別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240404雑感

集中力がなくてあちらこちらに次々と手を出してしまう割に、マルチタスク能力はないので、にっちもさっちも行かなくなることがよくある。目の前にいろいろな方向へ分岐する道が伸びているイメージで言えば、どれかを選んでちょっと進んでまた戻って……と繰り返して、延々と前に進めないでいる感じだ。

日常的な状況でいうと、何度でも書くけれど、掃除ができない。机の上を片そうとものをどけてベッドに置いたら、今後はベッドの上のものを別の場所にどけて……と、ただ場所が移動するだけ。机の上にはまた別のものが置かれて、何も綺麗にならない。

そんなふうにあちこち中途半端に手出しして思考がフリーズしているこちの影響で、最近あまりブログも書けないでいる。ピアノの練習も、日記も、読書も、できていない。じゃあ何をしてるのかといえば無意識にスマホを触ったりしているので時間がないわけじゃないのに、それを認知できないぐらい思考も衰えている。やっぱり一度極限まで減らしてリセットしなきゃダメな気がする……。


そうやってぐるぐるしている自分を置き去りにするように、春がものすごいスピードで進行している。桜は一瞬で咲いて散りそうだし、畔にはつくしが生えているし、水を張り始めた田んぼから蛙の鳴き声が聞こえてくる。春ってこうだったよな、というのを思い出していく。なんかもう、今年は春が来ないんじゃないかと思ってた気がするけど、ちゃんと来たんだね。

伸びていく日の長さが、夕方に原付を走らせる自分にとってはありがたい一方で(虫が増えるのはありがたくない)、起きたときにはもう十分明るいこの頃、「夜明け」はだんだん遠くなっていくような感じがする。早起きすれば見られるんだろがね。
夜明けからしか得られないものを得ようとして、『ここはすべての夜明け前』を読んだ。(前置きが長い)
先月の読書会でも先々月の読書会でも紹介されていた(文チャレ効果もあるが)話題作。「令和版アルジャーノン」とか「20年代を代表する」とか言われるけれど、アルジャーノンもそもそもSFもあまり読まないので、その凄さみたいなのはあんまりわからなくて残念だ。

主人公は2023年に「融合化手術」なるものを受けてサイボーグ化した女性。25歳で手術を受けたことで、家族たちが老いたり死んだりする中で一人だけ25歳の外観を保ち続けて、2123年に至る。その100年の間に地球は結構やばいことになっていて、端的にいうと終末ものということになる。終末もの特有の静かな寂しさみたいなのが全編を通して感じられて、良い。
読んでいて驚いたのは、ボーカロイド(と永瀬九段)ががっつり出てくるところ。ボカロノベライズや二次創作ではない小説で、しかも初音ミクじゃなくてIAの描写が出てくるって、たぶんないよなぁ? 文脈的には病に苦しむ主人公(まだサイボークでなく人間の頃の)が救われた楽曲が「アスノヨゾラ哨戒班」だった、という感じで出てくる。自分はもう少しだけおじさんなのでギリギリ世代ではないのだが、世代直撃だったらこれはグッとくるだろうなあと思った。

小説自体の大きなテーマは「家族」で、掘り下げられている問題は現代的だった。どちらかというとSFよりそちらに重きを置いているようにも感じられた。おそらく一番SFっぽかったのは第二章で、個人的には村田沙也加みを感じる。村田さんも二作ぐらいしか読んでないから的外れなこと言ってるかもしれないけど。


SF繋がりでいうと、今必死に読んでいる文學界四月号の島田雅彦『大転生時代』も佳境に入ってきた感がある。この作品においての「転生」は自分の意識のみを異世界の別人物に転送(上書きではなく二つの意識が同居するようになる、が、融合することもある)みたいな設定になっていて、つまり転生前の本体と転生先の人格の二つの自分が存在して同時並行で行動していく……と説明するのがちょっとややこしい。
先月号ではその辺の設定が明らかにされてきて、量子もつれを利用した転生技術〜みたいなSF感満載だったのだが、今号では「VS資本主義の魔窟」みたいな対立軸がはっきりしてきて、ちょっとメッセージ性が濃くなったりした。どの辺に決着して行くのかが楽しみである。


最近の曲。岸政彦先生のRPで知った、町田康が絶賛している「すずめのティアーズ」。日本の民謡にブルガリアの民謡をミックスした独特の響きが、聞いてるうちに癖になる曲だ。


www.youtube.com

最初聞いた時は「しっちきじゃぶじゃぶ」のところですごい鳥肌が立って苦手な感じだと思ったのだけれど(セリフのある曲とかで、こういう鳥肌を感じがち)、歌詞を見ながら何度か聞いているうちに、もうこれなしではいられなくなってしまった。
というか何気にセリフでもハモってるのすごくないか。

アーティストを調べているうちに、民謡界隈的盆踊り界隈なるものがうっすら見えてきた。何にでもシーンがあるんだなあ。
個人的に日本って民謡と現代ポップスの距離が遠めな国なんじゃないかという気がしているのだが、こういうふうに入りやすい入り口を提供してくれるのはありがたい。民謡アレンジでいうと姫神の方向性も好きなのだが、あの方向性も現代的に追求してくれるアーティストがいないだろうか?