別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

読書日記一年分予定(51/52)

次で終わります。



前回

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読んだ本

  • 駒田隼也『鳥の夢の場合』(講談社

読んでる本

9/16

バイト行きたくない学校な朝。体に疲労を溜め込んだまま電車に乗る。

最後ぐらい読んどくかと、溜め込んでいだ『文學界』の8月号を読む。
特集は「24人のショートショート」ということで砂川文次、市川沙央といった文學界作家もいれば、上坂あゆ美、のもとしゅうへい、市街地ギャオ、伴名練、俵万智などなかなか珍しい人選も……というか異色率のが高いなこれは。そういう企画なのだろう。
全て見開き完結で素晴らしい。せっかくなので全て感想を書いてゆきたい。

多和田葉子「契約違反」は、「私」が友人の麻里恵から、離婚した話を聞いている場面。夫婦は慎重に結婚生活に関する契約書を交わしていたのだったが……という、過剰さのユーモア。あるあるとアイロニーが絶妙で、オチ含めて綺麗にまとまった作品だった。

円城塔「ニュー・ナンバーズ」は、数の概念が新たに発明し直され、「旧数」に対して「新数」が誕生した世界。「新数」の発明により有人超空間航法が可能となり、「私」はその最初期の被験者の一人であった。
テクノロジーが男性に占有されてきたことへの批判でありつつ、それはそのままSFというジャンルに対する批判でもありそうだ。

青柳菜摘「関係名デモンストレーション」は、「関係名制度」が施行された社会を描く。関係名は人対人に限らず動植物や法人格とも可能という懐の広い制度で、行政に届け出ることで適格関係の申し立てもできるらしい。
そんな「関係名」をめぐる、革命の物語。名付けというのは思ってる以上に関係性を規定するんだろうなあ。


note.com

話題になっていた記事。NHKの某子ども向け番組とかでよくあるやつだな〜と思った。
動的平衡、利他とかの本はいくつか読んでるので、たぶんどこかで援用されてただろうな。文系の本で理系的な知識が出てくると無批判に受け入れちゃうなあと思う。



9/17

ほぼ寝ていたせいで、夕方以降にやることを詰め込んでしまうことになった。
町というか村唯一みたいなバイク屋で原付のライトを交換してもらう。腰の曲がったおじいちゃんが、ぽんぽん音の鳴るディーゼルエンジンみたいなやつでネジを外したり空気を入れたりするのを見ていた。


9/18

文學界』の続きを読む。

豊永浩平「姉蚕」は起きたら姉が蚕になっているというカフカ的な冒頭から始まる物語。ただしカフカのよくわからなさに対してこの作品は割とはっきり書かれていて、家父長制的な家庭に閉じ込められた結果の変身である。
最終的に姉蚕は飛ぶ。蚕は飛べないが、アネコは飛ぶことができた、というところに希望を見る。

田中慎弥「鍵は消えずに」。定位置に置いていたはずの鍵がなくなってしまい、部屋の中のあらゆる場所を探すが見つからない。もっと思いもよらない場所にいるかもしれない、と本棚の小説を手に取ると、そこは戦争中の城で……。果たして「鍵」とは何だったのか。

上坂あゆ美「睫毛の角度」は、美容、とくに睫毛に並々ならぬ執着を持つやえと、彼氏である吉田の一コマを描いている。これも何かしらの闘いなのかもしれないと思った。

朝比奈秋「垂直方向へ」。なぜか「私」は卒業したはずの大学にいて、階段の踊り場で寝転んでいる。同級生たちは次々と階段を上がってゆく。しかし「私」はなぜか起き上がることができない……。
これはもう限りなくあり得る悪夢だ。分かりやすいと言えば分かりやすい。自分は夢でもリアルでも全然起き上がれませんけどね。。

伴名練「箍」はエセ書評もの(?)。高知の伝承を集めた『〈塞縄手物語〉全記録』という本を評する形で書かれているが……いやラスト! そっから!! 先を読ませてー!
おそらくこれ、因習村的なやつでは? 「箍」というタイトルも意味深。誰のタガが外れたのか。

