別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

書くことに敗北し続けている

ここ最近、書くことからどんどん離れていってる。

元々自分はいろんなことに手を出しがちなため、例えば音楽にハマっている時期は写真を全然撮れないとか、そういうところがある。現状のバランスでいうと、「読む」が8、「聞く」が1.5、残りはその他である。書くことの余地が全然ない。

知人たちと「ブログやって行こうぜ!」と盛り上がっていた先月のあの頃が、もう遠い昔のようである。

 

それでは今なぜこの文章を書いているかというと、借りている本の中に文章術系の啓発本があるからだ。最近(独立系)書店でもよく見かけるその本によると、「なんでもいいからとにかく書け!」とのことである。まあ、結果的に書いたという事実さえあれば、なんでもいいのかもしれない。しかし、これは私の悪いところなのだが、そう言われると「じゃあそもそもなんで書く必要があるの?」という疑問が出てきてしまう。前述の本はそういう態度もバッサリ切り捨てろと述べているのだが、身に染みついたこればっかりは、そう簡単には拭いされない。

 

こう考えてしまいがちな背景にはおそらく、「意味のあることをしなければならない」という強迫観念みたいなものがある。もちろん表面的には全然そんなことは思っていないし、意味ばかり重視される世の中なんてクソだと思っているのだが、もっと深い部分にこの考えが根付いてしまっているのかもしれない。

いや、より正確にいうならば、「誰かに認められることをしなければならない」の方が近いかもしれない。ネット世代特有の、「いいねがもらえない=見つけてもらえない自分=存在していないと同じ」みたいな極論なのかもしれない。

こんなことをグダグダ書いているあたりからも察せられるように、自分は人間関係が得意ではない。ガンガンこられるとめちゃくちゃ飛び退いてしまうし、構ってもらえないと拗ねる。特に最近コミュニケーションが希薄になっていて、そういう傾向は悪化している。

だからこそ、そんな自分の抱え込んだものを放出するために、書くことが必要なのだ。

 

 

はい重い〜〜〜!!!

 

それやん。そんな壮大なこと考えるで何も書けへんやん。書くことへの理想がデカすぎる。

というかな、「ちゃんとしたことはnoteに」「ざっくりしたことははてなに」とかブログ分けた時点でもう負けとんねん。無理やん自分、経験上。そんな器用にでけたことあらへんやん。絶対どっちか滞るやん。

ええねん。「電車の窓から見える雲の感じがめっちゃマリオ」とかでええねん。それをわざわざ「これは短歌とかの方が向いてるな…よし、『横スクのアクションゲームのような空誰のプレイを見てるのだろう』! これはいずれどこかで使えるか!?」みたいにこねくり回した結果お蔵入りにせんでええ。結局それで何も書いてへんだら負けとるやん。

 

 

 

 

池田晶子「最近の人は何でもかんでも軽い気持ちで書きすぎる。もうちょっと考えろ(超意訳 たぶんそんなことを言ってたと思う)」

ぼく「……」