行けるかな〜と思ったらダメだった。降られた。慌ててレインコートの上だけ羽織ったけど、濡れた。二輪と雨は相性が悪い。
そんな滑り出しだったからか、一日中なんとなくぼーっとした感じで、張り合いがなく、消化試合的な土曜日だった。
8月に燃え尽きてコロナになって以降ずっとぼーっとしてる感じは続いている。
『一箱古本市の歩き方』を読んだ。来月は久々に出店するし、ここいらで文脈を振り返っておくかー。という動機で。
光文社新書の2009年の本だが、いまだにブックオフで見たことがない。人気なのか、そもそも少ないのか。
本屋を巡ったり、本屋本を読んだり、イベントに行ったりしてなんとな〜く「本界隈」みたいなものを知ってきた気がするのだけれど、その黎明期の様子が描かれているのが面白かった。今や独立系書店の代表格であるTitleの辻山さんがまだ名古屋リブロにいて、そこからBOOKMARK NAGOYA、現在の「円頓寺 本のさんぽみち」につながるイベントが始まったとか。その共同企画者だった黒田さんと岩上さんが今はON READINGを開かれていて、一箱に参加していた当時はオンラインだった徒然舎さんが今は店舗を持ち、そしてその二組が「岐阜駅 本の市」を運営されている……といった感じで、形を変えつつも脈々と続いてるんだな〜!っていう感動がある。
ところで、著者で一箱古本市提唱者の南陀楼綾繁さん、実は地元にも来ていたらしい。
一度だけ一箱古本市が開催されたらしいけれど、当時は本のイベントに全然興味を持っていなかった、というか完全に自分の中に閉じこもっていたので知らなかった。それはこの本が出た後のことなので、残念ながら書かれていない。
本書が出た15年前と今ではさすがに色々変わっているところも多いと思うが、その中でも特に大きな変化なのが「シェア型書店」の登場ではないか。一応本の中にも岡崎武志さんとか浅生ハルミンさんが「店舗内店舗」で本を売っている、というような話は出てくるのだが、書店の棚が著名人以外にも開かれたのはここ4、5年ぐらいなんじゃないかなーという気がする。
他にも小出版社の開業とか、文フリなどで本を作るハードルがぐっと下がったこととか(本書では「ミニコミ」という言葉が多用されているけれど、これもほぼ死語ではないか)、色々な変化はあると思う。
(ちなみに円頓寺は今年から瀬戸でのイベントも増えて、そちらでは自主制作系の即売会もあるとか。やっぱり売るから「作る」へシフトしてるところはあるのかなあ。一箱古本市も本を売ると言いつつ「自己表現」っぽいところはあるし、根本では似たようなものなのか?)
その辺を踏まえて、もう一度いまの本界隈を俯瞰するような本が出てくれたら嬉しいな。田舎にいるとそういう情報は全然わからないんだもん。
続いて、『文學界9月号』はだいぶ苦戦している。もう10月号が出て2週間というのに、まだ先月の半分のところ。
短歌特集だから楽しく読めるかな〜なんて思ってたら大間違い。短歌だからこそ、難しい。短歌自体を読むことの難しさもあるし、短歌批評を読むのがさらに難しい。今までどれだけ頭空っぽで短歌読んできたんだ、と殴られるようだ。
25日までには読まねばならない。