別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240308雑感

同じ場所でも、朝と夜とでは全然違って見える。そんな当たり前のことを実感する出来事があった。
朝、家から駅に向かう時には最短(であろう)ルートを通る。なるべく車の通らない、信号の少ないルートである。
夜の帰宅時も大体同じ道を通るのだけれど、駅の駐輪場を出てすぐの信号を曲がって、しばらくは車通りの多い道を走る。こっちの方が明るいからだ。
ただ、今日は信号を曲がらず、朝と同じルートを走ってみることにした。(帰りがけ、閉館10分前の図書館に向かう際はそっち方面に向かうが、家とは逆側である)

住宅街の中を走っていると、右側に明るい看板が見えた。整骨院だった。
その光景を見たとき、自分の中でなんともいえない思いが込み上げてきて、「きゅっ」というネズミみたいな声を漏らしてしまった。

例えば旅をしていると、初めての土地なのに、どこか懐かしく感じられる景色に出会うことがある。あれは、今までの人生の色々な記憶と照らし合わせながら、目の前のものを解釈しているから発生する感覚だと思う。
さっき整骨院を見たときにどんな記憶がフラッシュバックしたのかは分からないが、後から無理やり繋げるとしたら、夜の尾道を歩いていたときの感覚が近かったような気がする。もちろん全く同じような景色を見た覚えはないし、尾道整骨院を見た記憶もないのだが(病院後を利用した古本屋の記憶はある)、なんとなくそのイメージを想起した。

あるいは、自分にとって病院は「寂しい」感覚とも結びついているかもしれない。
病院で誰かを看取ったからとかじゃなくて、病院そのものに対する寂しさのイメージ。誰もいない夕暮れの校舎みたいな。
寂しさの感覚は子どもの頃からずっとあって、こうやって文章を書くのは寂しさから遠ざかることで、音楽や写真に触れるのは寂しさの中に入っていく行為だという感じがする。
両親が共働きで、家でずっと帰りを待っていた幼少期の体験がきっかけなんじゃないかと自己分析しているが、本当のところは分からない。

ちょっと自由連想しすぎたけれど、ともかく病院という寂しいイメージと、夜の暗さの中にポツリとある明るい看板の寂しさ、みたいなものが合わさって、なんともいえないエモみを感じてしまったのかもしれない。
こういうのは言語化するとどんどん離れていってしまう気がする。だから作家はすごいんだ。

その整骨院を過ぎてしばらくいくと、今度は花屋の看板が光っていて、その先には内科の看板があった。どちらも施設自体は閉まっていたようだけれど、看板は光っているのだった。朝の通勤時には、この通りにこんな病院が多いなんて全然気づいていなかった。
どれだけ見慣れたと思っている街にも、まだ全然知らない姿があるんだなと思った。