別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

5/18〜5/24 人生でn(3≦n≦5)回目ぐらいのサイゼリアに行った。

今週はなぜか、本がたくさん読めた。


5/18

小さなボート一つで南半球の国まで行く夢を見た。絶対に実在しない国で、インフラは日本の地方レベルに整備されているのに何故か主要道路が水道という、ヴェネツィアの街が現代版みたいな景観だった。

朝の電車で引き続き『いらっしゃいませ、今から授業を始めます。』を読んでゆく。祖母の葬儀で叔父と会ったことについて書いた「別れ 2025.9.15(月)」のこんな一文がとても素敵だ。

久しぶりに会った叔父とは、亡くなった祖母を通じての関係が強かったので、もう会うことはできないのかもしれないと思ってしまったが、私が本屋という場を開いたことで、「またお会いしましょう」という最後の挨拶の言葉が社交辞令ではなく、きちんと温度をもつ言葉に変わったのが嬉しかった。
(船張真太郎『いらっしゃいませ、今から授業を始めます。』 /ブタコヤブックス、P86-87)

テンションの高いギャグと、しんみり暖かくなる温度感の文章。ここのバランス感がほんっとうに良いのだ、船張さんの文章は。
一文としては長いこの箇所も、読点で繋げてことばを探りながら書かれた丁寧さみたいなものが伺える。そこが圧倒的に信頼できるのだよなあ。

帰りの電車でも続きを読んでいると、教え子の成人式でパン屋さんに間違われた話で吹き出しそうになった。最後も無駄に上手いこと言っててヤバい。なんというか、面白の波長がめちゃくちゃあってるんだろうなぁ。


6月のZINEイベント出店の翌日に、一箱古本市の申し込みをしてしまった。今年はもう少し活動範囲を広げてみたいな〜というのを前々から思っていたが、そろそろできそうだろうか。


butakoya.base.shop


5/19

ここ最近の寝つきの悪さには困ってしまう。眠気が来た瞬間に布団に入っても、だんだん頭が冴えてくる。眠ろうとするほど眠れなくなる。根本的に運動とか色々たりてないのだろうと思う。

朝のローカルニュースで、伝統の組紐でLGBTQ+レインボーを表現する「虹紐」が取り上げられており、伊賀市のパートナー制度なども初めて知った。地元は某議員の差別発言などもありジェンダー方面では遅れをとっているのが否めないので、見習って欲しい。今度伊賀行った時に探してみようかな。

『探偵小石は恋しない』の続きを読む。やはり小石は能力者(?)で、人の恋愛感情が矢印として知覚できるという。それだけだとSNS漫画なんかでありがちな設定だが、果たしてこれがどうミステリ要素と絡んでくるのか。

基本的に章ごとに一つの依頼を解決していくという流れだが、小石の能力ゆえにどれも色恋沙汰。小石自身はそれを不満に思ってミステリーらしい事件を待ち望んでいるのだが…。
そんなバタバタした展開の裏で、ひっそりと進行するきな臭い事件。このあとメインの展開とどう交わってゆくのか。

第三章あたりからは更に不穏な空気が増してくる展開。小石は血を見ると気絶して記憶を失ってしまうという明らかに重要そうな伏線と、プロローグと繋がる過去回想が入ってきて盛り上がってまいりました。
そのまま勢いで最後まで突っ走る。「お〜」と「いやいやいや」が交互に来て面白い。偏見に対して偏見返しするところの伏線回収は素晴らしい。三人とばっちりすぎるけど。

最終的に全部タイトル通りで恋愛関係に決着しているのだが、どの恋もおかしな方向に重かったり一方的なのがギャグだった。そんな中でのあのラストは、まあそうなるわなという感じ。



榊莫山『書百話』(ハルキ文庫)を読み始める。先月の読書会で紹介されており、そういえば持ってたなと積読から引っ張り出した。
莫山先生のことは全然ご存知ないのだが、軽妙な語り口が良い。

「雲南の記念碑」という章で、気候について書かれたところ。

だから、大麦も小麦も麻も棉も、さてはコーヒーもヤシの木も、すくすく豊かに育っている。
(榊莫山『書百話』角川春樹事務所、P26)

この「さては」というのは初めて見るなと思って調べると、コトバンクの日本国語大辞典の二項①がそれらしい。

一つの事物・事態をうけて、それ以外のものに言及するのに用いる。その他。そのうえ。そればかりか。
(「さては」- コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%81%95%E3%81%A6%E3%81%AF-2043097

例を見るに古典的な用法なのだろう。少し前の文章を読んでいるとこういう知らない語法に出会えるのが面白い。

そして莫山先生の文章のリズムの良さが、だんだん体に入ってくる。

見ようによっては朴訥。眺めようによっては気随気儘。考えようによっては奇妙奇怪。雲南の書き手も彫り手も、こりゃかなりの気分屋さんであった、と思う。(P27)

漢語を重ねてリズムを作り、最後は読点で柔らかく着地させる。良いなぁ。なんかこれ自体が筆で字を書く動きを感じさせる文章。…うまいこと言い過ぎ?

