
楽しいこともあったが死ぬほど辛いこともあって、情緒がめちゃくちゃになってしまった。
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猛暑がやっと終わった。終わったよね?
寒暖差は急に来る。昨日より五度低いなんて言ってるけど、それでも普通に三十度台。朝は少し涼しかったものの、日中は外にいたら普通に暑かった。
定時で即退勤して今日も長岡花火を見る。自宅でゆっくり見たので回線も途切れたりせず。
実況佐野アナの持ちネタ(?)、「チタンさんアルミさん」(※金さん銀さんモチーフの花火をあえて火薬成分で呼ぶネタ)なども聞けて満足。昨日より煙の流れも良くて終盤は特に綺麗だった。残念ながら青いフェニックス(※見つけたら幸せになれる青い鳥型の花火。どこかで打ち上げられる)は見つけられず。アーカイブ何十回か見て探さないと…。ピーク時は同接が22万とかになっててすごかった。日曜の昨日より多い。
最後の最後で音楽が流れたのに花火が打ち上がらないというハラハラするハプニングも起きていて、いくら機械化されていると言え難しいんだなあと思った。たぶん定刻より早まってしまったのが原因かもしれない。
花火が終わった後はそのまま交通情報バラエティこと「FMベスビアス」を続けて見る。この時点でも視聴者が1万人近く。半分くらいは多分県外勢でしょ。全然離れた土地の交通情報をこれだけの人が聞いているの、面白すぎる。もちろんパーソナリティ二人の掛け合いが面白すぎるからなのだけど。
調子に乗ってお便りを送ってみたらほぼ最初に読んでもらえてびっくら。
アルミさんチタンさんは57:00ごろ〜
一面の曇り空。今朝は格段と涼しかった。なんならもう秋が来たのかというぐらいに感じられて、ちょっとしんみりしてしまった。こういう気候の日に奈良の山辺の道なんかを歩いたら最高だろうなぁと。あるいは鞍馬から貴船の山を越えたり。あの辺をあちこち歩いていた日々が懐かしいぜ。今だったら熊対策が必須だろうなぁ。
昨日も0時半まで番組を見て、そっから寝たのが1時過ぎだったので、超寝不足。最近ずっと1時過ぎに寝ているような気がする。いかんなぁ。
朝の(一本後の)電車では本を取り出す気力も出て来ず、マリカ64のサントラを聴きながらうつらうつらしていた。
双葉社が文芸誌を出すというニュース。こないだU-NEXTもWeb文芸誌出すとか言ってたし、明らかに『スピン』『GOAT』『アンデル』の後追いだよなー。それってつまりいろんな作家が読めてお得という文芸誌のメリットが認知されてきた一方で、もはや作家一人をめちゃくちゃ売るのは難しいという世知辛い事情もありそうだ…。
文芸誌関連でもう一つ、『新潮』の9月号が演劇特集。これは知人が絶対買いそう。
2時半ぐらいに寝たけれども定刻の電車には間に合った。やはり睡眠時間よりもタイミングなのかもしれない。
7時台に朝ドラをやっていて不思議に思ったら、8時からは広島平和記念式典が始まった。そうか、もう8月6日なのか……。
冒頭では各国が核に接近しているという現状をナレーターが話していたが、その流れで日本のことも言わなきゃダメだろうと思った。
初参加の高市首相は非核三原則を持つ国としてNPTを主導するとか言ってるが、どの口がぁという感じ。スピーチがあまりにも「スピーチ」すぎる。語尾を柔らかくするとか強調は強く…といったテクニック的な部分ばかり力を入れていて、思いが乗ってないのが見え見え。キャスターとしての経験もあってそうなるのだろうが、これじゃあなあ。
