これは「人生」と「生活」をなるべくやりたくない人間が現実世界からどこか遠いところへ意識を飛ばすために本を読んだり読まなかったりする記録である。生産性はありません。

8/12
今朝も曇りで冷房いらずの涼しさ。このまま秋になってほしい。でもそんな寒暖差のせいか、鼻炎がとても悪化していて辛い。
『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』(明石書店)の続きを読む。そもそもなぜこれを読もうと思ったのかというと、恋愛至上主義には自分も辟易しているからです。アラサーで一度も恋愛したことないのはヤバい、みたいな価値観は生きにくい。ヤバいまで行かずとも、「とか言いつつ実は(恋人)いるんじゃないのー?」みたいなノリもダルい。自分がAro/Aceその他のセクシュアリティを自認するかどうかはさておき、恋愛観・性の多様性が受け入れられる世の中の方が生きやすいのは確かなので、まずはもっと知っておきたい。
アセクシャル当事者が周囲の人に自分のセクシュアリティを伝えた際に、「まだ良い人に出会っていないだけ」というようなことを言われ、自身のアイデンティティを否定されることがあるといいます
(P60)
これだよな、このダルさ。そもそもこういう「運命の人」みたいなことを散々言っておきながら、歳を重ねるに連れて「婚活してない方が悪い」みたいになってくのが意味不明。
「将来は恋愛的に結ばれた相手と結婚をする」というイメージはある程度、社会で共有されていると指摘しました。しかし、これは近代以降に普及した特定の価値観であるといわれています。専門的には、「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」と呼ばれ、恋愛と結婚と性を一体化させる考え方です。
(P98)
出たなロマン主義。あらゆることを経験するのが人生にとって良いことだとか、経験が豊富でないと素晴らしい創作はできないとか、すぐに反論しにくいのが厄介。
Aro/Aceは他の非異性愛者と比べて、「同性の人に惹かれた」というような明確な経験によって自認しにくいという特徴があります。「惹かれない」という「ない」ことをもとにしたセクシュアリティであるため、「本当に自分が自認していいのか?」と悩む方も少なくありません。
(P106)
やっぱりそうだよなぁ〜。自分も正直よく分からない。人間全般が不信なだけではないか、とか思うし。
本書のスタンスとしては「自認することがその人の役に立つのであれば、自認はその人の自由です」(P107)とのこと。しばらくは寄り、ぐらいでふわふわさせといてもいいかもね。
これ、結構重要だ。こういうことを言うと絶対に「自認を建前に性犯罪が増えるのではないか」みたいな反論が出るけれど、自認がどうだろうが犯罪は犯罪なので論点がおかしいのだ。
後半の当事者インタビューで「三次元に恋愛って存在するのか」と思ったと書かれている方がいて、その感覚はすっごいわかる。いつの間にかクラスメイトが付き合ってたりして、え、付き合うとかあるんだ…などと思っていた。創作の恋愛とかは別に嫌いじゃないし「尊み」とかも分かるんだけど、自分ごとにはならんなぁと思う。
とりあえず本書で大事なのは
・恋愛感情と性的惹かれは必ずしも結びつかない
・自認は自由だし、変わっていっても良い。そしてそれを周りがとやかく言う資格はない
というところか。
8/13
図書館に本を返して外に出たらめっちゃ雨降ってて濡れた。
某雑誌の編集長が地元ディスして炎上していたが、その地元が隣町らしく、うーん……と思う。地元民が自虐的に何も無いんよ〜っていうのはあるあるだと思うし、実際首都圏どころか人口が同じぐらいの都市の中でも文化度低いなって思ってしまうんだけど、でもそれってめちゃくちゃ主観っちゃあ主観だし。モータースポーツ好きにとっては聖地だったりするわけで。だからやっぱり言い方だよな〜とは思う。あと立場。
8/14
駐輪場の手前で駅に特急が止まっているのが見えてあぁ…となった。駅構内での事故らしく、10分遅れぐらいで復旧した。お盆ダイヤなのでもともと遅くなっていて、ギリギリの時間で着。
逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)を読み始める。分厚い! ソフトカバーの厚い本はつくづく携帯に向かないなと思う。
自動車期間工の本田昴(露骨な名前だ)は2年11ヶ月の勤務最終日にして、製造ラインのSUV「ブレイクショット」にボルトが混入する瞬間を目撃する。ここですぐに報告すれば自己の評価も上がり全体に迷惑をかけないが、ミスをした同僚とは険悪な雰囲気になった直後であり、恨みを買うかもしれない……という葛藤から始まる物語は、なぜか中央アフリカの抵抗軍でテクニカルとして改造されたSUVに乗る現地の少年兵視点へと移る。かと思いきや一章では今まさに敵対的TOBを仕掛けようとする新興ファンドの物語が始まり(視点人物たる副社長の愛車はブレイクショット)、まだ全く全用が掴めない。
仕事終わりには天候も回復してきていた。昼過ぎまで曇っていたためか、いつもの茹だる暑さもマシになっている。向かいのホームでBPM300貧乏ゆすりしてるおっちゃんは気になる……。
寝る前に続きを読む。二章でプロローグの伏線が最悪な形で回収されて鬱。
三章の手前に再びアフリカの様子が挿入される。いきなり少年兵がインプレゾンビやってる場面。たぶん日本の小説でインプレゾンビが出てくるのはじめてなのでは?(しかもやる側が)
8/15
何日かぶりのすっきりと晴れ。夜更かししても読み終わらなかったブレイクショットの続きを読む。だんだん構造みたいなのが見えてきたけど、もうこれ呪いのSUVだろブレイクショット。次々と変わってゆくオーナーたちがことごとく不幸に見舞われている。試練と言ってもいいのかもしれないが。
中心人物がファンドだったり不動産だったり経済系YouTuberの私塾だったりして投資とかの話がかなり出てくるので難しい。
まさかのアセクシュアルが出てきたのはびっくりした。タイムリーすぎる。
ラスト450ページあたりで春斗の不幸がどん底になったあたりから、徐々に歯車が反対側に動き出す感じ。お、これは、来るのか?来るのか??
