自分は一歩も動いていないのに、日は長くなり気温は上がり、季節はどんどん進んでいく。
そんなわけでこの日記ももう24週目に入る。

3/11
7時に家を出て22時過ぎに帰るまでほぼずっと車移動をしていた一日。雨の平日ほど車で出掛けたくないタイミングはない。国道は混雑するし、窓はすぐ曇るし、屋根のある駐車場は満車だし……。
東名阪の下りが工事中と知らず、ものすごい渋滞に巻き込まれてしまった。なんかもう疲れすぎたので、BOOKOFFで6冊虚無買いしてしまった。(積読:837冊)
日付はもう変わってしまったが、寝る前に少しだけ短いものを読んでおこうと思い、串田孫一『ものの考え方』を開く。「疑いについて」「幸福について」「運命について」などトピックごとに短い文章が載っているので、読みやすい本だと思う。本当は一週間ぐらいかけて章ごとに感想を書いていくやつをやりたいのだけれど、とりあえず今夜は「感覚について」を読んでみたい。
鼻は、眼や耳ほどの芸術をうみ出しはしませんでした。けれどもそこに全然芸術がないわけではありませんし、哲学がないわけでもありません
(串田孫一『ものの考え方』/学術出版社 P117)
という感じで語られているのは嗅覚について。確かにあんまり意識しない感覚ではあるかも。
人間は原始的な快・不快だけの状態から精神が豊かになっていったが、と同時に地に足のついた状態から離れてしまったのではないか、というような話だった。
3/12
6時前、じんわりじんわりと暗くなっていく雨の夕闇の中を運転していると、無性にナイトクルージングが聴きたくなった。なんだかとても久々に感じる気分を感じている。
こんなにも寂しい世界の中で生きているんだな、というような気分である。
帰ってから銭湯でも行こうかと思っていたが、座ってしまうと動く気力もなくなりぼんやりしていた。
図書館で借りてきた地元の文芸同人誌『輪』を開く。郷土資料コーナーの片隅で見つけた一冊だ。1984年に市民センターの呼びかけで始まった読書会メンバーが執筆していて、2005年に出た20号が最終巻。読書会自体は今も続いているのだろうか?
小説・エッセイ・旅行記などが掲載されていて、最終号ということで読書会の振り返りも載っていた。どうやら主催者の市職員が、読むだけでなく書くことも重視していて、メンバーに執筆させたことがこの同人誌の始まりらしい。
昨今のZINEブームとかって、元を辿ればこういう同人誌とかミニコミからの文脈でもあるのかなと思った。2000年代にそういうものはほとんどネットに移ってしまったわけだけれど、やっぱりモノとしての良さとか、直接売って手応えを感じられる良さとかで紙媒体に戻ってきてる、みたいな。
もちろん世代は変わっているだろうけど、「自費出版史」みたいな括りで捉えるとそういうことになるんじゃないかな。
先人の活動は大いにリスペクトしていきたい。
3/13
仕事行きたくないなーと思いながら起きて、行きたくないなーと思いながら家を出た。唯一の楽しみは本。
ということで今朝の貴重な電車読書は三宅香帆『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』よりカジュアルに書かれていて、なんというかネット文体に近い。()を多用してたりとか。タイトルからそうだもんな。
人生を過ごすのに、不安や、痛みや、苦しみは、避けられない。——小説も自己啓発本も、これを前提としている。
人生は、悩まされるものだ、と。
ただその悩みの行きついた先に「読者の解釈にゆだねられた結末」があるか、「読者の解釈が定まっている結末」があるか、のちがいが分かりやすい自己啓発本と分かりづらい小説の差を生み出している。
(三宅香帆『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』 笠間書院, P17)
「本を読む動機」というのを考えると、この感覚はなんとなくわかるような気がする。心の病み上がり期に啓発本を色々読んでいたのは、答えが欲しかったからだと思う。
結局それらの教えてくれる「答え」を実践し続けられるような強い人間じゃなかったから、今はこうして「答え、出ないよね〜」みたいな小説のほうにたなびいているわけだ。まあ、答えを出さないのはそれはそれで辛い(かっこよく言えばネガティヴ・ケイパビリティ!)に違いないが。
三宅さんに戻ろう。本題に入る前の序章的な部分ですでに作品名が5つ6つ出てきていて、注釈で出典が書かれているのだが、全て初出だ。『舞姫』の初出なんて一体誰が読めるんだ(『国民之友』1890年1月号らしい)。こういうのって普通著者が参考にしたものか現行の入手可能なものを書くのでは…? 面白いけど。
3/14
昨晩22時に横になったからか6時半に自然起床したけれど、結局もう一度寝てしまった。
三宅さんの続きを読む。いろいろな作品の楽しみ方が紹介されているけれど、単にあらすじを紹介するだけでなく、細部にこだわって紹介されているところが面白い。『雪国』のこの描写は要するに男女関係の濡場だよね、とか、ハリポタの家庭環境は貴種流離譚だよね、とか。三宅さんの推しポイントが全面に出ているなぁと思う。
