別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240310雑感

三上、すなわち「馬上」「枕上」「厠上」が古来より文章を練るのに最適な場所とされるが、『思考の整理学』で外山先生はここに「三中(無我夢中・散歩中・入浴中)」を加えている。個人的にはそこへもう一つ、極めてピンポイントなのだが「電車を降りてから駐輪場へと向かう途中」というのも加えたい。この雑感の書き出しについて思考を巡らせているのが、大体いつもその三百メートルぐらいの途上においてなのだ。

「エモい」という言葉は「ヤバい」ぐらい軽率に使われすぎて食傷気味になっている感もあるかと思うが、それでも日曜夜、人の少ないホームに降りて、夜道を歩きながら聴くharuka nakamuraはエモいとしか言いようがなかった。こないだまで心が全然静まらないとか思っていたのが嘘のように、全てが凪いでいた。土日の仕事は精神的に疲れるけれど、こういう感覚を得られるのは悪くないなと思う。
世間的には休日の夜、住宅街の家々には車が停まっているのでそれぞれに家主が暮らしているのはなんとなく伺えるのだが、部屋の明かりみたいなのは意外と見えない。住宅街だから光漏れに気を遣っているのか、はたまた最近の家は工夫がなされているのか。
街の夜が明るいのは、一晩中明かりのあるアパートなんかが多いからなんだな。田舎の夜に煌々と輝く光があるとしたら、そりゃほぼコイン精米である。


時系列がぐちゃぐちゃになるが、出勤前のチルな時間に、YouTubeの動画を見ながら「旅立ちの日に(合唱伴奏版)」のイントロを弾いてみた。
あれ? もしかしてこれ、弾けるんじゃ……?
たどたどしい指遣いではあれど、自分が押した鍵盤からあのイントロが聞こえてくるのは、えもいわれぬ感動がある。あの頃、「いま(いま)」なんて歌いながら片目で見ていたピアノ担当の子。楽器なんてやってないし、弾けたとしてもみんなの前で伴奏なんて絶対にムリだけど、それでも弾けたらなぁ……と羨望の眼差しをむけていた、あの演奏を。練習すれば弾けるかもしれない。
これは俄然やる気の出てくる出来事だった。頑張って弾ききるぞ、絶対。