別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240104雑感

タイトルを「23…」と書き始めて直すのをまだ当分繰り返しそうな新年4日目。図書館積読タワーに一切手をつけぬまま、納まっていた仕事が始まってしまいました。誠に遺憾である。
今朝の通勤電車は割と空いていて、世間にはまだお正月でいられる人々もたくさんいるんだなぁと羨んでいるのだが、それにしても今年はお正月感がめちゃくちゃ薄い。やっぱり気温なのか? それとも事件や事故で特番がぶっ飛んでるから? 両方かもしれない。

仕事終わりに部室(注:新年なので改めて解説しておくと、だらだらお喋りしたり、本棚を借りて本を置いたり、たまにイベントをするために有志が家賃を払って運営しているフリーなスペース。3時間1,000円という破格で貸切可能)に寄ると、お初にお目にかかる方が盛りだくさんで、私はお得意の人見知り領域展開でお茶汲み係的なものに徹していた。
見知らぬ人とすぐに馴染めない己のコミュ障に辟易するが、これはもう心理的安全が確保できる基準値が他の人より高いという生理的なレベルのものなのでしょうがないし(たぶん5回ぐらい会ってようやく不安が解消される)、そしてそんな自分よりもっと安心のハードルが高い人もいるだろう。いろいろな人が脅かされずに「いる」ことができる場所、すなわちセーファースペースを目指してゆくためにはどうすればいいんだろうなと考えてみる。

仮に自分がイベントをするとして、内輪になって部外者が入りにくい空気になってしまったり、逆に開かれすぎていて収取がつかない、みたいなところのバランスを考えるのは結構難しい。やっぱり内輪のほうが楽だから、ついついそっちに流されてしまうことが多い。
ただ、内輪は内輪でも「部外者が見ていても全く面白くない内輪」と「わからないけれどなんとなく楽しそうな内輪」というのがあるんじゃないか。例えば、盆踊りは参加しても楽しいけれど、眺めているのもまあ楽しい(というか情緒を感じる?)。これが積極的に参加してもしてなくてもなんとなくみんな楽しい、というイベントの一つの理想系なのではないかと思う。盆踊りは疲れたらすっと抜け出すこともできる。前にも書いたけれど、「帰りたいと思ったら躊躇いなく帰れる場所」が良い場所だと思っている。
まあ、盆踊りに関しては文化的バックグラウンドの共有があったり、皆が音楽に合わせて一緒の踊りをするという分かりやすさなんかがあったりして、これをそのまま他のイベントに適用できるわけじゃないだろう。ただ、「やってる人たちは内輪ノリでも、それをただ眺めていられるポジションがある」とか「よそから来た人でもどうぞお入りくださいという受け入れ態勢」みたいなものは他のイベントにも取り入れられるんじゃないだろうか。
今の自分にとって、セーファースペースと言える場所はどれぐらいあるだろうか? その時々の体調やら気分やらで「セーフ」のレベルも上がったり下がったりする。だからそういう場所がなるべく色々あって欲しいなあと思う。
眠いんでなんか雑なまとめになってしまった。これはまたしっかり考えたいトピック。


ちょうど明日、タバブックスさんより「セーファースペース」というZINEが発売する模様。気になり。
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