別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

230127雑感

二度寝を見越してかけたアラームから15分後に起き、のんびり朝食を食べて家を出て、いつもと反対方向の電車に乗る。
土曜日だからか、県南部に向かう観光客はそれなりにいる。しかし急行の停車駅は少なく、こんな早かったっけ? と思うぐらい早く目的地に着いた。数年前までは毎日来てたはずなんだけどな。

さて、ここに来たからにゃ寄らぬはむしろ失礼ということで、古本屋さんへ向かう。車での訪問は何度かあったが、駅から歩くのは初めて。意外と近かった。一箱古本市の際は賑わっていた川沿いの通りも、普段の午前はまあ空いている。散歩にはうってつけだ。

店主さんとは3月の「岐阜駅本の市」の話などをする。古本屋枠で参加されるらしい。参加申し込みフォームに「最近読んだ本」の質問があって、漫画だったから素直に書いたけど、もう少しかっこいい本が良かったなんてことを話されていて面白かった。店主さんらしくていいんじゃないかなあと思う。
今後もイベントが続いていってくれたらいいですね、と言ってお店を後に。

近くのローカル食堂でうどんを食し満腹になった腹を抱えつつ、再び駅の方まで戻り目的地へと向かう。家々の軒先には真新しいしめ飾りが飾られていて、さすが聖地のお膝元。
ちなみに「蘇民将来子孫家之門」とはスサノオノミコトを快く家に招いた蘇民将来の伝説にあやかった、家のお守りである。

ダイダイ・譲葉・裏白なども揃ったフルセット。伊勢では年中飾るので、皆豪華なものを選ぶのかもしれない


15分ほど歩き、目的地であるギャラリーに到着。漫画家・今日マチ子さんの展示である。今日さんは2020年から「私の#stayhome日記」というシリーズで、毎週一枚絵を投稿されていた。そんな作品の一部の舞台になっている伊勢での展示が現在開催中。

今日マチ子さんを知ったのは確かKindleで見かけたCocoonがきっかけだったと思う。ざっくりした線で書かれた少女たち、ふんわりと朧げな色彩に惹かれて読んだら相当心を削られたのを覚えている。Cocoonはその後EPADで舞台版の映像を見たのだが、とにかく緻密な組み立てられた舞台だった。生で見ておけば良かった。
今日さん……っていうとややこしいのでマチ子さんが伊勢を描かれていると知ったのは確か地元の本屋・散策舎さんのツイートがきっかけだったと思う。一枚絵を描かれていることはなんとなく知っていたが、まさかこんなローカルな場所を描いていたとは知らず驚いた。

……という程度の知識しかなかったにもかかわらず、なんと今日マチ子さんと舞台版Cocoonの主演を務めた俳優・青柳いづみさんとのトークショーに当選してしまったので緊張しながら行ってきた。(ここまで導入)
会場である「かぐらホール」は旧郵便局の建物なのだが、高級フレンチなども入っていて「本当にここで……あってるよね??」とかなり場違い感を感じる素敵な場所だった。若い女の人ばかりだったらどうしよ〜〜〜!ってずっと思ってたので、おじさんも割といてくれて安心。

トークショーの初めに市長からの挨拶があり、そこでマチ子さんや青柳さんが伊勢に来たきっかけを知る。なんでも伊勢市ではコロナ禍に「クリエイターズワーケーション」として様々なクリエイターを100名ほど招致して、1〜2週滞在して制作などをしてもらったらしい。観光がダメなら文化発信に力を入れていく。そういうところが本当にうまい。私の地元は演劇文化は割と賑やかだが、それ以外にも何かこういう感じの面白いことをやってくれないかな〜。

さて、いよいよマチ子さんと青柳さんの対談である。職業柄表に出まくる青柳さんと違い、マチ子さんはメディア出演されていないので初めてお顔を拝見した。作風から勝手にふわっとした方なのかなと思っていたら、しっかりした感じの方で個人的には意外だった。青柳さんも舞台の力強さとはまた違う独特のダウナーさ。でもそのギャップが素敵。
トークのテーマとしては、やはり「コロナ」という存在が大きく取り上げられた。マチ子さんがそもそも一枚絵を描き始めたのもコロナがきっかけだったし、青柳さんはコロナであらゆる公演が中止になってしまったからこそ伊勢に長期滞在できることになった。(なお編集者の金城小百合さんもご一緒だったとか)
お二人は今まで(作ってきた作品のテーマ的に)戦跡ばかり行っていたので、このメンバーでゆっくり観光するのが新鮮だったとのことである。

