気付いたらもう2025年も終わってしまうのだけど、なぜか今年に限っては過去最高に実感が持てないでいる。ここ数日あんまり寒くなかったからなのか、あるいはテレビとか見てなかったからなのか。
先日とある会(フランスお土産のバターを食べてみるパーティー)に参加したときに、なぜか一人ずつ「今年の漢字」を言っていく流れになって、振り返りつつ考えていた。結局自分の番が回ってくる前に有耶無耶になっちゃって発表することはなかったんだけれど、考えて出てきたのがこちら。
過
過る、過ごす、やり過ごす。
なんとなくそれまで生きていられないんじゃないかと思っていた30の節目を超えて、でも自分に死んだりする勇気がないことは十分わかってもいて。そんな暗い気持ちをやり過ごすために、ひたすらじっとしていた一年だったと思う。
そして、自分にとって何かを「やり過ごす」ために欠かせないのが、本なのです。
これはスマホじゃだめ。SNSを見て落ち込み別の疲れが溜まってしまったり、気にしてないみたいなフリして余計に気にしてしまったりする。本を読んでいる時間、ネットから社会から切断されて、ただ目の前の文字に向き合っている時間。そういうものが必要なのだ。
だから、今年は今までに比べてかなりたくさん読んだと思う。読書メーターもReadsもどこかのタイミングで面倒になって、カウントを辞めちゃったけど……。(それでも一応、メモ帳につけている読書日記とInstagramの投稿だけは割と続いていたので、そこを数えれば大体わかるかもしれない)
たぶん(薄いZINEも入れて)80冊ぐらいは読んだだろうか。
しかし、前置きが長くなったが、自分がこの年の締めくくりとしてここに残しておきたいのは読んだ本ではなく、読めなかった本についてのことである。
読んだ本のことはメモや記憶を辿ればいくらでも振り返ることができるが、読めなかった本については放っておけば忘却の彼方だ。もちろん記録したところで読めるようになるわけでもないが、それでもいつか何かの手掛かりになるのではないか……という淡い期待も込めて。

