別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

2024年1月1日

初詣の行列に並んで1時間。あとちょっとで賽銭箱の目の前に辿り着くというときに、「え、揺れてる?」という声がどこからか聞こえてきた。
揺れは次第に体感できる大きさになり、ゆっくりとした横揺れがしばらくの間続いていた。体感できる大きさの地震を経験したのは久しぶりだった。
揺れがおさまったあとそのまま神社を参拝し、何事もないように帰路に着いた。正直そんなに大きな地震だろうとは思っていなかった。
車のラジオからは、アナウンサーが日頃とは違う強い口調で、直ちに避難するよう呼びかけていた。石川県で地震。震度五強。

家に着くまでの間、どんどん地震速報や震度情報が更新されてゆき、最終的に最大震度7マグニチュードは7・6の地震であったことがわかった。自室に帰ると、本棚の本が1冊落下していた。
SNSには地震発生直後から様々な情報が飛び交っていた。家の倒壊、閉じ込め、道路の亀裂、崩落、津波、火災。急速に流れるタイムラインを眺めていると、13年前の春のことを思い出した。あの日も同じような横揺れが続き、SNSには情報が錯綜していた。ただ、今の方がノイズは多いような気がした。

神社の灯籠が倒れている動画を見かけた。同じく初詣だったのだろう。参道に寄り固まった人々が不安そうに眺めていた。自分は揺れの中「なんとなく大丈夫だろう」と思っていたが、それが正常性バイアスに強く囚われた状態だったことを強烈に自覚した。揺れる灯籠からなかなか離れられない人達のことを、なぜ逃げないのかなんて指摘できっこない。

地震発生から5時間経過した今も、テレビでは災害情報が流れ続けている。特番が何枠飛んだなんて知る由もないが、それにしても今日は新年1日目なのだ。災害は、自然は人間の都合なんて関係なしに襲いかかってくる。なんとなく幸せそうで、希望が持てそうで、気が抜けていそうな元旦の日にだって。
(そして条件がもっと悪い、大雪の日の深夜に発生していた可能性だってあるのだ)

もし、自分の部屋が震度7に襲われたら、どうなるだろうか。本棚の上に積み上げている余った棚板やら、額装された写真やら、シーグラスの詰まったガラス瓶が無造作に飛び交い、なんなら棚ごと倒れてきて、ファンヒーターを押し倒して、机の上の本やら細々したものを巻き込みながら床に散乱し、目も当てられないような大惨事になるかもしれない。いや、なるだろう。そして、そんな光景が実際に北陸地方に存在している。
ものを貯めるのも、乱雑に散らかすのも、いつまでもこの平穏が続くという根拠なき思い込みを持っているからかもしれない。何も安全じゃない。どこも安全じゃない。それは地域とか国とか関係なく、どれだけ離れようとしても自然からは絶対に逃れられない以上、前提として生きていかねばならないのかもしれない。
正月一日の地震は、そんな強烈なインパクトを多くの人に残すことになるだろう。忘れないためにも、こうして書き残しておきたかった。

今これを書いている時も、被災地は予断を許さない状況だ。まずは余震がいち早くおさまってくれること。
そして被害にあわれた方々のご無事と、被災地の一刻も早い復旧を願う。