ギャラリーで開催中の展示。塗り絵コーナーもあった。

さて、司会進行が編集者の方だったこともあり、トークではマチ子さんの制作スタイルを深掘りした質問などもいろいろ挙がっていた。マチ子さんは伊勢での滞在期間中、カメラを携えてあちこちを歩き回ったり、(青柳さんに連れられ)朝熊山に登ったりされたそうだ。外では絵は描かず、とにかく資料集めに奔走するスタイルだとのこと。青柳さん曰く「歩行速度が速い」。カメラを持つと謎のエネルギーみたいなのが湧いてくるのは自分もわかるな〜と思いつつ聞いていた。

マチ子さんの作品を見れば分かる通り、いわゆる「名所」的な場所はほとんど描かれていない。それはご本人も意識しているらしく、ポストカード的な構図を描くには実力不足というようなことを仰っていた。自分の解釈で補足すると、有名な場所や定番の構図は見る側もそれに気を取られてしまって、そこに別のメッセージを込めるのが難しい、ということかなと思った。もうちょっと踏み込むと、消費されてしまうのかもしれない。パターン化されたエモ的な。
また、絵日記の中にたびたび登場する人物や「天使」たちについてのお話もあった。キャラクターを配置することは、「見た場所をそのまま描いている」わけではなく「あくまで自分の想像」であることの表明ということだった。もちろん実際にその場に人物がいた場合もあるらしいが、基本的にはその時々に感じていることや、そこにいてほしいと思うキャラクターを描くらしい。これは単純に写真を撮るだけではできない、絵の強さだよなあと思う。
風景写真だと、どうしてもそこにあるものを主題にせざるを得ない。だからついつい「面白いもの探し」ばかりになってしまうこともある。それが悪いってわけじゃないけれど、「ここにどんな人物がいてほしいだろうか」と妄想するのはかなり斬新な視点だった。

今回のメインは今日マチ子さんの展示なので、どうしてもマチ子さんへの質問が多くなっていた。しかし青柳さんと二人だからこそ語られる「演劇と漫画」という表現方法の関わりについてもかなり面白いお話があったのでメモしておきたい。


「切り取り」について
漫画は基本的に四角い画面で世界を切り取るメディアだが、舞台も画面上に切り取った世界を表現すると捉えることができる。だから青柳さんや舞台関係者の方にとってもマチ子さんの切り取り方はとても参考になっているらしい。

「表現」について
マチ子さん:漫画では伝えたいメッセージを明確に込めているが、日記のシリーズは解釈を受けてに委ねている。天使など架空の存在が出てくるのも、そこに物語を見出してくれる人がいるから。日記にはコメントも付記しているが、本当は無しでもいいぐらい。
青柳さん:舞台において、自分が何を思って演じるかより観客がどう思うかの方が大事なので、人物の心情などより「音の流れ」に重きを置いて作っている。

(舞台版の「いっせーのーせっ」なんてまさにそれだなと思った)

「舞台と漫画」について
マチ子さん:漫画が演劇に対して原作だからというのではなく、対等な気持ちで制作している。演劇からは言葉の大切さや時系列の使い方を学んだ。(特にマームとジプシーの舞台では)三章と四章の間に一章が入るみたいな独特の時系列が多く、初めての時はアマゾン奥地の民族に出会ったような(衝撃だった)
青柳さん:コマの割り方(たとえばどのコマは大きく描いていてどこは連続で……というようなこと)はかなり参考にしている


お話を聞いていると、どうしても最近見た「漫画の映像化」のゴタゴタが思い出されてしまうのだが、マチ子さんの仰るような「対等という気持ち」はものすごく大切だよなあと思う。私がサインしてもらった作品はまさに舞台のエッセンスを漫画に持ってきた構成で、時系列やト書きの入れ方も漫画の常識にとらわれない作品になっている。表現の違いを考えながらだと、それぞれの作品もより楽しめそうだなあと思う。

トークショー終わりに散策舎さんへ。会場では販売のなかった『Cocoon』の文庫版と『夜の大人、朝の子ども』を購入。帰りの電車内で『Cocoon』を読み返していたらやっぱり抉られたけど、マチ子さんの「逃げなかったことが、勇気になる」というようなお話も思い返していた。
コロナを始め様々な問題に直面したとき、自分にできることをする。それが次の困難に立ち向かう勇気になる。今日マチ子さんにとってそれは描くことだった。
一体自分には、何ができるんだろうなあ。

伊勢市駅のホームからもめちゃくちゃ長い木製ベンチが消えてしまって無念

帰ってきてからいろいろ買い物をして、温泉へ行った。心身が回復してくれることを願ってゆっくり湯船に浸かる。余計なことを考えず静かに目を閉じていられたら、回復しているという兆候。今日はまずまず。
温泉を出た後の無敵状態(寒さや肩腰の凝りから解放された状態)で空を仰ぐと、白い星が眩く光っていて、今日が良い1日であったことをしみじみと実感した。