
戯曲を読んだり、寝つきが悪かったり、小劇場に初めて行ったりした。
5/11
生活リズムが大崩壊している。寝溜め→寝れない→寝不足のスパイラル。2時とかに寝たので頭が重い。
先日の公演で買った唐十郎『鉛の兵隊』をちまちま読む。文字で見ると勢いやナンセンスさが低減される一方で、テーマの核心みたいな部分は見えやすくなるかもしれない。アイヌ語が多数出てくることの意味を考える。
お昼、郵便局で自動車納税。この時期はお金なくなることが分かってるのに、毎年ブックオフやらAmazonセールで散財しカツカツになっている。こんなだから何年働いても所持金が全く増えないわけだ。いい加減学ばないといけない。
今年はあと車検と……。パソコン買ったら収入プラマイゼロになりそう。
帰宅。ゴミを捨てに行き、そのまま10分ぐらいのお散歩をする。
群青の空(チャッピーに写真で聞いた。群青ってもっと濃いもんだと思っていた。こういう時、便利)とポツンと立つ街灯を映してゆらめく水田。あたり一面のカエルの鳴き声。ほのかに甘い花の香り……。
あ、これだわ。と気づく。散歩じゃん、足りなかったの。通勤で歩いてるから大丈夫と思っちゃっていたけど、そうじゃなかったんだ。散歩をしなきゃダメだったんだ。
運動とかの問題ではなくて、頭の中を整えるのに散歩が必要な人間なんだ自分はきっと。ごっちゃりごちゃごちゃとした頭の中を掃き平すのに、散歩が不可欠なんだ。
思えば今までも、底つきから少しずつ上がってくる時期にはいつも散歩をしていた。こういうことを何でか覚えておけないから、書いておかなきゃいけないと思った。
そしてもう一つ、考えが来た。
「自分で嫌になる振る舞い」の根底にある気分について。その時々によって「寂しさ」とか「構ってほしさ」とか「自意識」とか、色々な言葉を当てはめて自己理解しているけれど、いましっくりくるのは「分かって欲しい苦しみ」かもしれない。その苦しみ自体を言語化するのは難しく、そしておそらく完全に伝えることのできないものだと思う(頭の中に吹き溜まった塵のようなもの)。が、苦しみを少しでも誰かに分かって欲しいと思う気持ちが私に取らせる行動、を自己嫌悪しているのではないか。
そのような図式化が行われた。あくまで「今しっくり来る理解」であるが、こう捉えることで少し俯瞰して楽になれないだろうか。

5/12
一日中運転をする日だったが、寝不足。最近本当に睡眠ができない。
隙間時間に古本屋へ寄ると久々に荒川洋治『忘れられる過去』があったため発掘してきた。
5/13
午前中に片付けをして昼から読書会へ……というつもりでいたが、いつも通り動けず午前中はパーに。読書会はかろうじて行けた。『やし酒飲み』を紹介されていた方がめっちゃオモロいという話をしていて、いい加減読まねばなぁと思う。積読の海のどの辺にあったか……。あと鯨庭さんの漫画『言葉の獣』も紹介されていて、非常に気になったので後ほどブックオフへ行って買った。
諸々終えて片付けをやろうかと部屋を見回すと、ちょっと前に片付けた時から死ぬほど悪化しており頭を抱える。GWのブックオフ巡りのせいで足の踏み場がまた減っている。溜め込みが加速しており、大変やばい。
5/14
今日も今日とて寝不足のまま出勤。重いのは読めないので唐十郎『鉛の兵隊』をちまちまと読む。ペット・セメタリーの件は改めて考えるとアイヌに対する蔑称の要素も連想され、だから七々雄はキレたのかなと思ったりもする。アイデンティティをめぐる物語だというのを強く感じる。
午前中はしばらくぶりの死にたさに見舞われており、いっそもうひたすら死にたさについて殴り書いたZINEを今度の即売会で出してやろうか、という気持ちになっていた。この気持ちはやっぱり、誰かにわかって欲しいということなのだろうなぁ。