砂川文次「floating」はパッと誌面を見た時点でなんか詰まってるなと思ったらひたすら読点で繋いで最後まで句点がない文体だで、こういう文章って読むときに息が詰まったりするよなぁと尻込みながらも読み始めると、まさにそんな詰まるような「不安」がテーマの作品だったわけだが、しかし最後の最後でふわっと解けていくような感じは良かった。

高山羽根子「夜を漕ぐ」。初めて自力でパンク修理をした「わたし」が夜の街に漕ぎ出してゆく。昼じゃなくて夜なのが良い。静かな心地よさ。

ちょうど最寄駅に着いたので、同じように夜の街に(原動機付)自転車で漕ぎ、はしないけど出していく。明らかに風が涼しくなっている。羽虫も少ない。秋、来たか〜


9/19

野崎有以「夕霧の中で」から読む。「僕」は叔父の墓の前で咽せていた女は、叔父にピアノを習っていたという。叔父はその才能を妬んだ両親にピアノを取り上げられ、苦心してキャバレーのピアノ弾きになった人物だった。
なんだか昼ドラの始まりそうな展開。

近藤聡乃「死ななかった私」。ミサキちゃんは忘れっぽくて、今日も「私」と放課後に遊ぶ約束をすっぽかしてしまった。仕方なく「私」は校庭で門限まで遊ぶことにするが……。
なんかこういう記憶、誰にでも一つぐらいありそうな感じがする。不思議だ。

児玉雨子「紙幅の時間」はなんかもうタイトルで完成してそうな雰囲気もある。「読書感想文進級制度」なるものが導入されており、「感想文指数」が四十を下回るとリジェクトされ、コンクールに通れるまで指導員のもとで感想文を書き続けなければならない……悪夢か?
「あなた」の「どうして『浦島太郎』が面白くないのか」はリジェクトされ、「私」はその指導を行なっている。ああ、なんかトラウマが…。
最後は微ホラーだけど、ウラシマが見事に回収されていた。

柴田聡子「つばめのねえさん」。歳の離れた人と付き合っている弟を問い詰める姉。揺さぶったり突き飛ばしたりしている一方で、弟からやり返されることも期待している。情緒がよく分からない。「つばめ」というのも何かの隠喩なのだろうか。

島口大樹「一〇四の夏」は、百四歳の曽祖母のお見舞いに行く話。ところどころ記憶が曖昧になっている曽祖母だが、その身体に刻まれた戦火の跡は消えることがない。家族でも決して交わらない時間のことを思う作品。

のもとしゅうへい「朝の牛」。夜勤明けの「私」は、二〇五号室の田代さんが飼っている仔犬を見せてもらう。生まれて間もない仔犬はまるで小さな牛のようで、群馬県に似た模様があった。
のもとさんは漫画も描かれているからか、身体感覚の捉え方が視覚的で面白い。

文月悠光「角砂糖の家」。母子家庭に育った「私」には印象的な記憶がある。出張の母について泊まったホテルで、角砂糖を食べさせてもらったことだ。大人になり結婚した私は、その甘い呪いに苦しめられる。

ニシダ「LOVE」。起き抜けの「僕」は、昨晩体を重ねた相手、コト子さんから、胸元に「LOVE」と書くよう頼まれる。彼女はこれからデモ行進のパレードへと出かけるのだった。


9/20

雨。

文學界』のつづき。
吉田靖直「激しい競争」は死後の世界(天国?)で繰り広げられる逆デスゲーム的なものを描く。そのゲームに勝ち残ったものだけが生を得て地上に生まれることができるのだ。

戌井昭人「天井をなめたい」はそれ以上でも以下でもなく、ただただ天井を舐めたい話。舐めることに異常な執着を持つ人物が描かれている。なぜ天井……?