その後の横田知事のスピーチ。核抑止は成り立たない、人類と核兵器は共存できないとはっきりと述べられており、内容がちゃんと伴っている。
ちなみに過去の首相との比較で見ても「堅持している」という現状の言及にとどめた弱さがあるとのこと。
友あり遠方より来たりて、恭しく足を務めさせていただく。
専門学生時代の友人で、ちょくちょく連絡はしているものの会うのは2年ぶり。前はこちらから向こうへ伺ったのだが今回はその逆である。有給をとり迎え入れた。
駅で落ち合ってから、彼が一度は見てみたいという宿場町へと走る。道中たびたび学生時代のことが話題に上がってくるのだが、私の記憶力が大変貧弱すぎるため、5、6年前のことすら覚束ない。人名が出てくるたびに「それ誰だっけ?」と内心思っていた。たぶんこういう思い出話をする人がいないので余計に記憶が消えてくのだろう。
その宿場町はすでに何度か行っており、コンパクトでそこまで見どころも多くないことを知っていたので、「大したもんではないし、おかげ横丁をイメージしてはいけない」と口酸っぱく伝えてはいたのだが、いざ行ってみるとそれなりに満足できるもので安心した。彼が歴史好きだったのも良かった。一人では素通りしてしまうものにも気付くことができる。何人かで出かける楽しみだ。
お昼に入った定食屋で「わらじカツ」を頂く。お値段そこそこだったのだが、いざ届いてみると手のひらサイズのカツが二枚。箸で持つとずっしりと重みを感じる。しかも次から次へと出てくるサービス。シャイマスカットが入ってるからお付けしますね。特別にドリンクもお付けしますよ。お値段以上すぎるランチだった。

街歩きを十分楽しんだ後は銭湯へ。誰かとお風呂に入るのも数年ぶり。この銭湯はそこそこ有名らしく、というのもサウナの「梅湯」を運営するゆとなみ社が3年前に営業を引き継ぎリニューアルしたのだという。
小ぢんまりした休憩フロアには様々なグッズやドリンクが売られ、浴室にはスタッフによる手書きの壁新聞が貼られている。とても今風なレトロテイストだ。そして建物自体は大正初期の建築という正真正銘の歴史建築。

浴槽もコンパクトな湯船がいくつか並んでいる感じで、全身ぐーんと伸ばしてくつろぐみたいなことは難しかったが、平日の夕方、窓の向こうに西陽に照らされる屋根を見ながら、吹き込んでくる風に涼むのはとても情緒があり、良かった。
脱衣所もレトロなのだが、ドライヤーは最新のやつで音がすごく静かだった。電源を切ったらシュンっとすぐに止まったのが感動した。今のドライヤーってこんななんだ。
疲れすぎて電気をつけたまま寝てしまっていた。朝の天気予報によるとしばらく猛暑は鳴りをひそめるとのこと。助かる。
『百年文庫24 川』を読み始める。最近サボっていたのでまた完読が遠のいている。
織田作之助「螢」。親と生まれたばかりの妹も相次いで失った登勢は、これからも自らの人生には「不幸」が降りかかるものなのだと諦観している。
伯父に引き取られた後に伏見の船宿、寺田屋へと嫁ぐ。病に伏せりながらも小うるさく色々指図してくる姑に、潔癖症で掃除ばかりしている夫と周囲に恵まれない中で女一手に寺田屋の経営を引っ張っていく登勢。娘をコロリで失ったり育てた拾い子が実は小姑の娘で連れていかれたりと不幸は続いていくが、とある事件をきっかけに、宿に集う浪人たちに心を開いてゆく。で、薩摩藩からこの男を匿ってくれとやってきたのが坂本龍馬で……寺田屋ってその寺田屋か!!
