印刷所のスケジュールを見てみると、イベント前日納期を希望するなら6日までに入稿しなければならない……! のんびりしてる場合じゃなかった。
しかも今回作ろうとしているのが規格外サイズのものなので、テンプレートが使えずに一から誌面をレイアウトしなければならない。なぜこんな面倒なことをやってしまったのか。フォントサイズ、行間、天地の余白、ノンブルの位置……みんな一体どうやってZINEのレイアウトを作っているんだ。全然わからん。

というふうにいい感じで追い詰められてきつつある12月。図書館本、文芸誌、イベント準備など、気がついたらいろんなものがのしかかってきていてつらい。来年はもう何もしないでいたい。でもやっちゃうんだろうな。

『あらゆることは今起きる』はついにタイトル回収がされて熱かった。柴崎さんの感じている時間感覚についての話の中で引用されていた「八岐の園」(ボルヘス『伝奇集』)という文章かららしい。ただ個人的にはあまりピンと来なかった。そもそもあまり時間を意識して生きてこなかった気がするのだが、それはやっぱり「一つの時間軸」みたいな見方をしているということなのかな。(ガルシア=マルケスはまだ読んでいないけど、たぶんかなり混乱すると思う)

一方で、電車を乗り違えてめちゃくちゃパニックになるのはすごいわかる。まず最初に「まあ大丈夫やろ」であまり確認せずに間違えてしまって、しばらくしてからちょっと不安にあって調べたら間違っていて、うあああどうしよどうしよ、からの悪手ばかり選んでしまうやつ。
この「大丈夫やろ」で何度失敗したかわからないのに、なぜか突っ走ってしまうんだよな。


寝る前まで読んでなんとか読了。割と章ごとに色々な話が書かれていたので全体的な感想みたいなのは言葉にしにくいけれど、最後の章の最後の文には強く同意する。

「休めるようになりたい」
(P272)