別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240211雑感

ご飯を食べて、寝て、食べて、寝てということをやっていたら15時半になっていた。めちゃくちゃ背中が痛い。身体はこんなにも辛いのに、布団に潜り込んでしまうのは、心の問題なのだろうか。
人生は短い、だからやりたいことをとことんやろう。そう言われても困ってしまう。結局その短い人生の中で何を優先するべきなのかが、自分にはわからない。なのに、寝てるだけの一日を無為だと考える思考のせいで、余計に辛くなる。無間地獄みたいなものだと思う。

そんな悶々とした3分の2日から抜け出せたのは、幼い頃から通ったモールが明日で閉店と知ったからだった。

買い物をした記憶は正直あまり残っていないのだが、かつては映画といえばこの横にあるシネコンだったし、5、6年前からはずっとここの床屋に通っていた。思い入れのあるモールだ。公式アナウンスでは建物老朽化に伴う「一時休業」なので今後どうなるのかはわからないのだが、モールより郊外のほうが買い物の選択肢も広がっている現在では、もしかしてこのまま無くなってしまってもおかしくはない。
なんにせよ建物自体は見納めに違いないので、最後にぶらぶらと歩いてきた。

閉店日が連休最終日ということで、店内はすごい人だった。閉店あるあるだが普段からこれだけの人が通っていればなぁ……と思ったが、老朽化だから関係ないか。いや、客が多ければもっと早くにリニューアルして便利になってただろうけれど。
さすがにあと1日では在庫補充もされるはずがなく、連休限定の追いセールの影響もあってかあらゆる棚がスカスカで寂しくなった。本当に閉まってしまうんだなと感じた。ボールペンの替え芯ぐらいならまだあるだろうと考えていたが全然なくって、みんな考えることは同じなのだった。大きいサイズの靴下は売れ残っていて、足が大きくて良かったのはこういう時ぐらいだなあと思った。
書店のCDコーナーも人が多かった。今のご時世でCDショップに人がこれだけ集まるのはすごい。それもCDが20%とか50%引きになっていたからなのだった。有名どころはもう大概売れていて、かといって地方のローカルモールに掘り出し物的な出会いが期待できるということもなく、買いたいものは見つけられなかった。
売り場の片隅にずっと売れ残っていた、色褪せてしまった十年ぐらい前の商品みたいなのを見ると、何かが終わるってこういうことなんだっていう実感を得る。人が作ったものは、人が終わらせるか、自然が終わらせるか。いずれにしろこうやって、必ず終わる時が来るに違いないのだ。


モールを出たのが5時ぐらいで、読書会の会場に着いたのが6時前だった。それでもまだ地面が見える程度には明るくて、季節が着実に進んでいることを知った。

今月も読書会に行くべきか、否か。毎月そんなことで迷っている気がする。行ったら行ったで楽しいのは間違いないのだが、「うまく喋れなかった」「時間を使い過ぎた」「人と会って疲れた」みたいなことも感じてしまうので、毎度葛藤があるのだった。
今回は紹介冊数を絞ることで2つ目の懸念は回避できたのだが、やはり喋りは下手だったし(私の前後の人が特に上手かったので)、初対面の方もいて、いつもより緊張していた。

「読書会におけるより良い語りとは何か」ということを何度も考えてきたし、ブログの下書きにもそういう記事がずっと残っている。
哲学やケアの文脈では「たどたどしい語り」をちゃんと評価しようという向きがあるような気がするし、それを都合よく解釈して自分を慰めてきたのだが、やはり人に何かを伝える場面では、ある程度「整えられた語り」が必要なのではないか。
たどたどしい言葉は、聞き手に高い集中力を求める。容量の得ない話をしっかりと拾おうとする心持ち、時には余裕も必要だろう。哲学やケアの場面はそれを前提としているからこそ、(成型された言葉への批判も込めて)たどたどしい語りを評価できるのだろう。だが、ある程度人数もいて、それぞれの関心も精神的余裕もバラバラな場面では、伝えることを最低限に絞ってなるべく滑らかに伝えたほうが、相手も自分も疲れずにハッピーになれる、気がする。(言いたいこと全部詰め込んでも結局「伝えきれなかった」後悔は無くならないので、それなら初めから絞ったほうが「言いたいことを言えた」という満足感は得られるのかもしれない)

そして、読書会には二段階の語りが存在する。まず最初に本を紹介する場面(パートA)、そしてその紹介に対するリアクションを受けて何かを話す場面(パートB)である。よって、パートAにおいてはある程度整った話し方をして、パートBではリアクションを受けてのたどたどしい語り……という使い分けでもいいのではないか。というか、話すのが上手い方はそういうことをやっている気がする。(そもそも予想外のリアクションが飛んでくる場合も多いので、パートBでスラスラ話すのはなかなか難しい)
というのが、今月の自分が暫定的に言える結論かもしれない。なお「整った話し方」に関してはもっと深掘りする必要があるだろう。究極に成型された「原稿を読む」スタイルをやってみたことがあるけれど、めちゃくちゃ言葉が上滑りする感じがして気持ち悪かったので、行き過ぎてもダメなんだと思う。


今回紹介された本で興味深かったのは、現在県内で開催されている展覧会の図録と、本に関するあらゆる「リスト」を集めた本。リストというのは例えば「作品名を冠した症候群(アリス症候群とか)一覧」とか「作家によって作られた暗号」とかそういう文学雑学である。惜しむらくは邦訳されていない洋書、ということか。