別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

231127雑記

Twitter(面倒なので当分そう呼んでいく)で流れてきたしんみりする記事のコメントが修羅の国になってて若干ひいた。(ごく一部の)ネット民、自語りとか自分に酔ってる人が嫌いすぎないか? ここ最近割とエッセイとかを読むようになったので、(いい意味で)すごく主観的な文章も味があっていいなと思えるようになってきたのだが、嫌いな人はとことん嫌いみたいだ。
ネットという空間にいると何だか絶対的な「客観」があるように思えてくることがあるけれど、どこまで行っても主観から逃れることはできない。だったらとことん自分に酔ってしまう日があってもいいんじゃないかな。というか、自分に酔わないとやってられないんだよな。
こういうのを見ると、やっぱり人と人とが分かりあうのって難しいなと思う。リアルに対面していれば色々と緩衝材になるものもあるだろうけれど、顔の見えないネットでは適切なゾーニングや距離感が必要になる場面はたくさんある。とっても村社会だ。

フォント

さて、昨日ブログを投稿したところ、フォントがめっちゃゴシックボールドでびっくりした。前からこんなだっけ? なんかもっとこう、細めのスタイリッシュなゴシックか明朝体じゃなかったか? あまりにも黒黒とした画面に辟易としてしまう。最近は塊として文章を書くように意識しているので、つまりすぎると海苔弁当になっちゃって読みにくい。改善してほしい。あ、スマホでは普通だった。タブレットがダメなのかな。

帰宅

そういえば今日は夜から雨予報だったのだけれど、ちょうど帰る時間にパラついていて、原付を走らせたらめっちゃ濡れた……と思ったけどあんまり濡れてなかった。不思議だ。

ニックネーム

ブログのプロフィールアイコンを設定してなかったのでいじってたら、「ニックネーム」という欄があった。idとは別にニックネームを付けられるということだ。しばし用いている「味噌汁原ドミノ」(ミソシレファラドミソのもじり)にしようかなと思ったけど、この文字列もなんか見飽きてきたし、「みそ……しる?」みたいなリアクションをもらいがちなのでそろそろ変えたい。
今まで適当に名前を考えては(その割に自虐的ダブルミーニングとか変なこだわりはあるが)使い捨ててを繰り返し、使った雑ネームは20を超えていてもおかしくない。そろそろあの人は〇〇さん的なずっしり構えた固定ハンドルが欲しいのだが、そうやって頭を捻らせて出てくるものはやっぱりまた自虐風文字遊びネタで、もう何も考えずにありふれた可愛い名前でも付けといた方がいいんじゃないかと思う。

本。本を読まなければならない。図書館で借りている本もあるし、仕事上読んでおきたい本もあるし、積読もヤバいし、また一箱古本市に出ることになってるし。ただそういうふうに「読まなきゃいけない」ってなると、めっちゃ読みたくなくなるよな、本。
自分は読書モチベーションに「あの人も読んでるから!」「みんな読んでて話題についてけないから」とかを使いがちなんだけれど、これも結構疲れちゃう。この人はこれを読んでてあの人はあれを読んでてその店はそれを推してて……とキリがないし、読めない自分がどんどんダメに思えてくる。読書はバトルじゃないし、どれだけ頑張っても活字を追うスピードが上がるわけじゃないし、どれが読みたい本なのかわかんなくなってくる。
先日も読書会で「一冊の本をしっかり読み込む」というような話が出てきたのだけれど、そういう読み方ができた試しがない。座右の一冊に憧れがある。あと、再読も全然してない。図書館本は読んだら返しちゃうし、買った本は読まずに積んじゃうし。一体なんのために本を買っているのか。本だからなんか理知的な感じになってるけど、実のところ浪費の快感に浸っているだけじゃないのか。
そんなふうに「読めない自分」に対するコンプレックスを少々拗らせているのだが、これもまた誰かと読書力みたいなのを比較しちゃっているからだろうか。

まとまらないまとめ

まとまらない文章を書いた。話題があちこち飛んでいって、着地するでもなく、投げっぱなしである。
まとまらないことはマイナスだろうか。
自分の周りにも、何だかよくわからない活動をしている人がいて、その活動をうまく説明することは困難である。世のビジネスにおいて「簡潔な説明」と「伝わりやすさ」は重要なポイントであり、人はわかりやすくまとまったものに共感してお金を出す、というようなセオリーがあったような気がする。
カオスで、わけ分からんくて、意味も簡単には見出せないことにはお金が集まらない。それは確かにそうだ。でも、それは逆に言えば「お金に置き換えることができる」という経済圏から独立した特異な場所であって、そこに価値があるのかもしれない。というようなことを言ってる人がいたような気もする。

なんかさ、みんながそれぞれによく生きていければいいのにね。