別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

読書日記一年分予定(16/52)

ほとんど文学フリマの準備に費やした一週間だった。

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1/14

移動の日。車内でひたすらモータウンを聴き続けていた。バックビートの曲にノっていると気持ちゆとりのある運転になる気がする。気のせいかもしれないが。
帰り道、久々によるブックオフに立ち寄ると、石垣りんの童話屋単行本版『表札など』が安く売っていたので買った。何気に単行本の詩集は初めてかもしれない。いつも文庫でばかり本を買っている。

週末の文学フリマに向けてお品書き(商品紹介)を作る。合同サークルなので初参加にもかかわらず品数がやたら多い。スペースにうまいこと収まるのかという問題もあるが、お品書きのレイアウトも結構むずかしい。流れてくるものを何気なく見ていたけれど、みなさんいろいろ工夫して作られているんだなあというのがよくわかった。


1/15

今日も今日とて文フリの準備を進める。いつも書いてるけど、こういう準備は一体どこまでやったら「準備できた」と言えるのかが全然わからなくて悶々する。
夜、一緒に出店する知人と打ち合わせ。並べてみると思っていたよりぎちぎちで、長机半分の空間レイアウトって難しいなと思った。やはり前後左右でなく上下をうまく使うのが陳列のポイントなのだろう。
その方は「最近自律神経がおかしくて、足がほてっている」というような話をしていて、自分もなんかそんな感覚あるなあと思った。
何より疲れが全然取れへんのが困る。


ご飯を食べていたらニュースで芥川直木賞についてやっていて、すっかり忘れていたことを思い出した。今回もダブル受賞で『DTOPIA』と『ゲーテはすべてを言った』が受賞とのこと。前者に関しては読んだ候補作三作の中では一番尖っていたので、やはり今の選考委員は刺激的なものを求めている…?


1/16

寒そうだなーと思ったら意外と大丈夫そう、と思ったらやっぱり寒くてもうなんや分からへん。

週末の文フリに向けてずっとソワソワしており、昨年参加した「岐阜駅本の市」に申し込むのを忘れていた。今年は控えめに行きたいという気持ちもあるので、まあいいか。

隙間時間を見つけて、途中で止まっていた乗代雄介『二十四五』を最後まで読む。知人が言っていた乗代さんの独特さってこういうところか〜というのがぼんやり分かった。
描写を積み重ねるタイプなのだろう。具体的な出来事や感情の動きというのを明確には書かない。あくまでその場所の情景とか思考が中心になっている。だから、「あれ?どういう話だったんだ…?」という感じで、うまくまとめられない。
主人公と叔母との関係性とか、弟の結婚相手の家族関係とか、ものすごくぼかされて書かれていて、会話や仕草から読み解いていく必要があるのだ。その場の「空気」を読み解くスキルがめちゃくちゃ求められるなと思った。

同じく群像12月号からくどうれいん『スノードームの捨て方』も読む。くどうさんの小説は『氷柱の声』以来。今作は「結婚直前でフラれた友達のために3人で集まって飲んで夜の公園で穴を掘る」という、エッセイの延長線上にありそうな短編で読んでて楽しかった。


1/17

危うく寝過ごしそうになった。どんどん起きられなくなっている気がして、週末が不安でしかない(6時前起き)。

まだ大丈夫だろうと思っていたら返却期限に追われるといういつものやつ。なんとか全部読み切りたいので、止まっていた『回復する人間』の続きを読み始める。
三作目は「エウロパ」。今までと違って主人公は「僕」で、うつ状態から回復してきたアーティスト、イナと友人的な付き合いをしている。はじめは何も抱えていなさそうに思える主人公なのだが、読み進めるとだんだんジェンダーの揺れに苦悩している姿が見えてきて、イナに置いていかれるような不安……らしきものを抱えているのかな、と思った。
おそらくイナも僕も自らの根本的な部分にぐらつきを感じている人たちで、それゆえに僕はイナに惹かれている。でもその揺らぎはちょっと違うものだから、どうしてもその先へ進めない壁、みたいなものがあるのかな。当事者でない自分にとって、この揺らぎはどうしても感覚的に理解ができない。想像するしかない。

続いて「フンザ」。多忙な仕事、職を得られない夫、怪我をした子どもといった様々なストレスから悪夢を見る「彼女」。そんな彼女の心の拠り所だったのが、パキスタンの山奥にある村、フンザだった。彼女は話に聞いたことしかないその村について様々な思いを巡らせるが、時が経つにつれて実際のフンザは変わってゆき…。
という要約では何一つまとまらないし、彼女の悪夢を単なるストレスという一言でも言い表せない気がする。終わり方にもどことなく不穏さを残す作品だった。

「青い石」は「私」が「あなた」に語りかけるという文章で書かれた作品。友人の叔父であり、画家であり、血液疾患を抱えた「あなた」に恋をしていた「私」。夫から首を絞められ、一度は自殺まで試みた「私」。
そんな「私」に「あなた」が語った、とある夢の中で、「あなた」は川の底の石を拾おうとして気づく。

