別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240421雑感

ヴィヴィアン・サッセンについて書かねばならない。私が今日費やした5000円前後の交通費、700円の食費、1500円のチケット代は全てサッセンのためであったと言っても過言ではない。それぐらい強烈な体験だった。ヴィヴィアン・サッセン。


休日の朝なのにいつもより早く家を出なければならないというのがもう憂鬱すぎるのだが、行くと決めたら行く。その程度の意志力はかろうじて残っているらしい。
ただ毎度の如く何かを忘れる自分は今回モバイルバッテリーを不携帯。私のスマホはすでにバッテリー容量80%で、家と職場を往復する分では特に問題ないが、遠出をすると一日は厳しい。いや、なんか行きの電車の中ですでに50%代になっている。無理じゃん。

出鼻をへし折られつつも、なんとか京の地を踏んだのは11時前。近鉄から地下鉄の乗り換えは初めてだったのだが、向かい側の電車に乗るだけだったので楽ちん。やはり観光客は多くて大変だあと思ったけれど、東山で降りると思ったより人通りは少ない。
何度か歩いているはずの坂道を上り、でかい鳥居を目印に神宮方面に向かう。ちっちゃいギャラリーなんかには何度か来ていたものの、京セラ美術館は初めて。向かいの近代美術館では富岡鉄斎、そして京セラ美術館はではお目当てのKYOTOGRAPHIEの他にジブリ展をやってたもんだから、どえらい人がいた。あの行列は絶対並びたくないなぁと思いながら、写真の方はすんなりと入れる。

京セラでは川田喜久治展と、川内倫子潮田登久子の展示を観た。
川田さんは御歳91歳でありながら、バリバリ作品作ってインスタなんかにも投稿していてすごい。初期の作品からインパクト強めで社会派のものが多いのだが、近作はカラーの多重露光やコラージュ的なスタイルで、これがすごい。言葉にするのが難しいのだけれど、スナップ的な感覚の延長にありつつ実験性とメッセージ性が高い作品。

続いて潮田さん。以前「日本の写真家100」的な展示を観たときに知ったのだが、代表作は冷蔵庫の定点観測シリーズである。様々なご家庭の冷蔵庫の外観と、扉を開いた様子の写真がセットでズラッと並んでいる。冷蔵庫のトポロジーだ。
ざーっと観ていて何となく法則性が感じられたのは、「書類をベタベタ貼っている冷蔵庫の中身はだいたい汚い」という、まあそうだろうなというもの。実家のも……。
作品が撮られたのがおそらく四十年ぐらいは前なので、微妙にレトロな冷蔵庫のフォルムや中身の食品がかわいい。今の冷蔵庫って、かわいくないよね。
またインスタレーション的に、子どもの遊んでいたおもちゃなんかが飾られていて、これも刺さる人には刺さるだろうなぁと思った。

続けて川内倫子滋賀県美の『M/E』以来だが、今回は祖父が亡くなるまでを撮影した「cuicui」と、子どもの成長を撮った「as it is」に絞られた展示だった。
個人的にas it isは結構好きなシリーズで、他の作品では「生と死」の「死」の生々しさが結構あったところが、このシリーズぐらいからは「生」の方に重きが置かれていて、見ていてすごく幸せになれる。
そして展示方法。ただでさえキラキラしてる川内さんの写真を光らせるのはもう、ずるいよ。最強だよ。

以前の展示の時に知って驚いたのだけれど、川内さんは写真を撮る際にほぼ動画もセットで撮っている。あのキラキラの画面がそのまま動く映像で残っているのだ。これがもうすごい。
今回は「as it is」のお子さんが生まれてから3歳ぐらいまでの成長の映像が投影されていて(所々に虫とか自然とかが挟まれるあたりが実に川内さんらしい)、これがもう本当に良かった。こんな幸せで美しい映像があっていいのか。猫と戯れるこども、羽化するセミ、木々の中を舞う綿毛……こんなふうに世界を見ることができたら、ずっと生きていたいと思えるんだろうなあ。センスオブワンダー。

自分はすぐ影響されるので、美術館を後にして歩きながら撮った写真がさっそくもう川内さんっぽかった。

そしていよいよ、語らねばならない。ヴィヴィアン・サッセン。今調べたところ、自分が展示を見ていた時間にちょうどご本人によるワークショップが行われていたようだ。ヴィヴィアン・サッセンから直に教えを乞うの、贅沢すぎる。(もちろん、お値段や参加条件も贅沢である……)