市街地ギャオ「wet dogs」はパートナーに誘われてGMPD(ガチ・ムチ・ポチャ・デブ)専のスペースについて行った「僕」が、彼との温度差に冷めていくような話。一方通行の愛って感じ。

南翔太「欲しがった」は不条理系。突然女から「橘真司さんですか?」と声をかけられた「俺」は嘘をついて彼女についてBarへゆく。するとそこに本物の橘真司が現れるのだが……。アイデンティティクライシス。

市川沙央「運」。送別会の帰りに偶然「矢車先輩」を見かけて立ち止まった「僕」は、すんでのところで飛び降り自殺に巻き込まれずに済む。矢車先輩はポラロイド研究会の元副会長で、彼女の撮った写真をお守りにすると就活がうまくいくという噂が広まっていた。僕は命拾いしたお祝いに、矢車先輩に付き合ってもらうことにした。
誌面の中央を基点としてグラフに見立てると、第一象限から第四象限まで全部違うことが書かれていて、短いのに密度が濃い。そして市川さんらしい、解釈の難易度高めの終わり方だ。「先輩の顔を、僕はもう思い出せない」というのは、ここまで全て回想ということなのか、あるいは目の前にいるのに見えなくなっていくのか。ポラロイドが色褪せるみたいに。
結局「僕」も先輩を都合よく利用しているような気がする。

俵万智「葉っぱと小石」は癒し。文字通り言葉の葉っぱをならせる木があり、その落ち葉はさまざまな言葉そのものである。その言葉たちを、必要としている人たちに届けてゆく物語。
最後の短歌も俵さんらしい軽やかさ。

そしてトリはもちろんこの方。筒井康隆「車椅子の男」。ショートショートと言われて御大が普通に書くわけもなく、戯曲形式である。
九十歳の作家、片山宗一のもとを訪れた担当編集者の藤代と、友人の歌手、浪川。宗一の息子は亡くなっており、藤代は出版社に託された手紙を届けに来たのだった。
なかなか起きてこない宗一のため、浪川は「帰れソレントへ」を歌い上げる。最後はようやく起きてきた宗一にスポットライトが当たり、息子の手紙を読み上げてゆく……。
どう考えても作家自身のパロディ的な作品なのだけれど、まあ食えないお人だ。この人はまだ百本ぐらい書かれるんじゃないか。

9/21

寝た。それ以上も以下もなく。

9/22

うわあいきなり涼しくなるな
電車の混み具合からするに、大学が本格的に始まったのだろうか。いまの状態で人混みは本当に辛い。。

駒田隼也『鳥の夢の場合』(講談社)を読む。四人暮らしのシェアハウスから二人が出ていき、残された初瀬と蓮水。それまであまり関わりのなかった二人だが、ある日蓮見が唐突に、自分は死んだので殺して欲しいと初瀬に頼む。初瀬が確認すると、確かに蓮見の心音は聞こえなかった。
そこから初瀬が蓮見を殺すまでの55日間が描かれてゆく。

言語化しづらい感覚の描写がとても秀逸だった。たとえば焚き火を囲んだ場面を回想するシーン。

火の粉がときどき爆ぜるのも、煙が暗がりに消えていくのも、何だか神がかった世界秩序の陰影をみているみたいに思え、焚き火はそれと向き合っているような気分をわたしたちからおびきだし、あいまいな会話がむしろ真に迫っていくふしぎな高揚をさそった。
(P10)

直接的に描写するわけではなくて、場の空気感を文章に落とし込んで伝えるのがすごい。


作中で特に重要と思われる要素が身体感覚。作品自体はずっと半覚醒みたいな、夢と現実の間をふわふわしてる空気感だけど、そんななかでも感覚描写は登場人物たちの実体感を主張している。

個人的に今刺さったのはこんな箇所。

わたしはここから一日かけて疲れていかなければ、回復もできない。
 なのにわたしがいつまで経っても起きなくて疲れられないから、身体がむりやり疲れさせてきた。
(P68-69)

最後の方は若干ドタバタしてたけど、全体的にはモラトリアムな雰囲気だった。