他にも張猛龍碑の「筆のうごきにほろにがい安らぎがある」(P35)とか月斗の「その気性と気品を文字に坐らせて、くったくのない気分をふりまいて、たのしませてくれる」(P59)とか。


寝る前に宮川未奈『成瀬は都を駆け抜ける』(新潮社)を読み始めて、一気に読み終えた。
成瀬シリーズもついに完結ということで寂しさはあるけれど、このスタイルだと無限に続けられるので、区切りとしてちゃんと締めてくれて安心もした。
突然の森見登美彦パロディというかもはや二次創作レベルの愛溢れる展開にはニンマリ。

そして、成瀬あかり史を見届けるのはやはりこの人、というこれ以外考えられないラストに読後感も爽快でした。



5/20

9時50分の電車に乗るつもり、いつも通りだらっとしてしまい一本後に。ここ最近の休みはブックオフか寝るかだったので、たまには県外に出てみようというリハビリである。ブックオフもまあ、寄る気でいるが。

『書百話』つづき。中国の書、日本の文人の書と来て3章は僧侶の書。空海、慈海、仙崖などと名僧が並ぶ。莫山先生はただ整っただけのキャラクターがない書には当然興味がないようで(時に「目の毒」とまで書いている)、どれも個性的。

こういう凄い字というのは、意味もからめて見ているだけで身ぶるいがする。電線が風に鳴っているような音も感じる。
(P117)

とは良寛の般若心経評。書から音が聞こえる境地。

四章は「野の書」ということで、莫山先生がその辺で見つけてきた名もなき人々の文字が集まっている。ここがなんか無言版アートみたいで良いなと思ったのだった。
そんな章の中に「唐箕の栄光」という一編があり、そういえばこれ昔うちにあったわ〜と懐かしむ。ハンドルを手回しして籾殻と米をより分ける農機具。そんな使い道なんて知らずにただぐるぐる回して遊んでいた記憶。

電車を乗り換え、11時ごろに最初の目的地、黒川に着く。前々から気になっていたシェア型書店「Bookbridge Lbio」さんはここから徒歩15分。まあまあだな。
高速の高架下をくぐると、ザ・団地。都市に住む人にとっては何も珍しくない光景だろうが、田んぼ民にとってはホームドラマの中の世界である。そんな親子づれとおじいちゃんおばあちゃんしかいない土地を歩くおじさんは明らか場違いなので、なるべく不審じゃなさそうに素知らぬ顔して通り抜けた。
Lbioさんは書店とシェア型書店とコーヒー店の複合店舗。シェア型書店の方ではワークショップが開催中でさすがに入れなったので、まずは書店の方をざっと眺める。やはり土地のカラーが出ている感じで、エッセイや絵本などが多い。一方で軒先の古本コーナーにはちくま学芸文庫やジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』などが出ており謎が深まる。
スタッフの方に「隣のシェア棚も見れますかね…?」と聞いてみたところ、案内してイベント中の人々に声かけしてスペースを開けていただいた。なんだか申し訳ない。そしてやはりおじさんは場違いなので、身を縮こまらせながら静かーに端から端へ。群像アンソロジー『孤独の時間』と前にZINEフェスで買った『ままならない日々』の続編を見つけて退散。


お昼をどのタイミングでどこで食べるか迷い、GoogleMapsでとりあえず「吉野家」と入れてみる。客層とメニューが大体わかっている牛丼チェーン店を真っ先に探してしまう悪い癖だ。
しかし目的地や経路近辺では見つからず、駅前にあるサイゼリヤで食べることにする。マップの情報でも「それほど混んでいません」と出ている。

問題は、人生で3回ほどしかサイゼに行ったことがないということだ。先述の通りわかってる店にしか行けない人間なので、自分からサイゼに行こうとなることがまずない。前回も知人と行った2年ほど前のことになる。店頭でテンパりたくないので、電車の中で必死にメニューを調べる。グランドメニュー、ブログの「サイゼのおすすめTier」などなど。正解の組み合わせは、何だ。

そんなことをしているとあっという間に駅に着き、思っていたよりも多い人混みの中を抜けて店へと向かう。こちらも10人ほどが並んでいる。これで混んでいないなら本当の混雑とは。
しかし回転は速そうなため、待っていると10分ほどで呼ばれた。

