別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

知識マウントという背徳

知っていることを披露するのには、謎の快感がともなう。これはみんな知らないだろう……! と思ったことが予想通りだと、ことさら嬉しかったりする。
一方で、予想が外れて知っている人がいると、微妙にがっかりした気持ちになる。

ある時までそれが何かを学ぶことのモチベーションになっていたが、今ではただ承認を満たすためだけになってしまっている気がする。

 

正直客観的にみると、知識マウントを取っているようであまり褒められたことではないのかもしれない。誰かに話すため、認めてもらうだけに覚える知識は薄っぺらく、物事の表面をなぞっているだけのような気がする。
結局それが、自分が学ぶことに挫折してしまった原因なのではないだろうか。

 

「学問への姿勢は謙虚であるべきだ」みたいな考え方は何千年も前からあるようだが、知らないということを受け入れるのが意外と難しい。知らないと言えないばかりに訳のわからないまま話が進んでしまったりネタバレを喰らってしまったりするのだから、ちゃんと知らないことを表明できた方がいいに決まっている。だが、ある時期まで知っている=賢い子であることが存在意義として強く内面化されてしまった自分はそんなちっぽけなプライドでさえ捨てることができないでいる。知っている人がいた時の「がっかり」は、謙虚に学ぼうとしている人への捻くれたコンプレックスなのかもしれない。

 

そうしていつも、中途半端な知識とはったりでかましてしまった夜に、こうやって一人後悔をしているのだ。