別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240416雑感

今日は絶対目覚ましが鳴ってなかった。たまにAlexaが謎の反抗をしてくるので困る。
鳴らなかったので体操と散歩ができず、一日の始まりは微妙だった。

雨が降るかと思って傘を持って行ったが、全然降らず。職場ではなんとなくしっとりした音楽を聴いていた。
そういえば、先日古本屋さんで聴いたけれどタイトルを忘れてしまっていたアルバムを、必死になって探したら見つかった。
FLAUという東京のレーベルから出ている、『Circles』というコンピレーションだった。FLAUといえば、自分がけっこう好きなausのアルバムを出してるレーベルじゃないか。灯台下暗しだった。

flau.jp

昨日言及した『ノースポール』のえこさんから、さっそく反応をいただいていた。恐縮である。
自分を信頼してくれた人の言葉(過去)が、今を生きる糧となっている。たぶん、思い出そうとしたら自分にもそういう物事はたくさんあるはずなんだと思う。
だから、自分が囚われているのは「過去より今、未来が良くなければならない」「過ぎたことは過ぎたこと」みたいな、成長主義的なものなのだろう。

最近また活発になっている坂口恭平さんの記事が流れてきた。三年前のBRUTUSのインタビュー。
著書でも何度も同じことを書かれているはずなのだが、すぐ忘れてしまう。だから、読み返すたびに新鮮な気持ちになる。

brutus.jp

自己肯定感は低いが、自尊心は高い。それが「自分はもっとできるはずなのに、なぜできないんだ。できない自分には意味がない。死のう」みたいな思考に繋がっていく。斎藤環さんも『「自傷的自己愛」の精神分析』でそんなテーマを取り扱っていたはずだ。
読んでるのに、「これだ!」って思ってるのに、忘れてしまう。日常の自己嫌悪に回帰してしまう。なんでだろうね。そのほうが楽だからかな。


最近たびたび流れてくる、Z世代のブッククラブの記事。

www.businessinsider.jp

読んだ後「読書会が孤独への処方箋になることは確かだと思うのだけれど、個人的には本を「つながるための道具」としてだけで利用してしまうのはやや抵抗がある」「自分のことは程々でいい」みたいな感想を書きつつも、結局こうやって自分のことを書いている。思考が行き詰まると、自分のことばかり。

自己否定の強さとか、未熟さとか、そういったことをどれだけ表明すれば気が済むのだろうか。この文自体がすでにその状態に陥っている。
自分のことばかり考えていると、世界のことが全然見えなくなっていく。全てが均質になっていく。つまらない世界。

疲れや不安を感じたとき、体をギュッと丸めるようにして眠るのは、どの動物も同じなのだろうか。
こういうふうに書くことで、柔らかい羽毛布団みたいなもので自分の周りをぐるっと囲もうとしているのかもしれない。