別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240124雑感

雪は降らなかったし、出かけようと思えば出かけられたはずなのだが、結局夜になるまでずっとぼんやりしていた。パジャマのままだった。こういう何の生産性もない日を過ごしたのは久々だなと思った。
先日取り上げた群像の記事では、「イベントレス」な日にこそ日記の意義が試されるというような話が出てきていたが、そもそも自分はどんな物事に「イベント」的価値を見出すのだろうなと考えてみる。例えば今日は本を一冊読んだけれど、それはイベントの射程外ということになるのだろうか?
 幸せな人は、小さなことにも幸せを感じられるから幸せなのだ、とよく言われる。小さなことにもイベント性を見出せるのであれば、日記はより豊かになり得るのだろうか。


読んだ本について。
今日は佐々良子さんの『夜明けを待つ』を読んでいた。先日某国営放送の朝のニュースにも取り上げられていた本だ。

「生と死」をテーマに書き続けていたノンフィクションライターの著者が、希少ガンの余命宣告を受けた。そんなエピソードとセットに紹介されていて知ったので、てっきりそういう本なのかと思っていたが、違った。「著者の父が7年間介護した妻に先立たれショックを受けながらも新たな人生を歩み始めた」という話にも書かれているように、そういう表層的な感動や「かわいそう」をはっきりと拒否する。そこに救われる人もいると思う。
 本書は単行本未収録集なので書かれているテーマは様々だが、特にページを割かれているのは外国人労働者の受け入れと日本語教育の問題、そして仏教についての文章である。

 個人的には安い労働力を都合よく使う制度には疑問があるが、しかし現に我々の生活を支えているのは彼らの存在である。しかも日本に来る彼らにしても、困窮する故郷の家族のために本気で稼ぎに来ている。そんな事実を知って色々考えさせられる。
 少なくとも我々が介護される頃には日本人とか外国人とか関係なくとにかく助けてくれる誰かの存在に頼っているのは違いないので、お互いがより幸せになれる社会になっていなくちゃダメだなあと思う。
 仏教については自分も似たようなことを考えたことがあるので、佐々さんの言葉に大いに納得した。マインドフルネスとか禅とかを何か完璧なもののように感じてしまうこともあるが、そもそも禅ってそういうのを手放す修行のはずなんだよな。世界各地の宗教コミュニティを訪ね歩き信者たちと生活し、仏教書もたくさん読まれている佐々さんであっても、仏教の言葉がピンと来なかったり受け入れられないときもある。そんな告白にすごく楽になるような気がした。
そして病床であの一言を言えるバングラデシュの長老は最高。

という感想を読書記録のインスタと、読書メーターに投稿した。字数制限のある読書メーターに移す際にはかなり削る必要があって、これもまた要約の練習みたいだなと思った。本当に印象に残ったのはどこだったのか、という問いを投げかけられる。

ようやくパジャマから着替えて、図書館へ本を返却しに行った。なんとか期限までに読めた二冊だった。めちゃくちゃ寒いし家から出たくなかったけれど、駐車場からの道を歩いていると、出てきてよかったなと思えた。なんというか、体が喜んでいる感じ。
空は澄み渡っていて、ほぼ満月が煌々と輝いていた。

図書館に行くといつも決まった順番で棚を廻る。言語→小説論→哲学→本屋→広告→写真・絵→社会というルーティーンで気になる本がないか探してみる。大体いつも決まった本がそこにあるのだけれど、その光景になぜか安心する。
小説を書くということが気になっていたので、創作論の本がちらちら目線に入ってきたのだけれど、同時に今の自分にはそういう余裕があまり無さそうだなとも思った。筋道を立てて何かを構成していく。そういうことがたぶんできない。
ついでに画集でも借りてじっくり読もうかとも思ったけれど、どうせなら家にある画集や写真集と向き合ってみるのもいいかな、と思って特に何も借りずに帰った。

正直に言って、画集を読むことは滅多にない。なんとなくパラパラ目を通して閉じてしまったり、作家の名前だけで「価値があるものなんだなあ」とありがたがっているタイプだ。
それでも、人生には画集が必要な時間がきっとあるはずだと思う。

とある古本屋で見つけた、オキーフの画集。全然知らない作家だったし、さっきまでパウル・クレーと混じってオ・クレーと思ってたぐらいの関心度なのだが、それでも絵に惹かれて買った。一面青緑に塗りつぶされ画面の中、下の方にちっちゃく描かれた黒い山脈と、上の方に描かれた半月。その真ん中に浮かんでいる、傾いた梯子。LADDER TO THE MOONと名付けられたこのシュールな一枚は、寂しい印象を受けつつも不思議と優しい感じもする。好きな一枚だ。
滑らかな質感を持つオキーフの絵を見ていると、絵本を読んでいた頃の感覚が蘇ってくるような気がする。あの、描かれた世界の中に少しずつ入っていくような感覚……。

絵を描きたいと思った。タブレットのお絵描きアプリを立ち上げて、白いキャンバスにペンを滑らせる。デジタルな水彩は塗りムラもなく、画面はどんどん単一の色彩に染まっていく。絵心も何もないただの落書きなのだけれど、言葉を持て余してしまった今日の自分にとってはちょうど良い受け皿になってくれるようだった。