5/15
朝のニュースで円形校舎の保存活動についてやっていた。校舎として現役のものは五校しかないとかなんとか。戦後にコスト面での利点から各地で建てられたものの、増改築のしにくさなどで廃れていったというのを初めて知った。
『鉛の兵隊』を読み終え。最後の「ケェン」は届いていたんだな。実際に見たときよりも少し希望を感じる。
明らかに今日から、足先の汗が不快になってきた。多汗気味なので冬以外は通気性重視でサンダルを履いているのだが、それでも。
帰りの電車は空いていた。船張真太郎『いらっしゃいませ、今から授業を始めます。』を読む。ブタコヤブックスさんの開業日記第二弾。
『随風』のときも書いたけれど、個人的に船張さんの文章は激推し。マジで面白い。古民家の天井ぶち抜きでハムナプトラ状態になったり、百貨店で教卓を買ってフロアを疾走したり。それ自体はまあそういうこともあるよなぁという場面場面なのだが、それをオモロく文章に落とし込むセンスが天才。
5/16
車通勤したため電車読書はなし。足先が暑いので今年もダイソー扇風機を設置。でもあんまり座ってないので意味がない。
帰りにブックオフへ寄ったらついに筒井康隆『笑うな』を見つけて買う。
寝る前に森バジル『探偵小石は恋しない』(小学館)を読み始める。正直本屋大賞ノミネートでは一番気になった作品。
プロローグで(おそらく両親が離婚しなそうな)女子高生二人の会話が描かれたあと、何の脈略もなく始まる本編。美人だが性格が面倒な探偵事・小石と同僚・蓮杖の元に、女子高生からの不倫調査の案件が舞い込み…。
ここで一つ展開の予測が立つが、果たして…と思いつつ読み進める。
急に新情報。「小石には、そのペアが相思相愛であることが、見るだけで分かる」(P32)
何それ能力者?
5/17
9時半に起き、掃除したり夏服を出したりしているとあっという間にお昼になった。14時からの舞台を見るために電車に乗る。いつもスルーする駅で降り、歩いて2分の小劇場。初体験だ。
劇は野田秀樹作「売り言葉」。元々一人芝居として書かれたものを三人で上演するという。はじめに前説があり、高村光太郎・智恵子の関係性や『智恵子抄』の読まれ方についてレクチャーを受ける。「知らないとわけわからないと思うので」とのこと。親切だ。
女学生らしい和装で登場する三人の役者さん。智恵子が自転車で爆走する場面から始まる戯曲である。ハンドルを持って走り回る智恵子と、その噂を喋る街の人々。そんな役割分担でこのまま進むのかと思いきや、智恵子役が次々と交代してゆき混乱。目力の強い智恵子もいれば、ベテランの凄みがある智恵子も。これはこれで多面性を表しているようで面白い。
作中で特に印象的なのが福島弁の使われ方。「智恵子」は訛ると「つぇえこ(強え子)」となるのだが、新しい女としてバリバリ活躍しながらも次第にそのしがらみに囚われてゆく。そしてそんな智恵子に追い打ちをかける存在として描かれるのが光太郎の詩である。詩の中に描かれる智恵子の姿はどれも理想化され(「あなたはだんだんきれいになる」)、芸術家として限界を感じる智恵子を苦しめてゆく。
このあらすじだけ見ても作中で光太郎がどれだけ悪く描かれているのかが滲み出ていると思うが、その演出の意図がはっきりと分かるのがクライマックス、光太郎の戦争詩が畳み掛けるように投影されてゆく場面である。
光太郎が紡ぐような美しい言葉は、時に人々を縛り、傷つけ、恐ろしい行動にまで駆り立ててしまう。
この戯曲をさまざまな言葉が人を動員する現代に再演することは、大きな抵抗であり、力を持つものに対する「売り言葉」なのではないか。…なんて劇評みたくまとめてしまいたくなるけれども。
小劇場の距離が近い空間だからこそ浴びれる迫力が良かった。