↑作業デスクのはずが、積読デスクになっている机その①。ここには50冊ぐらいあるが、全て未読本。
文フリで買ったZINE、多数
ZINEって薄いからすぐ読めそうだよな〜って思いがちだけど、その「いつでも読めそう」が逆に邪魔をして、読めなかったりする。これは他の本でもそうで、ずっと手元にある買った本よりも、図書館で借りた本の方が明らかに読了率が高い。やっぱりなんらかの期限が必要なのかもしれない。
しかもZINEってどれだけすぐに読んで感想を投稿して作者に届くか……みたいな雰囲気を感じてしまう部分があって(自分だけかもしれないが)、それって結局自分の承認欲求に利用しちゃってるだけじゃないのん? などとぐるぐる考えて、読めない。
他にも読めない理由はいくつかあって、例えば手元にある碇雪恵さんの『本の練習生』や読書会人『読書会ZINE』はどちらも多和田葉子の作品に関するZINEなのだけれど、肝心の多和田作品を読めてないので読むのを躊躇ってしまう……ということもある。
そしてZINEは薄いが故に、積むとマジでどっかに行ってしまう。
すぐ読める以上の量は買わないのが良いんだろうなぁ。
『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』
ジャミル・ジャン・コチャイ 著, 矢倉喬士 訳『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』(河出書房新社)も確か読めなかったはずだ。あらすじにある「いつまでも死ねない老女を見守る天使と地球(「ヤギの寓話」)。サルに変身し反乱軍を率いることになった青年の数奇な運命(「サルになったダリーの話」)⋯⋯。」というあたりに全く記憶がないので、たぶん残り二話ぐらいのところで挫折してしまった(というか返却期限が来た)のだろう。
今年は本格的に海外文学を読もうと決意した年だった。何を読めばいいのか全然わからないので、とりあえず書店員がSNSでレコメンドしてるものを何冊か選んで、アンドレア・アブレウ 『両膝を怪我したわたしの聖女』もアリ・スミスの『秋』と『冬』もマラマッドの『レンブラントの帽子』もソーンダースの『十二月の十日』も読んだんだけど、なぜか『きみはメタルギアソリッド〜』だけは読了できなかった。
たぶんかなり初期に手を出した本で、こういう純文学系の海外文学に慣れてなかったからかも。
というか今思い出したけど、アダニーヤ・シブリー(山本薫訳)『とるに足りない細部』(河出書房新社)も確か途中で止まっちゃってた。西洋以外の文学にまだ慣れてないのもあるかも。
『GOAT』、『スピン』、『本の雑誌』、『波』、『図書』
ページ数と数量的に一番ヘビーな積読になっちゃってるのが文芸誌系。『GOAT』に関しては創刊号を初日に買って勢いよく読み始めたものの、対談パートあたりで止まっちゃって、そうこうしているうちに2号も3号も出てしまった(しかも『GOAT Meets』も買ってる)。いや別に通読を目指さなければいいんだけど、文チャレ(文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ)の癖がまだ抜けずにいる。『スピン』も同じく。
『本の雑誌』は4月のエッセイ特集号で面白いなと思って(通読した)、エンタメ界隈ももっと知るためと思って5〜12月号まで揃えたものの、1ページたりとも読めていません……。(ちなみに文フリで買った『神保町日記』も積読。。)
『波』と『図書』は、無料でもらえるのに面白いじゃん! と思って一年間集め続けた結果、文芸誌4、5冊分ぐらいに相当する積読山になってしまった。しかもその上、県内では入手できない『ちくま』の12月号がちくま文庫40周年記念で善行さんのエッセイとかが載っていて、読みたいな〜と思って購読を申し込んでしまった、ので、来年は1年間『ちくま』が手元にやってきます。はわわ。
『文學界』
文チャレの名残でなんとなく読み続けていた『文學界』。10月号までは通読してきたものの(頑張った)、この秋冬はなんか手をつけられず、いま手元には『11月号』『12月号』『1月号』が積まれている。ぎゃわあ。
読み始めたらそれなりに楽しく読むんだけど、そこに行くまでがな〜。そして2026年号からは紙面もリニューアルしちゃって、ここ2年親しんだフラットデザインじゃなくなってしまった。装丁って読書モチベーションにとってかなり重要なので、ここで止めちゃってもいいかなぁ……と思いつつ様子見。キリがないし、文芸誌を毎月読んでると、それ以外の本がほとんど読めない問題があるので(だから通読しなけりゃいいんだけど…)。
ちなみに『11月号』は 今日ちょっと読み始めて、特集がAI特集で初っ端の村田沙耶香×栗原聡「AI倫理の先にあるもの」がもうすっごい面白くて、これは読めるなという確信を得た。

「書くこと」の哲学
滅多に新刊で本を買わない人なのだけれど珍しく買ったのが佐々木敦『「書くこと」の哲学』(講談社)、だったはずだが、読みきれなかった。いや、読もう読もうとは思って棚とか収納に入れず、ある時は枕元に、またあるときはファンヒーターの上に……とあちこち移動しているものの、他の本を優先してしまい、年内には再開できず。
あとこういう「読んだら〇〇できるようになる」と帯で謳われるタイプの本、何か学ばなきゃ感を感じてしまって、「読んだけど何も身に付かなかった」が怖くなっちゃう心理みたいなのがある…のかも……?
千葉雅也『センスの哲学』を2年積んでいるのも似たような理由かもしれない。

↑積読ボックス7個。ここに入ったらきっともう数年は出てこない……
国語便覧
数研出版の『改訂版 プレミアムカラー国語便覧』もそういえば買ったのだった。ブームだから売り切れちゃうかなと思って。
最近ちょくちょく戦後文学も読むようになってきたので、もっと作家について知らなきゃなあと思って買ったのだが、今年は開かず。というか、袋からも出てないじゃん。
『太陽の子』
灰谷健次郎『太陽の子』(新潮文庫)。これは戦争に関する読書会の課題本になっていたので読み始めたのだけれど、結局読書会には行けずに、読了もできなかった。栞代わりに挟んだ参院選の投票済み票が92ページに挟まっている……。