歴史に疎すぎてここまで全然気づかなかった。お登勢は実在する寺田屋の女主人だったのだ。
映像によるアーカイブ・EPADの上映があるので観に行く。初めて降りる駅は改札を出てすぐに稲荷神社の赤い鳥居が続いている。ちょっと気になるのだが時間もないので参拝は後回し。文化センターへと急いだ。
ここは廃校を活用している施設なのだが、廃校になったのは2014年。そして建物自体は1990年に建て替えられているので非常にモダンな感じがする。まさか20年で廃校になるとは思わなかったのだろうか…。

上映は「視聴覚室」で開催される。ここも小学校にしては広いしスクリーンも大きい。映画館じゃないので完全に真っ暗にはならないものの、これはこれで懐かしい感じ。
午前の部はiaku「モモンバのくくり罠」。動物園の飼育員見習いの駿介は、猟師の小野田に連れられて山中の民家へとやって来る。そこは夫と娘とは別居し、一人で自給自足の生活を送る真澄の家であった。
この駿介がいちいち余計な一言を挟まないといられないタイプで、山中暮らしの二人に比べて圧倒的に貧弱な現代っ子。序盤はそんな価値観のすれ違いが場を掻き回すコントのような展開。関西弁のテンポ良い応酬が心地よい。
そんなユーモラスな空間に影が差して来るのが、真澄の夫・修と娘の椛が登場する場面。暗い山道を運転する二人の会話からは、修が何かしら後ろめたさを抱えていることが見えてきて…。
やがて全員が一堂に会してからはもう、感情の大爆発。よくあのコント空間からここに持ってこられるなぁとびっくりしてしまう。この本音のぶつけ合いがiakuの十八番ということらしい。
それぞれの人物がそれぞれに言いたいことを抱えているのだが、その中でも重要なテーマになるのが椛の想い。幼い頃から自給自足のなかで育てられた彼女は街に出てもどこか浮いてしまう。望むと望まざるにかかわらず、そのように育てられたこと。親の価値観を「植え付け」られてしまったことに椛は憤る。
この場面で脳裏に浮かんだのは、ローカル誌に記事が載っていた猟師の親子のこと。山の多い県なので、「子どもの頃から鹿を解体したり鶏を絞めたり」という家族、普通にいるんだよな。もちろんそれは命の尊さを教えるという親の教育方針によるもので、大人から見ればそれもひとつの生き方という感じなのだけども、子どもにとってその「当たり前」がどう作用するかなんて分からない。作中の椛のようにやがて「普通」を切望する可能性だってあり得るだろう。
そんな葛藤にぶつかった時にどう乗り越えていくのか。そして大人はどう彼らに接すればいいのか。そんなことを考えさせられる作品だった。
お昼に時間があったので二駅先の繁華街で吉野家へ行き、ついでに散髪も済ませた。本屋にも行った。
そして再び会館へと戻り、今度は範宙遊泳「バナナの花は食べられる」を観る。三時間越えの大作。スタッフの方の前説では休憩があるかもとのことだったが、結局無くてぶっ通しだった。
元詐欺師の男、穴ちゃんこと「穴蔵の腐ったバナナ」は正義感に燃える男。
マッチングアプリの「ツンツン」でネカマをしておっさんから金を巻き上げていた「百三一桜」を改心させ、共に探偵業を始める。その目的は売春の元締め的存在であるミツオを改心させることだったが、ついに見つけ出した彼は記憶と声を失ってしまっていた。
マッチングアプリでセックスワークをしていた「レナちゃん」と元ミツオ、現「クビちゃん」も事務所に加わり、やがて彼らの目的は穴ちゃんが一目惚れした女性・アリサを見つけ出すことになる。
序盤からかなり激しい動きが出てきて俳優さんたちも汗びしょびしょなのだが、そんな状態で上着を着る場面があって鬼畜やなぁと思った。
穴ちゃんとアリサの再会シーンではなんと桜と穴ちゃんのギタープレイが聴けるのだが、なんでこんなうまいの?
そして映像ならではのカット割の多用。引きが映ったかと思えば溢れる水のクローズアップとか、一体何台で撮っているのかと。ここまで来ると舞台というより映画だなと思った。これ込みでの演出になってる。
割と序盤の方から「穴ちゃん」が死ぬことは明かされているので常にどこか緊張感は続いているのだが、アリサとの決定的なすれ違いを経てから全てがガラガラと崩れてゆく展開は胸が苦しい。
AAでアリサと出会った過去のシーンからも伺えるようにアル中だった穴ちゃんは、禁酒をやめて緩やかな自殺をしてしまうのだ。
本作の重要なテーマは、フィリップ・マーロウの言葉を反転させた「優しくなくても、生きてていい」という一言に集約されている。
元詐欺師の穴ちゃんや桜、売春を斡旋していたレナとミツオ、サディスティックなプレイを行うアリサ。加害者としての面を持つ彼らは幸せにはならないのか。生きる権利はないのか。
クビちゃんが繰り返す「俺、必要?」の問い。
それらをひっくるめて最後の最後で一つの肯定が与えられるのは、過剰な責任社会に対する問いかけのようにも感じられた。