別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

承認欲求を肯定する!?

バズりたくない。バズリそうになったら(というのもだいぶ皮算用だけど)、アカウントを非公開にするか、消して逃亡したりするだろう。

 

子どもながらにインターネッツの闇を見てしまったりとか、昨今の「出る杭はへし折れるまで叩き潰す」みたいなやさしくなさすぎるSNSを見ていたら、そりゃあ注目されることへの恐怖が膨らんでいくのも致し方ないと思うんだけれど、自分のはそれともちょっと違う気がする。

ネットじゃなくてリアルでもガンガン自己主張できないし、というかもう存在してるだけでごめんなさい! ぐらいの地面スレスレ肯定感で人と関わっているので、私個人が認知されるなんてもっての外なんじゃないかと思っている。一体何が私をそこまで卑屈にさせるのかについては何度も考えてきたけれど、具体的にその場その場で私の足を踏みとどまらせているのは、もしかしたら承認欲求なのかもしれない。そう、怖いのだ。「承認欲求モンスター」になってしまうのが。

 

おそらく自分は調子に乗ったらかなり承認欲求に流されてしまう。それで失敗したことが何度かある。「人がどう思うか」ということを全く考えずに色々やらかしてしまうのだ。そういった体験がトラウマになっていて、承認欲求にコントロールを奪われることが怖い。

というか、別に承認欲求モンスターになっておらずとも、自分は「人がどう思うか」を想像するのが苦手だ。コミュニケーションをなるべく避けて生きてきた結果として、他人との適切な距離感を掴めないまま大人になってしまった。だから日頃は自分から距離を取って生きているのだが、テンションが上がるとそれを忘れてしまって失敗するのだ。

 

距離感を間違えることが怖い。恐ろしい。もしそうなってしまって、後日相手がSNSに「先日ちょっとダルかった」みたいなことを書いているのを見つけてしまったらもう、死ぬ。確実に死ぬ。立ち直れる気がしない。

ただでさえ他人とのつながりが希薄な自分にとって他人からの明確な否定はすなわち存在の全否定である。そのへん極端なんだよな。

コミュニケーションの失敗を痛感した夜は、意識がなくなるまでずっと自分を責めてしまう。その反省の仕方もあまり健全ではないだろう。

「自分の存在が否定された」という極端な被害妄想に陥ってしまうと、結局肝心のコミュニケーションの改善に至らないまま終わってしまう。そういうことを何度も繰り返してきてしまった。

 

話を戻すと、バズったり注目を集めるということは、それだけ否定される可能性も上がるということだ。だからなるべく注目を集めないよう、ひっそりと生きたい。でもやっぱり承認欲求もある。そのダブルバインドである。

ここで承認欲求を取れるようになったら(そして過度に自失しないようコントロールできるようになったら)一番いいんだと思う。

 

やっぱ、トラウマと、向き合わなきゃだめかあ。