忙しきがひと段落して精魂抜け落ちてしまったような週。でも読書量はちょっと持ち直した。梅雨も持ち直した。

6/17
ろくにかけていなかったブログに加筆していたら1時になっていた。疲れが取れないのは絶対に夜更かしのせいでもある。体内のリズムにうまく乗れていない。
天気予報から「初めての猛暑日」という言葉が聞こえてくる通りの蒸し暑さ。原付に乗る背中のリュックがどんどん熱されてゆく。
なんだかとても懐かしい気がする朝の通勤読書は、先日のイベントで買ったZINE『おしゃべりな石』から。実在の場所をモデルにした架空の街が舞台の、児童向けファンタジー作品。人妖入り混じる感じの和風ファンタジー世界はどことなく千と千尋っぽい景色を想像して良い(こういう時、共通認識としてのジブリの強さを改めて実感する)。
元ネタになった場所を探してみたくなるのは、ローカルを舞台にする面白さだなぁと思う。
6/18
スタジオでドラム練習。「だっだっだどだど」的なリズムが安定しない。難しい。
夕方にはバンドで話し合い。ローカルおやじバンドコンテスト(平均年齢30歳以上対象)があるので、出てみるー?という話に。その審査まで一ヶ月もない。ギターの人の演奏を初めて聞いたけど上手い。ドラムだけへなちょこで申し訳なさすぎる……。
6/19
もうしょうがないぐらいに猛暑日、なんていきなり言ってしまうぐらいにはやられてる。
『文學界2025年5月号』をn年ぶりに開く。絶対今日読み終える。
津野青嵐『「ファット」な身体』は作った服を他社が着ることについてを考える回。伊藤亜沙『手の倫理』の話も出てきて、そうそうそんな話だったなぁ〜と懐かしくなる。相変わらず読書全くが身になってない。
東畑開人「贅沢な悩み」は毎回何かに気づかされている連載だ。今回は2020年代以降、社会は経済から政治の季節になったというような話が出てきて、そう言えばそうなのかもなーと思った。ぼんやり生きてるから全然気付いてなかった。
心の臨床の鉄則は「外から内へ」である。まずは客観(自己と世界)の動かせるところを動かして、それでもどうしても動かないところに対処するために主観(心)を変化させようと試みるときに、臨床は安全に進む。
(『文學界2025年5月号』 p267)
なんとなく実感的にもわかる気がする。そもそも心をどうこうするのって曖昧で難しい。まずは環境とか物理的なところから見つめ直すのは大切だなぁ。
他にも障害の「社会モデル」の話も出てきた。事故で足が動かなくなる=身体的な機能不全impairment に対して、社会が車椅子に対応していないがために移動が困難になる=disability。障害は社会の側にある、という考え方だ。
このモデルによって、臨床心理の場面でも社会的な介入の重要性が認識されつつあるとか。どこからが社会の責任で、どこからが個人の責任になるのか。ものすごく難しい問い。
久々な気がする津村記久子「ぐるぐるマップ」。湖西線に乗って敦賀まで雪を見に行く回。乗ったことのある路線が出てくるのはなんか嬉しい。大阪からの電車ビワイチは3回ぐらいやったはず。でも敦賀はちゃんと行ったことないかも。
王谷晶「鑑賞する動物」はアリソン・ベクデルの自伝的作品の舞台化作評。ベクデル・テストというのを初めて知った。勉強になる。
同性愛を扱った作品に対してよく「恋愛に性別は関係ない」だの「LGBTの人の恋愛も普通の人と同じ」だのという風呂で屁をこいて実まで出たようなお言葉が寄せられるが、同じなわけねーーーだろ!
(同P281)
そういうこと言わないよう肝に銘じます。
井戸川射子「舞う砂も道の実り」第8回。まさかの失恋、別れ。ここ数回はあまり大きめの展開がなかったので、節目だろうか。
何も、何かの代わりにはならない、常に新しいものが来るのだ。
(同P295)
結びの文章がタイトル回収で最終回っぽい。
文學界新人賞の告知。中村文則さんが抜けて町屋良平さんが新たに選考委員に入っている!
コメントがかっこいいが、「〜ですからどうぞ安心してご応募ください」の「ですから」以前との結びつきがよく分からない。……安心できるかなぁ?