「そのとき急にわかったんだ。あれを拾いたいなら生きていなきゃいけないってことが」
(ハン・ガン, 斉藤真理子 訳『回復する人間』白水社 P139)


六作目「左手」は不条理とホラーが煮詰まったような作品でちょっとトラウマになりそうなので、詳しく書くのはやめておきたい。

手が重要なモチーフになっているという繋がりもある「火とかげ」は、最後を締めくくるのに適している作品だった。
画家として活動していた「私」は二年前の交通事故で左手を使えなくなり、その後右手を酷使した無理がたたって両手をまともに使えなくなってしまう。それまで絵が全てだった私は、絵を失ってしまいあらゆることから冷めてしまう。

「瞬間瞬間、生と自分のあいだにできてしまった距離を私は感じた。初めて経験するすきまだった。切なく揺れ動く感情、愛情、哀れみなど……幻想や主観性、いわゆる情と呼ばれるものを必要とするすべての感情が蒸発した」
(P212)

良好だった夫との関係は、家事や治療での負担が重なり冷え込んでしまい、ますます孤独の底に堕ちていく私。そんなとき、しばらくぶりの友人から、あなたの写真が写真館に飾られていると電話があり、私の感覚は徐々に蘇っていく。

作品の中で重要なメタファーであり、タイトルにもなっている「火とかげ」。友人の子どもが飼っているトカゲ(本人は火トカゲ=ファイヤーサラマンダーだと思い込んでいるが、実際は別の種類)の手がちぎれたが、再生しつつあるという描写がなされている。これは一つの希望なのだと思う。(そして「火」というのもおそらくハン・ガン作品における希望のメタファーだろう)
あるいは、主人公が事故に遭う直前に個展を訪れていた、在日韓国人の画家・Q(解説によると郭仁植がモチーフだとか)の描く、鮮やかな黄色い模様たち。
ビジュアル的なイメージを想起するものとして希望が描かれている感じがする。


1/18

天気予報の言う通り、ここ数日よりかはやや暖かいような気がする朝。それはそれとして眠い。
朝の電車は受験生でぎゅうぎゅうだろうかと思っていたが、別にそんなことはなかった。会場近くの駅で降りて歩いていく列はできていたので、やや余裕を持ってくる勢だったのだろうか。
自分自身の受験期や高校時代は鬱真っ最中の思い出したくもない暗黒時代で、センター試験も碌に勉強せず受けた記憶がある。当たり前に当たり前のことができる人は本当にすごい。

島田潤一郎『長い読書』を読み始めた。出たときからずーっと気になっていたのだけど、なんかこの本は「読む時を選びたい」というか、座して向き合ってじっくり…みたいなイメージだったのでなかなか手に取れずにいた。そうやって読み時を図りかねているものが多すぎるので考えものだ。

最初の最初に、本を読むためには毎日少しずつでも読み続けて読書の体力を付けることが必要だというような話が書かれていて、これは本当にマジでその通りだと実感する。文チャレが終わってこのかた読書ペースも落ちてきて、二、三日読まずにいると腰にかかる重力が十倍ぐらいになる。何のための「1行以上」宣言なのか。

「中学生のときにテレビでビートルズに出会って以来、長くビートルズが人生の中心にあった」という一文から始まる「家に帰れば」という一章にはとても共感した。自分の場合は生まれた時から周到にビートルズ環境が構築された状態だったわけだが、島田さんの世代でも自分でビートルズと出会うって割と貴重なのではないか? 有名曲は知ってても、そこまでのめり込む人は少ない気がする。現代なら尚更。
そこから続くいくつかの音楽エッセイを読んでいると、島田さんの場合は高校時代にめくるめく洋楽探求が始まっていったらしい。やっぱり本でも音楽でも、自分でどんどん掘り下げていける人はすごいなあと思う。自分は幼稚園〜高校ぐらいまでずーっとビートルズで、そこからYesとかプログレにちょっと行ったりした。読書に関しても、必要不可欠な本以外を意識的に読み始めたのはここ5年ぐらい。何もかもゆっくりだ。

今夜が文フリの準備をできる最後の時間。勝負どころである。読書日記の11月分を5部作り、新たにペラもの的なフリーペーパーをゼロから作り、準備物の確認を何度もやっていたら0時を回っていた。暗黒時代から何も変わっていないな。


1/19

日付が変わる頃まで印刷をしていて、そのあとなかなか寝付けずに朝を迎えてしまった。
出発しようとしたら車の窓が凍っていて、お湯をかけて溶かしていたらギリギリの時間に。慌てて飛び出す。
7時の電車に乗り駅へゆき、一緒に出店してくれる知人と落ち合い、切符を買ってJRに乗り換える。そこからひたすら乗り換えに乗り換え、千年の都に入る。
両手に食い込む紙袋の紐の重さに耐えつつ、東山から歩くこと15分。平安神宮の鳥居をくぐり、二つの美術館の間を抜ければそこに見ゆるはロームシアター……ではなく、本日の舞台、京都市勧業館みやこめっせである。

