別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240405雑感

椿の季節って二月ごろだと思っていたのだけれど、近所や駅の駐輪場の椿がざんざか咲いていて、品種によっていろいろあるんだということを知った。

今朝も3分ぐらいじーっと葛藤したけれど、起きて体操できた。たぶん眠るタイミングを調整しないと、眠たい時間帯に無理やり起きることになっちゃうんだと思う。ノンレムに落ちていく最中とか。横になってから寝付くまでの時間もあるし、やっぱりスマートウォッチとかで管理するのがいいのだろうなあ。今年は買えそうにないが。

まあ、起きる瞬間はめちゃくちゃ眠くとも、腕を上下にのばす運動のあたりで意識もはっきりしてくるので、なんとかなる。
体操が終わって少し散歩して、帰ってご飯を食べてダラダラして出勤。本当はダラダラ時間を読書に回せればいいのだが、食べた直後はなぜかあまり読書できない。

仕事は今日も可もなく不可もなく。ただ、やることが多いと作業場の周りをめちゃくちゃ汚くしてしまう。いろいろ積みすぎて身動きが取れない。昨日書いたような理由による。
明日もどうせ自分しか使わんからええか、とちょっとだけ片して置きっぱなしにしてきた。明日出勤してからが大変なのに……。(明後日は社員さんが使うので、全て明日中に撤去しなければならない)
そんな有様なので、早乙女ぐりこさんの新刊エッセイの冒頭は読んでいてめちゃくちゃ共感してしまった。仕事や趣味のことと、暮らし(家事・掃除・健康のための取り組み)などを両立させるのは本当に難しい(なんて自分が言えた話じゃないのだが。全世界のワンオペをする人に怒られる…)

趣味と仕事といえば、今月は三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』も発売を控えている。もともとWeb連載なので集英社のサイトでも読めるが、本の本はなんとなく紙で読みたい。

shinsho-plus.shueisha.co.jp

ただざっくり目次を見てると、あまり「働いてて本が読めない」と悩む人むけの本でもないような気はしてくる。どちらかというと日本における読書の歴史の話だった。もちろん「本が読めないという悩み」の裏には「本を読むべきだ」みたいな社会の価値観があったりして、そこを深掘りすれば、より根源的な問題と向き合えそうな気はする。ただ、本が読めない状態の人にいきなりそれを突きつけるのもちょっと酷かもしれない。
だからとりあえず、さいきん本が読めないとお悩みの方は、長田弘さんの詩集とかから読み始めればいいと思います。
あるいは、読める場所と時間を一つでも見つける、とか。自分も最近電車でしか読めないし。

Amazonで三宅さんの本を見ていたら、「よく一緒に購入されています」のところに千葉雅也さんの『センスの哲学』が出ていて、ちょっと怖い。なんで買おうと思ってるのがバレた? いや、実際にそういう人が多いのだろうけれど。やっぱりどうしても読書の傾向って似通ってくるんだろうなあ。
謎に反抗して、絶対にこの本を読む人が手に取らんやろ、みたいな組み合わせで読んでみたくなる。

まだ読書の話で続けるけれど、今日も通勤中文學界を読む。『大転生時代』は思わぬ展開になり始めて驚いた。そんなあっさり改心するんかい、だった。短期集中連載だからなのか、展開がすごい早いぞ。村田沙也加さんが今スイスで滞在制作していることを知る。六ヶ月も海外にいるっていうのが、極力この田舎の街でぬくぬくしていたい自分からは到底想像もできない。リレーエッセイ『身体を記す』は今回中村文則さん。ジェンダー関係の問題がいろいろ告発される現代。それはもちろん社会にとって有益なのだけれど、行き過ぎると性に関してめちゃくちゃ保守的になる側面もあるよね、という話(だと理解しました)。自分もおそらくそこはすごい保守的、というか、genderの話はよくてもsexの話は極力考えずに生きていきたい、と思っているところがある。それはたぶん、自分の中の男性性とかに向き合いたくないというのもあったりして……って感じで理性的に考えるのはいいんだけれど、下ネタとか直接的な話は無理ですね。
そういう話題をする人がいない環境に身を置けている今は幸いだ。(盛り上がったり連帯できる話がなくなっちゃうじゃないか! とか思う人もいるかもしれませんが、もっと他にあるでしょうに話)

てな感じで、ようやく半分。明日5月号発売なんだけど……。
読書時間を拡張していくしかない。

そしてこれを書いている途中、文芸誌に寄稿されている作家さんが文チャレの記事を拡散してくださっていてびっくり。(たぶん二次創作が原作に捕捉されるときの気持ちって、こういう感じなんだろうなあ)
決して「よい読み手」ではないので恐縮してしまうけれど、気軽にゆるっと読んでみるというところはそのままで、今月もぼちぼちやっていきたい。