壁際のソファに荷物を置き、メニューを眺める。ランチあるじゃん。スパとハンバーグで迷うが、腹に溜まりそうなハンバーグ+大ライスに。ついでにチキンサラダもつけてちょうど千円。
サラダは2分ほどですぐ来て、そして思ったよりデカい。余計なもの頼まなくてよかった。食べ終わったころにハンバーグも来る。ほうれん草とポテトとコーンも添えてある。ソテーとか余計に頼まなくてよかった。

客層についてはやはり学生とカップルがめちゃくちゃ多いが、おじさんもちらほらいたので浮くほどではなかった。平日なのもあるだろう。これが休日だとカップルとファミリーで埋め尽くされてそう。そうなったら、かなり躊躇うと思う。つくづく面倒な人間だよ。


食後もいくつかのスポットに寄るため電車に揺られつつ、莫山先生の続き。「長谷寺の梵字碑」はここまででいちばんおふざけが入っており、梵字→梵語→ボンゴというギャグをかましている。急にテンション高いな。


用事を済ませ、帰路に。かなり久々に1万歩以上歩いた。
帰りの電車では読むように持ってきていたが危うく運ん読になるところだった大滝瓶太『花ざかりの方程式』(河出書房新社)を開いて数ページ読むも、「あ、これは理解できないやつだ」とすぐに分からせられた。そもそもSFと数学と純文学という難しいもの三つ掛け合わせちゃったらそりゃあ難しいものができるわな、と。ゼータ関数みたいな山並み言われてもなんのことやら。。。


5時前ごろに最寄駅に着く。そこから買い物をしたり、読むだけの一人読書会をしたり。本降りの雨という予報だったけれど、夜まで天気はもっていた。ただ湿度は高く、ジメジメベタベタしている。秋冬のカラッと空気が恋しい。


5/21

雨は未明のうちに通り過ぎたようで、朝には霧雨が時々袖を濡らす程度になっていた。夕方も曇り予報になっているので原付で行けると判断し、ギリギリの時間に家を出た。これは無理かなと思ったけどなんか間に合った。

行きの電車は莫山先生。今更だけどご本人撮影の写真が上手い。特に春日大社の徳利は自画自賛されているが、マジで公式写真かと思った。

第五章は「雑抄」ということでいわゆる「書」以外の文字についての話もいろいろ収録されているのだが、そんななかに「毎日新聞」ロゴの話も出てきて面白い。そもそも毎日の連載だからだろうが。

活字体といっても、元をただせば人間の手がかいた文字である。この“毎日新聞”の字も、デザイナーが苦心してかきあげたにちがいない。
(P222)

当たり前のようにフォントを選べる現代ではついつい忘れてしまうが、大切なことだなと思う。


大滝瓶太『花ざかりの方程式』(河出書房新社)も頑張って読み進める。

パラメータに物理的な時間を採用せず、人格にエピソードが作用する。右からかかるエピソード行列を時間発展演算子と解釈し、そしてこの行列には交換則が成立しない。よって、この簡易なモデルで示される為人は数珠つなぎのエピソード群として表現され
(大滝瓶太『花ざかりの方程式』河出書房新社、P102「ザムザの羽」)

あばばばば。
おそらくこの作品は「理系なら分かる」ところと「理系でも分からん」ところがあるのだろう。専門用語やら数式の意味を理解できない人間は理解へと辿り着く前に跳ね除けられてしまうが、文法を知っていれば、その文章の意図ぐらいは分かるのかもしれない。

そんな分からんまみれの中でも、「演算信仰」という一編は全体のなかで重要そうな気がした。岡崎忠邦、イタロ=カステルヌーヴォ・カニーノといったいままでの登場人物の名が出てきたり、カニーノに至っては「この物語はフィクションです」とまで言われている。何やらすごい理論が完成し、世の中のあらゆるものが演算可能になった世界、においてはそういうことなのだ。

この世とあの世の境界が曖昧になり生者が死を生きる不確かさが幾多の靴音から独立性を剥奪し白痴的な雑音の集合として統合されているという気配だけが実在を確固たるものとしている
(P136)

文章で殴らんといて〜!