まずすごいのは、会場の京都新聞地下である。九年ぐらい前まではここで新聞を刷っていたらしいが、新聞工場ってこんなにメタルでサイバーパンクなのか!? という無機質な感じ。そこにサッセンの原色バリバリの作品が並んでいると、もうとにかくインパクトが強い。映像インスタレーションの重低音や朗読の声が響く地下空間は、完全に日常から切り離された異界である。

正直に言うと、そこまでヴィヴィアン・サッセンという写真家について知らなかったし、あえて写真を見ようとしたこともなかった。だから実際のプリントを見たのは初めてなのだが、もうとにかくめちゃくちゃ写真が上手い。

ハイライトは飛んでおらず、シャドウは潰れておらず、なのに眠くなくて引き締まっている。一体どうしたらこんな写真が撮れるのだろうか。機材がいい、というのももちろんあるだろうけれど、何よりも光と色彩への微細な感覚がすごいんだと思う。ギリギリ埋もれない色の対比。暗い背景に肌の暗い人を置いているのに、こんなに分離されている。

そしてその色彩感覚は、ペインティングの領域において神がかったセンスを発揮している。
たぶん、今まで見てきたフォトペインティングの中で一番上手い気がする。これぐらいじゃないと、あえてペイントする意味が出てこない感じ。

そして展示の中ではプロジェクターもフル活用されている。ソニーのめっちゃ良さそうなプロジェクターをたぶん10台ぐらい使っていた。贅沢である。

これ、すごいのは2台のプロジェクターを交差するように九十度の壁に映しつつ、映像が左から右に流れて、かつ角のところで全く途切れずにシームレスに動いているという技術。そしてその展示方法をフル活用する、写真の繋げ方。この場面だと影のフォルムで3枚の写真が繋げられている。

これなんかもうどこにどう投影してるのか全然分からない。こんなごちゃごちゃしたところに映しても作品として完成できてしまう色彩の豊かさ。

とまあここまで技術的なことばかり書いてしまったけれど、ハイレベルなアート作品ってもはやコンセプトとかなんとか以前に圧倒的な美があるんだと思う。もちろん作家としてはなんらかの問題意識を持って制作に取り組んでいるのだと思うけれど、日頃アートに親しんでいない人間には、刺激が強すぎる。


今日は結構頑張って歩いた。東山から歩いて堀川御池まで行ったら、案の定スマホが充電切れして、コンビニで充電器を買う羽目になった。まあ、乾電池式は防災用に一つ欲しかったから……。
で、堀川御池のギャラリーにはKG+の展示に加えて、SIGMAマーケティング部が所蔵している1970年代〜2024年までの写真集が閲覧できるコーナーが設置されていて、ここもすごく良かった。なんならここだけで一日いられるで。
写真集が見たかったらカメラメーカーのマーケティング部に就職するというのも一手なんだなというのがわかった。(都写美とかの図書館も充実してるはずだけど)

写真文化に関しては本当に都会と地方の格差がすごい。田舎の図書館にある写真集ってさ、自然か歴史系だけじゃなん。あれ本当にどうにかならないものか。(自然や歴史写真集が悪いんじゃなくて、それしか選択肢がないのが)
確かにアートブックは高いし、選書するとなると知識も必要なのだろう。でもさ、もうちょっと頑張って文化度を上げてくださいよ。
そんだから、いずれは自分なりのアートブックライブラリーなんかを作れたらいいな、という夢はある。お金はない。

サッセンの図録、会場では売り切れてたけどAmazonにはあるっぽい。……買っちゃうか?

本屋巡りに関しては、北の善行堂さんと恵文社さんには今回も行けず。それ専用に時間を作っていかないと厳しい、片道3時間の県民。
ただ誠光社さんには行けました。『本のある空間採集』を読んで思っていたよりは小さな空間だったけれど、やっぱりすごく選ばれてるなあと感じさせる選書でした。街の本屋でありつつ、カルチャーの拠点としての自負みたいなものも感じられるお店。

ついでに三条のブックオフにも。やっぱり歴史系がすごい充実しているし、普通ブックオフに売ってない箱入りの本とかバーコードのない本も置いてあるあたり、実に京都の古本屋。この方向性で続いていってほしい。