いよいよ初冠雪も見てしまった今週。そしてもう年末まで二週間。
目まぐるしいスピードで回る月日を駆け抜けていく。
12/10
月1の仕事で運転日。まず職場まで行くのに2時間近くかかって(休日は早けりゃ40分で着く)、そこからひたすら一日中運転とか掃除とかをするので本が読めない。
街の方に行ったら街路樹が綺麗に色づいていて、やっぱりまだ冬じゃなくて秋なような気がした。
文學界の対談コーナーを読む。まずは平野啓一郎×石井裕也「原作と映画の共同的ライバル関係」。こんなタイトルになってるけどバチバチやり合ってるわけじゃなくて和やかな対談。
小説の登場人物につけたとある名前が実在の俳優と一文字違いで、実際にその役を演じることになったという流れがすごい。まあ確かによっぽど突拍子もない名前じゃない限り(某杜子春とか……)実在する誰かしらと被る可能性はあるし、それがたまたま俳優だったということなのだろうけど。
続いて金原ひとみ×山中瑤子『「わからない」と対峙しつづける』。こちらも作家/監督の対談だ。原作ではないが、金原さんの小説に影響を受けて山中さんが作った映画に金原さんが感動している、というめためたのメタみたいな構図が面白い。
わかりやすい/わかりにくい、あるいはコントローラブル/アンコントローラブルということについて。めちゃくちゃ掻い摘むと、現代ではアンコントローラブルなものは浮いてしまい、排除されがちというような話だった。この一年間文芸誌を読んできて、わからないものがあってもしょうがないよな、そういうもんだよな、という感覚は掴めてきた気がする。
12/11
朝予定があるとわかっているのにずるずる夜更かししてしまうのも、不調が長引いている原因には違いないのだが。
なんとか予定はすっぽかさず、紅葉が綺麗な渓谷でちょっとした撮影をする。ピークは過ぎていたので人はそこまで多くなかったが、観光の人たちからはたぶんコスプレ撮影か何かと思われてるだろうなあ。じゃあコスプレじゃないのかっていうと微妙だけど、たぶん違う。何かもっと別なものを背負っている活動だと勝手に思っている。
撮影後には自分一人だと絶対入らないオシャレなカフェでランチして解散。こういう交流があってくれるのは本当にありがたい。また誘ってください。
文學界、映画特集の最後は児玉美月『日本映画が問う命の分別』。「PLAN75」「本心」「よろこびのうた」「正体」といった、命の分別のあり方を問う映画が次々と公開されているという。安楽死にしろ死刑制度にしろ、国家が公共の福祉の名の下に行う命の選別に対して疑問を投げかけようという機運が出てきているのはいいことだと思う。命が絡む問題は安易に答えを出しちゃだめだ。
12/12
芥川候補作が発表された。安堂ホセ『DTOPIA』と永方佑樹『字滑り』は読んだし、どちらも良い作品だったので受賞は全然あると思う。前者は現代のさまざまな人種問題や倫理感への問いを投げかけてくるし、後者は言葉が軽んじられる傾向に一石を投じつつ、ファンタジックな物語としても深みのある作品だ。
他の候補作で群像と新潮は図書館で借りてすぐ読めるが、小説トリッパーからの鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』は読めないかもしれない。単行本化を待つべし。
その季節に読みたい本としてずっと積んでいた『雪沼とその周辺』を読み始める。雪沼という地方の町に住む人々の交流を描く連作短編集。あっさりしているが描写が丁寧で好き。
12/13
眠過ぎて目がしょぼしょぼする。寒さにも弱くなっているような気がする。全て運動不足が悪い。
『雪沼とその周辺』を読了。池澤さんの解説でそれぞれの人物に転機が訪れた場面を描く作品だったのだと気づく。読めてねぇなあ。
それぞれの作品にキーアイテム的な道具があるのだけれど、懐古趣味とか押し付けがましい感じじゃなくて、人々の人生とうまく交差しているのが良かった。
『文学界』は「身体を記す」の古川真人『兄とおれの腕のあいだ』まで読む。目の見えない兄の健康診断のため介助をしつつ、兄弟の過去を回想している。今まで読んできたこのシリーズの中でも特に小説的な構成だ。
バイト先にて、そろそろ進退を決めてほしいという話。こういうふうにもできるし、ああいうふうにもできる、と色々選択肢を示される。柔軟に対応してもらえるのはありがたいのだが、それは自分の一番苦手なやつだ。選択肢が急にくるとビビってしまう。
というか自分はとにかくもう「人生」をやりたくないのだ。あらゆることを保留して中途半端に浮かんでいたい。
12/14
山の上がうっすら白んでいる。こんな低山にも雪が降るぐらい寒いのか、あるいは単にはげかかっているだけなのか…。
『文學界』は安藤礼二『燃え上がる図書館——アーカイヴ論』へ。最近載ってなかったから忘れてたけどそういえばあったな!という連載。今回はジャン・ジュネとデリダということでまあ難しいです……。
ジュネの「小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの」という著作の名がめちゃくちゃ出てきてだんだんゲシュタルト的なものが崩壊していく感覚だった。