個人的に今まで一般参加した文学フリマは二年前の大阪と昨年春の東京の2回。そこからいきなり出店者側に回るなんてことは思っていなかったのだけど、今回は仲間たちに託された作品もあるので心強い。
憧れの「設営完了」投稿をして、運営挨拶からの拍手でイベントが始まる。会場がとても広いので、お客さんはすぐには奥までやってこない(人気のありそうなブースはうまいこと入り口の端付近などに配置されていた)。20分ぐらい経ち、ようやくブースの前を通る人が増えてくる。
正午のタイミングで一度ブースを離れ、気になっていたものを見たり、関わりのある方に挨拶をしにいく。東京のときは井村屋の片手で食べられるスティック羊羹を配っていたけれど、今回は用意できなかったので、代わりにカレーおかきとお茶を渡す。手が汚れない・嵩張らないというのは差し入れ二大鉄則。
百年さんのブースで『百年の一日 二年目』を買い、ユトリトさんのブースで『ことばの足跡』を。あおたな書房さんの『農キャラ研究』はぱっと見で面白さが分かる強い一冊。『出セイカツ記』が面白かったワクサカソウヘイさんの『磯ZINE』も錚々たるメンツの磯アンソロだ。
てな感じで、先に売り切れてしまいそうな人気ブースを回っていたら1時間ぐらい経ってしまい、慌てて戻る。見た感じまだほぼ売れていない。ちょっと持ってきすぎたフリペ類も余っている。こりゃあダメだと路線変更して、フリペを積極的にばら撒いていく。実際にブースを回っていても、フリペを渡されたり声をかけられたブースは見たくなったし。
しかし、ここでフリぺの多さが仇となる。5種類、さらに細かく分けると11種類にもなるフリペを渡そうにも、そのフリペの説明が必要になってしまう!(あと、会場を歩いていて一番もらったのはお品書きタイプのフリペだった。読み応えよりも、手元でじっくり見られるメリットを優先しているのだと思う)
三冊を同時に渡してみたり、毎度違うものを配ってみたりしていたが、最終的に「お好きな一枚を引いてください」みたいなトランプ方式に。それで面白そうと思って眺めてくれた方には説明を加えていく。

午後にもう一度少しだけ散策をして、気付けばあっという間に閉場時間がやってきた。売れた冊数は…まあ、初回で販売があっただけ、良かったね……という感じです。というか自分が中心になっていろんな人に参加・委託してもらっているので、かなり申し訳ない。

ロームシアターの3階で少し休んで京都駅まで行き、駅ビルでラーメンを食べつつ反省会をする。「商品はもう少し絞るべきだったね」というのが今回最大の教訓だった。初心者は潔く、机の上に二種類の作品をポンポンと積み上げておく、ぐらいがちょうど良いのかもしれなかった。何せ900ブースあるのだ。見ていて・選んでいて疲れないディスプレイ、心がけていこう。

電車で3時間。最寄り駅に着いたときにはもう10時でとにかく眠かった。明日は午後からの健康診断なので、少しゆっくりできるのが幸いだ。今夜は泥のように眠ろう。


1/21

たぶん二度寝だったと思うけれど、もしかしたら三度寝していたかもしれない。9時に起きて、ほんの少しだけコメを食べて、問診票を書く。
これで準備オッケーと思って家を出て、10分ぐらい行ったところで検尿を家に忘れたことに気付いて取り替える。なんかいちばんアホみたいな忘れ物じゃないか。正直自分でも、なぜ忘れたのかを理解できない。対策のしようがない。

ちょっと時間があったのであまりいかないブックオフに寄ったら、鶴見済人格改造マニュアル』が人生論のコーナーに置いてあったので買った。マニュアルってシリーズものだったんだ。
前書きのいちばん最初にこう書かれている。

「1-本書は、自殺もせずになんとか楽に生きていくための実用書である」
鶴見済人格改造マニュアル太田出版 P2)

完全自殺マニュアル』より先に読むべきかもしれない(とはいえ、その「人格改造」の最初の手段として紹介されているのがクスリなのだが……)。


健康診断には昨年の教訓を生かして本を持って行った。昨日の文フリで買った、東京吉祥寺の古本屋・百年店主による日記本『百年の一日』。色々な固有名詞が出てくる中、森山大道とか中平卓馬とか写真関係はなんとなく価値が分かる気もするが、それ以外については全然。店頭にせよ出張にせよ自分で価値を判断して査定しなければならない古本屋の要求される知識量、半端じゃないのではないか。
過去の日記に対して現在書かれたコメントの中に、かつてはイベント出店していたけれど今はほぼやっていない理由が書かれている。曰く、「店からでることで本のみで勝負することになり百年の魅力がうまく伝わらない」(P46) 逆にいうと、それだけ店の細部に対してまでこだわっているということだろう。店を持って本を売るということは、どこまでもこだわりが必要なんだろうなあと思う。
クリニックの午後の開始時間から少し遅れて行ったからか思ったよりスムーズに進み、思っていたほど読み進める時間はなかった。

車に乗っているとめちゃくちゃ暖かい一日だった。このまま春が来そう。


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夜、温泉に行こうと思ったら臨時休業していた。疲れ取ろうと思ってたのに〜〜〜涙