別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240509雑感

案の定昨夜は眠れなかったので、ずっと放置していた百年文庫10巻を読み始めた。
10巻のテーマは「季」。季節描写が印象的な作品が選ばれている。

○白梅の女:終わってしまった恋の話。強くなったように見えたたか子の弱い部分で終わるというのが印象的だ。人はそう簡単に悲しみを乗り越えられないんだなあ。
仙酔島信濃は伊那に暮らす老婆の話。始め江戸ぐらいかと思ったが、維新後の明治っぽい。夫が亡くなるまで耐えてきた人生を受け入れようとするも、船頭夫婦の姿を見て悲しみを覚える。ここを題名にとるのがすごい。
○玉碗記:今回のマイベスト。実際にあった考古学的発見をベースにして、夫婦の関係性の物語が二重に物語られている。井上靖、とにかく文章が上手い。細雨の降る丘陵に響く音のない音楽。二つの器の運命が再び交叉する瞬間の凄洌な火花。すれ違ったまま終わってしまった二人の悲しみが、秋の清澄な空気の中を流れてゆく……
情景に託した心情描写はやや硬い言葉でありつつも、すっと心に入ってくる。

百年文庫の読破を目指すのは「手っ取り早くいろんな作家に触れたい」という安っぽい動機だが、しかしアンソロジーというのはなかなか良いものだと思う。読んだことのない作家ってどうしても難しそうだとか合わなそうだとかで敬遠してしまうけれど、実際読んでみるとなかなか好きだったりするもんだから。
最近河出の「おいしい文藝」シリーズを均一で見つけるとつい買ってしまうのだけれど、あれもけっこうすごい面子の作品(エッセイのみだけど)が収録されているのでおすすめだ。音楽だってプレイリストから好きなアーティストを見つけて聴き始める時代。アンソロジーをきっかけに好きな作家を見つけるのも同じようなものだろう。

それはさておき文學界。まだ5月号に苦戦している(しかもトゥルーイズム読書会は今月も飛ばしてるし…)。

文芸誌チャレンジ参加者の皆様から聞かれる難所トップ2は、「途中から読み始めた連載」と「読んでない本についての評論」である。映画の評論はまだなんとなく理解できる気がするのだが、文芸評論は本当に難しい。作家の問題意識とか表現手法とか、読んでないと感覚的にもわからないのでつらい。
自分の場合「そもそも自然主義とかリアリズムってなんだ?」というところでつまずいている。先は長い…‥。

話の流れ的には、乗代雄介作品では作為的な感動じゃなくて自然そのものを描写しているみたいな話だったと思うのだが、そもそも何らかの景色を切り取る時点でけっこう作為になっちゃうのでは? とも思った。

ただここまでで自分的に特に難解だったのは、青野暦さんの『草雲雀日記抄』。大まかには主人公が亡き父の日記を読むという話なのだが、移人称かつ台詞と地の文が分かれていないので、今これはいったい誰の視点で語られているのかがめちゃくちゃ曖昧になっている。もちろん作為的にそうされているのだろうが、普通に日記を読むだけでは移動するはずのない人物の視点にも移っていて、びっくりした。
本作と市川さんの『オフィーリア23号』は5月号2大難解&教養が無いと読めない作品だった。6月号には草雲雀の書評が載ってるから、それを読んでもう一度挑戦してみようかな……。

もうあと10日ということで、ようやく文フリのお品書きをちょこちょこ調べ始める。文學界、百万年書房さん、古賀さん、旗野さん、古本屋百年さん……と大御所は色々あるのだけれど、どうせ東京まで足を運ぶのだから、運命的な出会いというのも期待してしまいたい。
とはいえ大阪でさえ現地で探すのはとっても大変だったのだから、やっぱり即売会は事前準備が99%かもしれない。もうちょっと頑張って調べよ。

この小さな田舎町ではなかなか手に入らない素敵な作品を持ち帰って紹介したいという使命感を、勝手に抱いている。