3/15
昨日と同じような起床をした。寒い。マジ寒の戻り。ファンヒーターに灯油入れとくべきだった……。
「ウィー中」の囲碁企画で今村アナが五段昇進してて、別に通年で見てたわけじゃないのになんか嬉しかった。それにしても囲碁修行しながら東海各地に出かけて食レポしたり山登ったりしてるのは本当すごいな。なんかもう今村アナを見守る番組じゃん。
行きと帰りで三宅さんの本を読了。ピーター・パンってネバーランド行く前と帰った後も結構文量あるんだ! とか、多和田葉子がカフカ訳してるんだ! とか、知らないことがたくさんあった。
前にも書いたけど、三宅さんの文章はネットの推し活文体っぽいというか、「ここが好き!」というポイントを熱量高く連ねていくスタイルなので、そういう文体に慣れていると読みやすい。ネット特有のエセ関西弁を紙の本で読むのは個人的にはちょっと違和感があるけれど、全体的にはスラっと読めてよかった。
でもこれで満足して肝心の小説の方を読まなきゃダメなんだけどね。
3/16
とあるイベントの課題本、というか参考図書に竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』が挙げられていて、(イベント参加の可否はともかく)気になっていたので探しに行った。
まずは滅多に行かない県内最北のブックオフ。ここは量が多いのか文庫が安いので助かる。交通費を考えるとトントンではあるが。目黒考二の本などあって良かったのだが、ちくま文庫はあまりなくて残念。
ということで、二軒目はその近くにある最近できた古本屋。ここは黒っぽい本とかもたくさん置いているのでどうか、と思ったら早速発見。さすがである。ついでに50円均一のコーナーから村上春樹の『TVピープル』を掘り出してきた。昨日まで読んでた三宅さんの本に出てきていたので。この機に読むべし。
春樹はなんだかんだで文庫もちょくちょく集めてはいるのだが、なかなか開く機会が訪れない。最近は翻訳系まで積み始めているので大変だ。とりあえずは『女のいない男たち』を読み、どこまで読んだか忘れちゃった『ねじまき鳥』を最初から読み、『海辺のカフカ』『東京奇譚集』『世界の終わり』てな感じで長短交互に読んでいくのがいいかな〜。ちなみに既読は初期三作と『ノルウェイ』『多崎つくる』『街とその不確かな壁』。まだ全然だし短編はほぼ読んでない。新作が出るまでに読めるか。いや無理だ。ぼちぼちいこう。
(積読:854冊)
夜は“部室”でローカル誌の感想会をする。具体的にいうと『月刊Simple』と季刊誌『NAGI』という雑誌があるのだが、どちらも今年終わってしまった。ただでさえ雑誌が厳しい昨今、ましてや小部数のローカル誌となってくると本当に大変だったのだと思う。『Simple』の方は食と美容が中心なのであまり手に取ることはなかったのだが、『NAGI』は地元の歴史から街の本屋特集まで自分の興味に近くて、さらに読み物としても充実しているので終刊は残念。毎号買うような熱心な読者じゃなかった自分が言うのもなんだけど。
3/17
眠すぎて寝坊しかけた。半分寝ながらご飯を食べて半分寝ながら原付に乗り駅まで行く。寒さで目が覚めるかと思ったがあんまり効果なく、YesのAwakenを聴きながら電車に揺られていた。
帰りの電車で村上春樹『女のいない男たち』を読み始める。なんだか後書きみたいな前書きがあり、一作目「ドライブ・マイ・カー」。観よう観ようと思っていてまだ観ていない映画版がある(サントラだけめっちゃ聴いてる)。短編を長編映画にするってどんな感じなのだろうなあ。
3ページぐらい読んだところでよくやく村上春樹の短編を読むスイッチが入って、行ける感じがした。
彼女は何度かワイパーを素早く動かして、フロントグラスについた水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる双子のように硬く軋んだ音を立てた。
(『女のいない男たち』文春文庫, P69)
春樹よ。
物語としては非常にシンプルだ。俳優の男が先立たれた妻の不倫についてモヤモヤしていたが、ドライバーのさっぱりした女の子と話してちょっと癒される、みたいな。展開としては2行ぐらいでまとまってしまうが、出てくるモチーフにはすごいたくさん意味が込められていそう。車、酒、役者、ヴァーニャ伯父……。
メタファーとか男女の機微みたいなところは全然わからないけれど、主人公の男は他人を演技ベースで見てるんだろうな、ということはぼんやりと思った。だから妻の不倫相手だった男が発した本心的な言葉に心を動かされたり、無口だけれど信頼できる女の子の言葉に安心するのだろう(「緊張感と自分のあり方とを自然に——おそらくは無意識的に——分離させることができる」ような人物を信頼している、ということか)。
だから、妻の不倫について「そういうのって、病のようなものなんです」と言われてようやく安心できるのだ。妻には何か裏があって不倫をしていたわけではない。そういう性質だからやってしまったのだ、と。
多分そういう感じじゃないかな〜。