続く「白い壁、緑の扉」はH.G.ウェルズの「The Door in the Wall」の全訳を文中に埋め込んで作られた実験的な作品。前にユリイカの谷川俊太郎特集で「朝のリレー」を使った小説があったけれど、同じ手法だ。
とつぜん小説を書けなくなった「わたし」は友人のウォレスから「白い壁の緑の扉」の話を聞き、なぜ人は物語ることができるのかについて思いを馳せる。

最初の方に出てくる『夢十夜』の仁王像の話は先の演算とかとも繋がってくるのかな〜などと思いつつ読む。


表題作の「花ざかりの方程式」もまた難解極まる作品だったが、「翻訳」というのは一つのキーワードなのだろうなと思った。今までにも何度か形式言語と自然言語みたいな話が出てきたが、文学を数学の言語を用いて書こうとする試みということだろうか。


5/22

昨晩も寝つきは酷かった。眠気のピークを逃した上に、急に鼻がずびずびになって何度もかんだ。自律神経が相当疲弊していそうだ。

そんなこんなで今朝もギリギリ。ホームに着くのと電車が来たのがほぼ同時。なぜ間に合ったのか謎。

綿矢りさ『グレタ・ニンプ』(小学館)を読み始める。『激しく煌めく〜』からのこのテンション差がヤバい。ヨウセイダーーーーーーーーーッッッ!
フォントで遊びまくるのはラノベとかだと見たことあるけど、ハードカバーの単行本でやられると迫力がすごい。

主人公は大手企業で働く40代ぐらいのサラリーマン。妻と四年ぐらい不妊治療をしてきたんですけれどなかなか子に恵まれず、主人公はそこから目を背けるように出世を目指しているという日々。
しかし、ある日帰宅すると、それまでセミロングでおしとやかな女性だった妻が突然紫のバズカットでファッションセンスが厨二っぽくて口調が悟空になっていた…と情報量が多い。

妻は変貌してからそれまでやってなかったデモへの参加や集会なども行うようになるが、「僕」は始め妻に対して元に戻って欲しいと思っている。それが、だんだんと今のスタイルを受け入れられるようになっていくというのが話の大筋。
このフォント芸というか勢いとかも、「不妊治療とか妊娠とか子育ての大変さ、男はこんぐらいやらんと分からへんやろ!!」みたいなところがあると思う。

貯めていた家計簿をまとめて付けた。今月、本代に3万円ぐらい使っており、ヤバい。しかもそのうち新刊は3千円ぐらいなので、残りはほぼ全てブックオフである。何冊よ?


5/23

昨晩は寝る前に鈴木砂巴良『文学フリマ物語 なぜ人は創作に魅せられるのか』(ウェッジ)を読み始めてしまい、今朝も寝不足に。電車は比較的空いていたので腰を下ろして続きを読む。

まず何が凄いかというと、著者は共同通信の記者で、しかも第一回の文フリに早稲田のサークルで出ていたという方。これ以上ない適任すぎる。そんな鈴木さんによる、文フリ出展者や関係者へのインタビューを中心としたルポなのだが、ちゃんと大塚英志とか東浩紀とかキーパーソンにもインタビューしててすごい。

文フリの創始と言えば例の純文学論争が有名だが、大塚さん的にはもっと別の動機があったと語られていたりするのが興味深い。

文フリに関する欠かせない話として短歌ブームと日記ブームの話も当然出てくる。例えば短歌の場合それまでは「結社」に所属して選ばれた作品を自費出版して謹呈して評価を得る、ていうのがあたりまえだったが…みたいな基礎知識をちゃんと説明してくれてるのがとてもありがたい。
それが現在では、BL短歌でSNSに短歌が浸透してゆき、木下龍也が新鋭歌人シリーズで出てきて、まほぴがTwitterでバズって〜みたいな昨今の短歌事情は、流れとしてみるとそういう感じなんだなーと。リアルタイム感

文學界がブースで出店した時の編集長が又吉直樹の「火花」を世に出した人で、しかも又吉さんと繋がったのが過去の文フリでの打ち上げという出来すぎストーリーすご。

最終的にハンナ・アレントで総括してるあたりは難しかったんですけど、自分の興味あるところのルポを読むのはやっぱ楽しい。


夜はそのまま読書会へ。今月はいつもより一時間短く、仕事終わりだと開始一時間後の途中参加になってしまうので、雨降る中慌てて会場まで行く。今回は人数少なめだったが一人当たりの紹介量が多く、自分もまあまあな冊数持ってっちゃったので時間ややオーバーに。反省。
事前に話すことをまとめて行ったので無言時間は減らせたのが良かったか。

帰り道、雨夜のバイパスは中央線が全く見えず怖かった。街灯立てるなり光らすなり、なんとかしてほしい。



5/24

疲労の蓄積により、一日中寝たり起きたりを繰り返していた。やるつもりだったZINEの原稿は手もつけられず。
19時ぐらいになってようやく起きることができ、図書館のポストに本を返しに行った。