別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

動けないときに動こうとしないこと

しんどいとき、落ち込んでいるとき。それをしたらちょっとは気分がマシになると分かっていても、なかなかできないことがある。

例えば、本を読んだり、何かを書いてみたり、ちょっと散歩してみたり。そうやって何かに没頭すれば、少しの間でも苦しみから逃れることができる。

そう分かっているのだが、なかなかベッドから体を起こせないことがよくある。

 

今はちょっと落ち着いているのかもしれないが、セルフケアブームみたいなのがここ数年盛り上がっている気がする。パステルカラーの自己啓発本やらセルフケアアプリやらが次々と現れ、さまざまなランキングの上位に食い込んでいる。

その背景には真面目で抱え込みやすい人が増えているとか、SNS疲れとか、繋がりの希薄さとか自助の推奨とか色々なことがあると思うのだけれど、これが一般的になって、「セルフケアぐらいやってるのが当たり前」「セルフケアができないのは社会人失格」みたいになってくると嫌だなあと思う。そもそもセルフケアをこれだけ声高に唱えなければいけない社会の方がおかしくはないか。

 

だから安易に「セルフケアライフハック」的なものに飛びつくのは嫌だし、そんな場当たり的なことでは自分のこの深い絶望はどうにもできないと感じてしまうときもある。人生に対するあらゆることを諦めている瞬間である。

 

やり切れないのは、それは全て気分だと「気づいて」しまうことだ。結局喜びも絶望もただの一時的な気分に過ぎない。というか人は常に何らかの気分の中にいると思うが、それが常時変動し続けているというのが恐ろしい。今までやってきたことも、これから起こることも、全て気分に左右される。ぼんやりとした不安で死んでしまう可能性だってある。

そう考えるのもまた、ある気分に支配されているからだろう。

 

あらゆることをコントロールできるというのは勘違いだ。

セルフケアもまた、自分の気分は自分でコントロールできるという前提で成り立っている気がする。もちろん気分をかなりの精度でコントロールできる修行僧みたいな人も実際にいるのだろうが、ほんの一握りだろう。ほとんどの人は気分をコントロールできない。

そう考えるとベッドから起き上がらないでいるのは、とても自然なのではないかとも思えてくる。

 

時の流れに任せるというのが、非効率に見えて結局いちばん効果的な方法なのかもしれない。もちろん時間の解決を待っている間に寿命が尽きてしまう可能性だってあるが、何でもかんでも自分が動いて解決するのが良しという価値観だけではやっていけない。

ただ、時間に任せなければならないことほど焦ったく感じてしまうというのだけがちょっと厄介なのだ。