別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

231209雑感

ブログのデザインを変えた。知り合いが全く同じものを使っていてややこしくなっちゃったので。ついでにテンプレが被っても混ざらないようにフォントを明朝にした。明朝だと小さい文字は読みにくいので大きくした。そんな感じでCSSをいじっていると、初めて触るHTMLに興奮していた中学生の頃が懐かしい。マーキーとか絶対やるよね。結局そこから何も成長していない。
最近はnoteみたいにとにかくシンプルで、HTMLを弄らせないスタイルの方が主流かもしれない。世界がiPhone化している。自分もバイスAppleだけど、ちょこっと弄ったりできるのは好き。まあ、読みにくいのでそんなにやらないけど……。

やらないけどね!

とまあ遊ぶのはさておき。今日は土曜日。土日祝は電車のダイヤがいつもと違って、帰りの時間がどうしても遅くなる。18時17分の電車に乗ろうとしていたはずなのに、定時を12分オーバーして電車を逃し、次の38分の電車に乗った。毎度毎度、なぜ決められた時間に間に合わないのか。最後の最後で「そういえばあれやってない!」と慌てて、情緒が不安定になってしまう。

情緒

はい。

こういうふうに「公開する」前提で日記を書いていると、どうしても自虐ネタやお遊びに走ってしまいがちな私。ちょうど最近読んでいた『さみしい夜にはペンを持て』には、自己との対話としての日記の効能が書かれていて、人に見せない個人的な日記の方もやらなきゃなあと反省した所存であります。そしてまだ読めてないけど『小山さんノート』とかね。自分も頑張って80冊のノートを作りたい。いや、数は別にどうでもいいけど(それでも一応18冊は書いている……最近は単なるレシートスクラップになっているが。。)あんな風にライフワークとして「自分との対話」を深めていきたい。
一番お手軽なのはツイッターにぶちまける愚痴なんだけれど、あの字数だとどうしても「自分はアホだ」とか「死にたい」みたいな自虐で終わっちゃうんだよね。それがブログになるとある程度は字数も稼ぎたいし、少し思考が展開していく。ただ、どうしても「見られる」ことを意識して本心を濁したり、省いたりしてしまうわけだ。そこで個人的なメモや日記の出番なのだけれど、自分的には「スマホのメモ」はブログ寄りで、テキストデータにすると心のどこかで(あとで使おう)みたいなことを考えてしまう。その点手書きだと文字起こしが面倒になるので、「本当に誰にも見せない」文章が出来上がるのだ。
本当に自分と対話しようとするならば、孤独にならなければならない。読書に深い孤独が必要であるように。
誰かに見せることは強いモチベーションであるのだが、孤独な対話からしか得られない栄養のようなものも、あると思うんだ。

じゃあさっさとこの文章を締めてペンを持てって話ですけど。