別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240406雑感

自己啓発系の本を読んでいると「朝は作業効率が高いので、朝に仕事すべし」みたいな話がよく出てくるけれど、最近は朝にすんごい弱くてダメだ。
よくないとわかっていながらも、食後すぐに横になりたくなってしまう。せめて座るぐらいに抑えられたら良いのだけれど。
ともかく、まだ体が十分に目覚めていない感じが強い。一時期散歩に加えて筋トレとかやろうとしていた頃のエネルギーが全然出てこない。少しずつ運動の強度を上げなければいけない気がする。

まあ食後すぐに運動するのは無理なので、せめて横にならないように、こうして朝から文章を書いている。

さて、今日もお外は曇り空だ。遠くの方は霞んでいて湿度が高そうな感じ。今年の桜シーズンは全然スッキリしないなあ。
明日の雨予報だけどっか行ったので、「休みの日は雨」のジンクスはなんとか免れそうでよかった。


お仕事。職場の床がフローリングで木目っぽい感じになっているのだけれど、溝がめちゃくちゃ細かくて汚れが溜まるので困る。クイックルとかかけても繊維が引っかかるし、モップがけはしょっちゅうできないし。ウエッティとかで擦るのが一番手っ取り早いのだけれど、面倒だし。何かいい方法はないものだろうか。

一日の実働時間7.5時間、うち1時間確保されているお昼休憩の間にいつもの駅ナカ書店へと足を運んで『文學界5月号』と『センスの哲学』を購入。文學界はずっと同じ値段だと思っていたのだけれど、5月号は新人賞が載っていて分厚いので100円高かった。市川沙央さんとか京都作家仲良し組(綿谷さん・万城目さん・森見さん)+辛酸なめこさんが「コックリさん」をやるという謎企画もアツい。早く四月号を読了して五月にいきたい!!!(なお課題本……)
『センスの哲学』は『勉強の哲学』の復習としても、センスださださ人間としても気になる一冊。せめて文庫化されるまでには読み終わりたい。いやもっと早よ読め。

しごおわ、帰り。踏切を渡ろうとしたら電車4編成通過の開かず状態で、レアだった。
いつもの部室(新年度なので補足:有志により運営されている書庫兼貸本棚兼遊び場。別に隠れてない隠れ家。ボドゲ・映画感想会・文庫本交換会など誰でも自由で思いつきなイベントをふらっとやれるのが売り)に立ち寄ると、勝手に教えを乞うている音楽の先生と勝手に内心で師匠と仰いでいる書店員の方がいて、気分が上向いていく。寂しがり屋なんだよな。
こういうことやりたいよねーとか文フリ出たいなーとか色々お話しして、なんだかいい感じで一日が終わった気分。地元に未だ「ザ・ダイソー 百円館」の看板を掲げ続けているお店があると知って驚く。今度行ってみたい。

あと昨日も書いたけれど、「忙しいと本が読めない」という話もした。書店員さんは絶賛繁忙期である(去年より大変らしい)。
わたしが「自分なんてめちゃくちゃ時間あるはずなのに本が読めない」と話すと、「時間のあるなしじゃないのかもしれませんね」と。
「だったら逆に本を読んでしまえば仕事の忙しさとか忘れられるんじゃないか」という感じのことを(たぶん)言われていて、ああこの人は「本物」だな、などと思った。

自分の読書欲は実際、背伸び的なところが大きい。周りにすごく読む人がいて、そういう人たちに憧れて読もうとたくさん買っているけれど、実際そこまで早くも多くも読めやしない。だから積読塔は伸び続ける……。
昔の人は背伸びの読書をしていたから賢かったとか、大学生はこんな本を読んでいるとか。アカデミックな素養のない自分はそういううわべのかっこよさに憧れてしまう。
まあ、別に本は置いといて腐るわけでもないし、どんなモチベーションで読もうが知識や考えるきっかけは得られるわけなので、マイナスになったということは(お財布以外)ないと思う。気の持ちようかもしれない。
でも、死ぬまでには目を通したいともちょっとは思っていて、そんならやっぱり「周囲に振り回されず、目の前の本を読む」ということもやっていかなければ何ない。
これ、考え始めると自分の承認に対する渇望とか寂しさの根源とかの話になっていって長いので今日はこの辺でとどめておきたい。