別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240510雑感

今日も文芸誌のことから書いていこうと思う。東畑開人さんの連載『贅沢な悩み』を読んだ。

臨床の場でよく患者さんから「贅沢な悩みなんだと思います……」という言葉が出てくる、ということを起点に始まった連載もいよいよ革新に迫ってきた。
今回はアーサー・クラインマンの医療人類学の視点を踏まえて、なぜ「贅沢な悩み」について考えるとき心理士側と患者側で齟齬が起きてしまうのか、というところを考察している。
その中で特に印象的な一説がこちらだった。

シャーマンは癒すが、医者は絶対に癒せない。
文學界2024年五月号 P357/東畑開人『贅沢な悩み』連載第5回 2章「星くんとパリピの王子様——病いと疾患について(承前)」より)

すなわち、土着医療は患者を癒すことができるが、科学的な現代医療にはそれができない、ということである。なぜそのようなことが言えるのかという説明で出てくるのが「病い」と「疾患」の違いで、現代医療が扱うのは後者だが、土着医療は前者を扱うという話だった。
がん患者のがんを治療すれば全てが解決するわけではない。患者はがんになることで、人生設計も狂うし、周囲との関係性も変わる。そういった社会的な部分まで包括した「病い」の治癒を試みるのが土着医療である、ってこと。だったと思う。

この話を読んでいて思い出したのが、写真家の幡野広志さんのことだ。幡野さんの著書には、がんになって周りの人たちが急に色々口出ししてくるようになったというような話が書かれていたと思うけれど、まさにその部分まで扱おうとするのが土着医療でありシャーマンなんだなと。
病気になって急に信心深くなったり、エセ医療的なものを人に勧め始めたりするのは、「病い」を癒されたい・癒したいからなんだな〜と、別の角度から再確認できた気がした。
だからそういう癒しを提供できるもの、西洋医学以外のものもやっぱり必要なんだろう。

連載の本筋に戻ると、次回はいよいよ「贅沢」の正体すなわち「社会の目」というやつの考察に入っていくらしい。考えてみると自分がよく言ってしまう「自分なんかが〇〇するなんて烏滸がましいです!」というのも、贅沢な悩みと似たようなもんかもしれないなあ。


なんかもうけっこう分量を書いて疲れちゃったけれど、今日いちばんのお楽しみはお家に帰ってから訪れた。
先日KYOTOGRAPHIEでめちゃくちゃ好きになってしまったヴィヴィアン・サッセンの図録写真集が届きました〜〜〜!!わーい。
手にとってまず思ったのは、「これ京都で買わなくてよかったな……」という。重い。これ持って3時間かけて帰るのはしんどすぎるし、ソフトカバーだから折れちゃったりしてたら泣いてた。ネットで買ってよかった。まあ会場では売り切れてたのでどっちみち買えなかったんですが。

さっそくパラパラめくってみると、会場で見覚えのない写真がたくさん載ってる。たぶんスライドとかで流れてたのだと思うけど、全部は見れなかったし。現地でしか味わえないインスタレーションの迫力もいいが、写真集でじっくり眺めるのも良いものです。だから今週末で終わってしまう前に観に行って、写真集も買おう!(ダイマ

サッセンについては前にめちゃくちゃ知ったようなことを語ってしまったので、もういいかなと思いつつ、改めてじっくり見た感想をちょっと書いておく。
強い。とにかく強い。写真の強度とでもいうべきものがダイヤモンドレベル。構図・被写体・配色・テーマ・社会性。どこをとっても強い。
ハイセンスなファッションとかブランドとかアートとかからいちばん縁遠い田舎のしみったれたダサさの権化みたいなおじさんをも虜にしてしまう強さである。それはもう、金欠のくせしてお高い写真集を買ってしまうぐらいに。
個人的にいちばん惹かれるのはその強烈な色彩感覚なのだが、それだけでは説明できないような魅力に溢れている。

「写真の強度とは何か」というのを考えてみたときに、それはもしかしたら「その写真がそのようでなければなかった必然性」みたいなものなのかもしれないと思う。つまり、「撮った中から良さげなやつを選びました」じゃなくて、「この写真はこの構図でこの色でこの光でこの被写体である」というのがまるで最初から決まっていて、全くブレていないような写真。それ以外の可能性が考えられないような写真。そういうものに、強さを感じる。(ちょっと賢治っぽい)

www.vivianesassen.com

もちろんそう感じるのは、自分がスナップ的なものしか撮れないが故の構成への憧れとか、軸が定まっているものを美しく感じるとか、個人的な感覚に依るところが大きいとは思う。圧倒されたいんだな自分は。


www.youtube.com
資生堂花椿のメイキングムービーがあった。撮ってるのもかっこいいけど、クリップオン直なのか。硬い光の方が好きなんだろうな。


今日はもう一ついいことがあって、以前に夏葉社の島田さんが募集されていた文芸誌『言葉と繭』の抽選に当選していて、帰ったら現物が届いていた。抽選だから無作為だと思うけれど、これは「文芸誌チャレンジやってるんだったらもちろん読むよね?」というメッセージなのではないかと(勝手に)受け取っている。
次回の文芸誌チャレンジ報告会は5/26。文學界はあと50ページ。……うん、いけるな!
パラパラめくっているだけでも夏葉社さんについてめっちゃ詳しく書かれているのが垣間見えて楽しみである。しかも島田さんの小説まで載っている。これはもうアツい。アツすぎる。

色々とテンションが上がってだーっと書いてしまったので今日はこの辺でお開き。