新人小説月評。今回は全て女性作家の描く女性の暮らし・人生的な括り。くどうさんと片瀬さんは特に気になる。
岩川ありさ『それでも「世界」を知るために』は『世界99』評。高評価する人、みんな「これは自分の物語だ」と思いがち。そう思わせる筆力がやっぱりすごいんだな。
ここでようやく文學界読了。6月号と7月号がすでに控えている。GOATも図書館本もある。なんかもう苦行になってしまいそう(読んだら読んだで面白いのだけど、詰んでいるという事実の心理的圧迫感が)。
でもせめて芥川候補の載ってる6月号は選考までに読みたい。
エアコン掃除しておらずカビと埃が大変なので付けずにいるが、室温が34度からなかなか下がってくれず非常に寝苦しい。毒霧エアコンを稼働させて喉が死ぬか、快眠を犠牲にして脱水に片足突っ込むか。地獄の二択じゃん。
6/20
朝ドラ全然見てないけど、玉音放送で戦争が終わったことは分かった。
読書感覚を取り戻すために小説をということで阿部曉子『カフネ』を読み始める。バラエティとかでも紹介されたりしてたけど、あらすじだけで小説の魅力を伝えるのは難しいよなと思う。小説は読まなきゃ意味ない。読むことは物語を安易に消費してしまうことへの抵抗だとも思う。
夫には離婚を告げられ、溺愛していた弟が急死した薫子は、生活が破綻しアルコール漬けの日々を送っている。弟が書き残していた遺言に財産の分配先として指名されていたのは、元恋人の小野寺せつなだった。せつなは家事代行サービス「カフネ」で働いており、ひょんなことから薫子はボランティアとしてカフネの活動に参加することになる……。
クソ真面目な公務員・薫子と、飄々として感情が分かりにくいせつなの凸凹コンビがとても良い。
6/21
疲れているからか夢見も悪い。なんかすごく向いてない仕事をしている夢とかを見る。
電車でも読めず。完全に運ん読だった。
気温は少し下がってくれて、夜は適温。今のうちエアコンなんとかしないと。
6/22
起きたときめっちゃ体がダルくて、これは体動かしてなさすぎるからだろうと思ってちょー久しぶりにラジオ体操した。少しは目が覚めた。
電車でお出かけするので『カフネ』を持ってきて読む。
せつなに誘われて初めて家事代行ボランティアに行き、代表の常盤と会う場面。常盤の言葉がとても良い。
「お腹が空いていることと、寝起きする場所でくつろげないことは、だめです。子供も大人も関係なく、どんな人にとっても」
(P84)
ほんの二、三日でも、いつもより部屋が過ごしやすくて、何も作らなくてもすでに美味しいごはんがある、そういう状況があるだけで人間は少しだけ回復できます。
(P85)
これはもう本当にマジでそうだなぁ実感があるなあ。片付け始めたらある程度は片付くのだけど、心が死んでるとその最初の一歩が永遠に踏み出せず、結果的にどんどんごちゃついて手がつけられなくなって生活が破綻してしまう。その一歩を踏み出させてくれる人やものの存在、めちゃくちゃ必要だ。
最近ちょくちょく寄る古本屋に寄る。前に来た時目を付けていた夏葉社の『近代日本の文学史』が売れていて、そうだよなーーー買えばよかったぁと思った。代わりに助数詞マニア必携、『数え方の辞典』が500円で売ってたので買った。ゆる言語学ラジオでも出てたような。読み物として面白い。
いつも通りリュックがパンパンになったところで楽器屋へ。電子ドラムの試奏。当然店員には上位モデルを勧められる。でも確かにハイハットは分離してるほうが気持ち的にも馴染むな〜。まあ、たぶん、メルカリとかで買うけど。エレドラは最近中華メーカーっぽいところからめちゃくちゃ出ててよく分からん。でも結局楽器メーカーのものが正解なんだろうな。YAMAHAの電子ピアノ買って痛感した。ドラムはRolandの方が良さげだが。
本を大量に抱え込んで帰路に着く頃には歩数も1万5000歩をカウントしていて、体力がないのかあるのかよく分からん。
『カフネ』は読了。ここ数年で読んだ「食」の小説では一番好きかも。料理を作ることの愛がすごく感じられる。
せつなのニヒリズム的な価値観は現代の若者なら共感する部分は大きいと思うけど、それでも…!という薫子たちの世代の力強さみたいなのも頼もしさがあって良い。最後らへんはちょっと暴走しすぎではないかって気もしちゃったが。
まあ、終わりよければ全てよし、ということで。
6/23
やっぱりものすごく疲れていた。
一日がダルい。仕事してても仕事終わってもダルい。動きたくない。でも帰りに図書館寄らなきゃなんない。
もう6月も終わろうというのに『文學界2025年6月号』を読み始めた。芥川候補作を二作擁するアツい回。知人の絶賛するグレゴリー・ケズナジャットも入っている…楽しみ。
巻頭詩歌は野口あや子「共犯の花」。短歌連作だ。おそらくなんらかの病で余命いくばくもない「そのひと」との関係を詠んだ作品で、「天国のような奈落」とか「透き通るガラスの瓶の底」など、透明感がありながらもどこか果てしない恐ろしさみたいなイメージを抱く。
何をもってして「共犯」であるのか、というところだが、おそらくすごく親しいとかではなく、お互いに傷つけ合うようなこともありながらも信頼のある相手なのだろうな〜と思った。
ページを開いたらあまりの白さに紙が変わったかと思った。文學界は二週間以上読み続けるとめちゃくちゃ灼けるので…。
候補作ひとつめ。日比野コレコ「たえまない光の足し算」。日比野さんは初読だが、独特な漢字の開き方をされる。
とある公園の真ん中に聳え立つ「かいぶつ」のような時計台。その周囲を囲む展望台への螺旋階段で商いする薗という人物を三人称視点で描く。SNSとか出てくるので現代らしいが、どことなく不穏で幻想的な滑り出し。
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