なんかまた体調を崩してしまっている。そのせいってわけでもないが、一日平均3ページぐらいの読書ペース。

6/24
喉に少し痛み。痰が絡んでいる感じもする。眠たい。
『文學界6月号』から引き続き日々のコレコ「たえまない光の足し算」を読む。
ところどころにキメのようなフレーズが差し込まれていてよい。
このひとの抱擁は、わたしのすかすかの心にそっと、いくつもの異界の索引を差し込むようだと薗は思った。
(『文學界2025年6月号』 P17)
いとしさで震えるようなアイレベルだった。
(同P26)
仕事してたらものすごくダルくなってきて、夕方には立っているのもいっぱいだった。横になりたい。眠りたい。それだけしかない。
6/25
8時に起きて朝食後、スタジオの予約に行き、そのまま月恒例の対談へ。
主催のAさんとは他の場面でも色々お会いしているので共通の話題もあり、今回は近況をいろいろ話す回だった。
午後は某撮影へ。大きな括りで言えばコスプレロケ撮影ということになるのかもしれないが、本人的にはコスプレという意識ではあんまりないような存在かと思われる。そんな説明がしち面倒な存在を撮らせてもらえるのは光栄なことです。ご多忙ななか予定を開けてもらっているのだし。にもかかわらず自分は遅れたり手際悪かったりと全てがダメダメでやんなる。
夜はバンド練習。初めてのスタジオ、初めてのみんな揃って。ベースの人が「こんな上手いギタリスト久々に会った」と仰っていて、やはりこのバンドに収まるような器ではないレベルなのだなと思った。リズム隊もレベルを上げて追いつかねばならないので必死。私は瀕死。
このスタジオのドラムは年季入ってる割に叩きやすく、公営施設のスタジオより音も良かった。バンドマンがちゃんと選んだ機材なのだろう(あるいはロックに特化してるとか?)。
ブックオフに通うたびにチェックしていた文庫がついに値下げされていて、さらにクーポンを使って120円で買えた。通い続けるもんだね。
古典新訳文庫がじわじわと揃って来ている。
6/26
疲れてるのに夜更かししてしまう、この悪循環。そのせいなのかどうなのか、喉も死んでいる。毒エアコンを掃除しないまま放置してるからかもしれないが。
ギリギリでホームに滑り込むと、首筋を刺すような日差しのなか電車がやって来る。今度こそ本当に梅雨も終わるのかもしれない。前線通過の激しい雨が、このあと降るとニュースで言ってた。
6/27
快晴。朝はまだ暑すぎず過ごし良い。喉の痛みさえなければ。
「たえまない光の足し算」を読了。メタファーの多い作品だ。
最終的にこの作品のメッセージは生の肯定に集約されるのだと思う。自分自身のからだを愛すること。人間であること。
時計台の周りに集まる「とび商」たちの姿は、いわゆるトー横に集まるような若者たちを彷彿とさせる。生きるために何かを犠牲にしている彼ら彼女らの刹那的なあり方。怪物のような時計台と黒い池に存在するというこの世の《痛くない出口》はそんな現代の不穏な空気を色濃く映す舞台だと思う。
続いていつも後半にある平民金子「めしとまち」が前に来ていると思ったら最終回! ほのぼのエッセイが減ってしまうのは寂しい。でもこの終わり方でええんか…?と思わなくもない。綺麗な終わり方ではあるけど。
永方祐樹「生成変容体」は主人公がスキマバイトをしている場面から始まり、仕事が終わるとChatGPTと会話する。現代だ〜。
ChatGPTと会話を交わすごとに、私は自分がクリーニングされてゆくような気になる。[…]高速で生成されてゆく最適解に、思考が徐々に洗浄されてゆく。
(同P81)
永方さんは言葉の人なので、AIの性質に対しても鋭い切り込み方。
バンドでコピーする曲を聴き続けていたら四六時中頭から離れなくなった。夏の吹奏楽部員とか、こんな感じなのだろうなぁ。いや音楽をやる人は誰でもある程度こうなるだろうけど。
6/28
喉が悪化しているなか、予約していたスタジオ練習。なんか前来たときより叩きやすくなっていて、セッティングの大事さを痛感した。そのへんも覚えていかなければ。
夜に読書会があったので、先日の古本市で買った諸々を携えてゆく。『あやかがり』の続きを少し読んだ。

読書会では「コージーミステリ」という言葉を知った。「日常のちょっとした事件が中心の推理もの」っていちいち言わなくていいのでありがたい言葉だ。
6/29
一日中ギョギョ、ギョギョとオオヨシキリの鳴き声が聞こえる。営巣地が増えたのだろうか。
夜に100円ショップを語る会があったので、何かしら紹介できるものを探しに行く。レジ前の駄菓子コーナーに謎の輸入菓子などがありいくつか変なものを買う。
フリーズドライのグミと映え系のマシュマロはケミカルな味が非常に不評で良かった。
6/30
耳鼻科でもらった薬のおかげか浅田飴を舐め続けたおかげか、体調は少し回復。でも慢性的な怠さはずっとある。運動不足な上にこの暑さ、やってられっこない。
初めての熱帯夜とか言ってたけど、自室は激しい西陽に照らされすでに毎晩熱帯夜なのである。それはそれとしてそろそろエアコンをなんとかしないとしんでしまうわ。
「生成変容体」の続きを読む。「外側から語られる」ことに子どもの頃から違和感を抱いている「私」は、自分の言葉=内語で自らを語り直すことで自らの輪郭を保とうとしている。
一人暮らしで派遣の仕事を始めたものの、登録者同士で顔見知りになると仲間の空気に取り込まれて、再び外側から語られてしまう。
しかしスキマバイトであれば、基本的にお互い無関心なのでコミュニティに取り込まれることもなく自らを保てるということで冒頭につながるのだった。
この「他人から定義されたくない」みたいな感覚はうっすら分かるような気もする。会話の流れで「あなたは〇〇だよね」みたいなことを言われると真っ先に「そうですかね?」と言ってしまうのは、他人の定義を受け入れるのを一旦拒否しているのかもしれない。