別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240428雑感

今日はもう、頑張った。

頑張ったってことにさせて。うん。


頑張ったこと

  • 捨てずにずっと部屋に置いてあったどでかい段ボール(キーボードの)を捨てた
  • 掃除機をかけた
  • シーツを洗いにコインランドリーに行ったら全部使用中で、もう一軒寄ったけどそっちもダメだから一回帰って出直した
  • 冬布団をしまった
  • 穴あきズボンを捨てた
  • 一箱古本市用の本を整理して、シールとか剥がして、スリップを作った

それだけ? と思われるかもしれないが、普段の自分の頑張りを2としたら、今日のは7ぐらいだった。気力と体力がなさすぎる……。
高校時代に「生きてる意味ってあるのか?」みたいな沼に落ちてしまってから、全力の上限がかなり下がってしまったのだ。たまにすごい活動しているように見える時もあるかもしれないが、それは後々反動がくる躁的なエネルギーの前借りなので、トータルとしてはやっぱり低空飛行だと思う。

自分にとって生活の何がハードルが高いかというと、「目の前のことをやること」なのだ。やろうとすると関係したりしなかったりする他のことが気になってしまって、頭の中がパンクしてしまう。一つ一つ、丁寧に、みたいなやり方が全然できない。
今日やったことだって、そもそも本棚をなんとかしないことには机の上にまた色々積み上がっていくだけだし、床の上に空間はできたけれど、いろいろなものがまだ積んであるし、布団は別の部屋に移動させただけだし、スリップはまだ貼り付けてないし。その後のことが全然終わってない。
でもそれをやろうとすると、本棚から一旦全部出さなきゃいけないとか、それだとまた床の上に置かなきゃいけないとか、布団はまだちょっと湿ってるかもしれないとか、直前になってやっぱりこの本は売らないでおこうと思うかもしれないとか、いろいろなことが思い浮かんできて、作業になかなか踏ん切れない。

最終的に、外的な圧力が加わらない限りは自分は何もできないんだろうなと思う。引きこもりが外に出るきっかけだったり、無職が就職活動を始めるきっかけだったり。そういうのって自発的なことよりも、そうせざるを得ない環境の変化がきっかけになることが多い、というのをどこかで読んだ気がする。だから待つことは大切なのだ。
外的な圧力によってなんらかをさせられる、というのはすごいストレスではある。でも、心のどこかでそれを望んでいる自分もいる。

だからその時がくるまで、生きていられたらいいけどなあ。