別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

文芸誌を1年間読んでみようという取り組みについて

街が年末の色に染まってきた今日この頃、私の仕事は納まらず。まあ小売店に年末年始なんて関係ないのだ(むしろ書き入れ時?)
さて、毎朝の通勤であるが、確実に学生の分だけ乗客は減った。やっぱり混んでいるより空いている方が良い。このままボックスシートで発駅から座れれば最高なのだが。明日からはサラリーマンが減る分席が空いてくれることを望むぐらいの贅沢は、年末出勤マンには許していただきたい。

先日まで読んでいた図書館本が時間切れで返却してしまったので、今日からは『文學界』を読み始めた。自室の机の上には来月頭に返却の図書館本が10冊積み上がっていてやばいのだが、それは31日〜3日の連休になんとかするとして、とりあえず今はこっちを読む。というのも、「文芸誌を1年間読んでみるチャレンジ(通称文チャレ)」などというクレイジーな企画を発起してしまい、すでに数人巻き込んでしまっているからだ。言い出しっぺの私が初回から脱落するのはどう考えてもまずいので、必死にページを捲る。
正直、『文學界』はリニューアルしてちょっと地味になった。表紙が肖像画でなくなり、しかもこの「新年」感のないブルーベリーみたいな青さの一月号は、チャレンジがなければ多分手に取らなかった一冊である。目立つ特集もないし。
それでも粘って読んでいると、意外と引き込まれる。又吉直樹のまだ全然展開が動かない連載初回作品や、村田沙也加の苦虫を噛み潰したような気持ちになるディストピアや、(ちょうど連載が終わる号だが)磯崎健一郎による中東戦争オイルショック頃の世界的なゴタゴタを見事に一本の線で繋いだ作品など、じっくり読めば良さがわかってくるタイプの話が並ぶ。うん、まだそこまでしか読んでないんだ……。

自分の人生に「文芸誌」なるものが現れ出てきたのはやはり読書会の影響で、それまで目にしていたはずなのに全く意識したことがない存在だったそれらの本を、それ以降ちょくちょく図書館で手に取るようになっていた(とはいえ、気になる対談や芥川候補作だけ拾い読みするミーハー的読書だが)。本文は2段とか3段組。ほとんど挿絵もイラストもなく、ただ文字だけがびっしり並んでいる。活字嫌いからすれば地獄のような存在かもしれないが、「そこに文字があるとついつい読んでしまう人」にとってこれほどの栄養源はないのではないか、と思う。読んでも読んでも終わらない、その途方もなさはワクワクするし、雑誌ならではの時勢にあったテーマの評論や随筆を読むことは勉強になるし、本や文化に対する造詣が深まっていく。
それを少しでも面白そうだと感じるならば、ぜひ「文芸誌を1年間読んでみるチャレンジ(通称文チャレ)」に挑戦してみるのはいかがだろうか?(少しでも道連れにしたい)

ちなみに当チャレンジ、現在は『文學界』『群像』『S-Fマガジン』『現代詩手帖(などを遊動)』に挑戦している人がいて、それ以外のタイトルでも被ってても、月刊じゃなくても途中からでも全然オーケー。月一で感想報告兼励まし会をやっていこうと思っている。直接文芸じゃないけど『本の雑誌』とか近しい感じのもありで。ぜひ。


まだチャレンジャーがいないタイトルもたくさんあります。

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