帰りに「部室」へ立ち寄って最後まで読む。エピローグで怒涛の伏線回収。だいぶ丁寧というか、一人一人こんなふうに希望を得られましたよというのが描かれていく。みんな救われてよかったぁと思う一方で、ちょっと書きすぎちゃうか?と思ってしまうのは、最近こんな綺麗にまとまる作品を全然読んでないからだろうか。叙述トリック的なやつが良い方向だったのはほっとした。
物語としての確信は最後の最後に出てくる
台の上のすべてを把握しようというのは傲慢だし、自分の打つボールが波及するという意識を持たない人間には、ゲームに参加する資格はない。だが、だれかがそれを打たなければならない
(P577)
というところだと思う。ある行動や告発が波及して、世界の形を変えてゆくかもしれない。まあ、ここまで全てがわかりやすく繋がって事が急に運んでいくことはなかなかないだろうけれど。
個人的にはやや詰め込みすぎな感じもした。ざっと思い出しただけでも格差、人種差別、障害、セクシュアリティ、SNS、パワハラ、特殊詐欺、インサイダー取引…と現代の社会問題てんこ盛りセットだ。そんななかでスポーツ界における同性愛への偏見とか、それだけでもっと掘り下げられるはずのテーマが埋もれてしまっていないか。逆に企業間のいざこざとか投資セミナーとかのディテールはそこまでなくても成り立つような気がした。いやたぶんこのビジネス小説的な部分が一番やりたかったのかもしれないが。。
冒頭でのTwitter解像度低そうな描写からの、ラストで実はもうXだったことが明かされてからのリアリティは凄かった。そのクソリプ的なやつ全部見たことある……。
8/16
さすがに今日は電車も空いていて、立っている人もほぼいない。手荷物も少なくラフな格好の人が多い。
栗田隆子『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)を読み始めた。
十年以上前から女性の未婚率、そして非正規労働者でかつ世帯主、そして主な稼ぎ手でもある女性は増えていたけれど、それでも十年前だったら若くもなく、さして働けもせず誰かの憧れにもならない独身女性による「仕事」エッセイとでもいった企画は通らなかった。
(P11-12)
これはタバブックスとかの功績が大きいのでは。あとはエッセイ界隈の盛り上がりと多様化?
4時ごろ急に体がおかしくなってくしゃみが止まらなくなった。デスクワークしてただけなのに、なんで急に。
「働けない」の続き。八〇年代初期の女性の労働環境として、正社員は給料が良い代わりに仕事の中身が薄く、パートはやりがいがある仕事を与えられる代わりに給料が安かったという。…逆じゃないのかと思ってしまうがそんなことはない。どちらかを取ればどちらかが取れないというひどいシステム。
8/17
ブックオフ35周年セールが今日までだった。秋口にたくさん一箱古本市に出る予定なので、仕入れということでハシゴする。初めて行った県外の店舗は一階がコミックとホビー系、二階が読み物系で、小ぢんまりしているがちょくちょくよい本もあった。県内の店舗は特に海外小説系が弱いんだよな。もっと海外文学を読め県民〜(ブーメランです)
ほぼ一日かけて4店舗を巡り、移動距離は150キロほど。疲れた。
8/18
盆明けで人も多いかと思いきやそんなこともなかった。やはり学生の夏休み明けからが本番か。あ〜〜
「働けない」の続きを読む。インボイスがなぜフリーランスにとって害悪なのかという話。最近あまり聞かなくなってしまったが、免税移行期間が3年らしいので、来年あたりにまた反対の声が盛り上がってくるだろう。なんで収入低い側が負担を増やさなければならないのかという。
日本においてはダイバーシティと言ったところで、絶対にそこには含まれない人が一定数いるのはなぜなのかと以前から思っていたが[…]あくまで企業に貢献できる人材としての多様性であって、家庭や学校、あるいは地域や国家における多様性という話ではないのである
(P76)
ダイバーシティもポリコレも「上から押しつけられるもの」みたいになってしまうのが日本の良くないところだろ思う。海外ではこうだから、で同調圧力的にやるんじゃなくて、誰しもがその意味をちゃんと把握していかないと、結局似て非なるものになるんじゃないかなあ。
お風呂から出て部屋で静かにしていると、コオロギの鳴き声がよく聞こえて少し寂しい気持ちになる。