藤野可織『でももうあたしはいかなくちゃ』は毎度展示と映画の話で読んでいて楽しい。京都に住まわれている方なので、国立近代美術館の展示とかが出てくる。年一で行くか行かないかだけれど、いつか見にいった展示の話が出てこないかなー。
頭木弘樹『痛いところから見えるもの』は、人の痛みを理解することについて。究極的に他人の痛みはわからないから、自分の経験から想像するしかない。伝える側も受け取る側もそれを前提にするのが大事だよね、という話。
熱心に話しても伝わらない理由のひとつは、まさにその熱度にある。
熱い食べ物はふーふーと息を吹きかけてさましながら食べるように、話すほうも聞くほうも、熱度を調整したほうがいいだろう
(『文學界 2024年十二月号』P217)
これは本当にその通り。周りを置いてっちゃったな、と後悔することが結構ある。
そういえば最近こういう「伝えること」のもどかしさに関する文章を読んだな、と思ったら、『10代からの文章レッスン』で頭木さんが書いていた言語隠蔽とかの話だった。そりゃ似てるわ。
12/15
11時ぐらいまで寝た。やっぱり恒常的な寝不足なのではないかと思う。いつも寝る前にダラダラしてしまうのをなんとかしたい。
いつも通りに午前中は潰して、昼過ぎから買い物をして、3時ごろから腰を落ち着けて読書を始める。来週末までに読まなければならない本が一冊。できれば読みたいものが一冊と五編。返さなくちゃいけないので読めたらいいなという本が三冊。せめて少しは目を通しておきたいのが二冊。無理やん。
情報過多でパニックになりそうだが、とりあえず『文學界12月号』を最優先で読み進めてゆく。この緊迫感もこれで最後なんだから。
江南亜美子『「わたし」はひとつのポータル」は、小林エリカを中心に取り上げた回。「風船爆弾」は途中までしか読めてないのだけれど、一人称複数という語りの力について考えさせられる。
東畑開人『贅沢な悩み』は臨床事例エピソードが書かれているのだが、これがすっごい刺さる。他者との比較や自己否定を繰り返してしまうクライエントの状態がめちゃくちゃ自分にも身に覚えがある。無事就職して不安も鳴りを潜めたものの、とある環境の変化で再発してどん底にまで落ちてしまうところを読んでいて辛い。
他人の話として読んだら「考えすぎじゃない?」とか思えるけど、自分の身に降りかかっている時はもう本当に全然ダメだからなあ。まさに「心が不可能になっている」というわけだ。
注釈に興味深いことが書いてある。
マインドフルネスとメンタライジングがそれぞれに認知行動療法と精神分析の最新潮流であることは、心の中身ではなく、心という次元を問題にすることが、臨床心理学の最先端となっていることを意味している。
(『文學界 2024年十二月号』 P257注釈6)
どちらも興味があって中途半端に調べたことがあるのだけれど、やっぱり素人が模索するより、専門的なサポートのもとで行うべきなのだろうなあ、と思った。
又吉直樹『生きとるわ』は、堕ちるところまで堕ちた主人公がさらにダークサイドに引き摺り込まれていくという、読むのが耐え難いような回だった。いやそこはもう諦めて離婚を受け入れなよ、と思うんだが。
新人小説月評はいつもより長くて13作。これを一月に読む評者さんたちもすごいな。芥川候補に入ってきた鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」と竹中優子「ダンス」もちゃんと入っていて、やっぱり候補になってくる作品は目を引くものがあるんだなと思った。
とある作品に対して宮崎さんが「独特に思われる文体にはどこか既視感もあって」とぼかしているのに須藤さんがあっさり書いちゃってて面白い。
12/16
起きてすぐ体操をできたからか、日光を浴びたからか、ちょっと暖かく感じた朝だった。血行って大切だなあ。
12月の文學界を読み終えたので、あとは今まで飛ばしてきた『トゥルーイズム』読書会の連載3回分を拾えば、一年間文學界のすべてを読んだということにできる。しかしそのためには課題本を通読するというなかなかのハードルがあるのだった。
そんなわけで戸田山和久『思考の教室』を読み進める。課題として設定されているのは「この本(章、節)の目的や性格がどういうものなのか」とか、目的が書かれた部分をピックアップすること。よくよくみると「なるべくスピーディーに読んでみて」と書いてあって、内容はちゃんと理解しなくてもできるっぽいので、ざーっと読んでいく。本当にこれでいいのかちょっと不安になる。
(っていうか、文チャレはもう終わるので、これ以上先には進めないのだけれど……)
mixi2が始まっていたので、興味本位で招待してもらった。結局この感じでThreadsも放置しているので続くとは思えないのだが、まあXが本当にダメになったときの避難先として、ね。
夜は部室的空間へいきだべっていたら、お知り合いがMacを買うか悩んでおられたので、全力で布教、とちょっと微妙なところを伝えておいた。ついでに「今までやったことがないことをやりたい」とおっしゃっていたので、岐阜バンジーをお勧めしておいた。いや自分もやったことないけど。何人か道連れにして飛びにいきたいな。