別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240214雑感

眠くて起きられないのは寒さのためだと思っていたけれど、春眠は暁を覚えず、暖かくても起きられなかった。もっと根本的な体調の問題かもしれない。

さて、気温が穏やかになって過ごしやすい季節だと思えばすぐに奴らはやってくる。花粉と虫である。山の方を向いたらすでに若干かすんでいて、農道の水路沿いには羽虫が飛んでいて、そして耕された田んぼの虫たちを狙うカラスの大群が電線にびっしり並んでいる。春だなあ。寒い代わりに引っ込んでいた厄介な存在のことを思い出す1日なのであった。

休日の今日、いよいよ「本の市」に向けた冊子のタイムリミットがヤバくてヤバかったので、必死でデータを作って入稿した。以前に作ったコピー本を印刷会社のテンプレートにのせて、体裁を整えてということをやっていたら、ものすごい時間がかかった。本格的な同人活動を継続されている方は本当にすごいと思う。ノンブル一つ入れるのも大変だし、フォーマットが同じでも分量が違ったりするものを、統一感を崩さないままにどう見開きに落とし込むか、なんて全然わからない。分からないなりになんとかものは作ったのだが、果たして印刷製本が終わって無事に読めるものになっているか、すごく不安である。
やっぱり本気でデザインの勉強をした方がいいのかな……? と思ったところで、最近ずっと悩んでいるテーマが頭をよぎる。

すなわち「本気」について、である。

本気になったことがあるだろうか? 今までの人生を思い出してみて、この時はすごく本気だった、と言える瞬間があるだろうか?
……自信がない。人生を左右する受験のときだって、私は逃げたのだ(あれを「逃げた」と捉えるのは心苦しいのだが、周りから見たらやっぱり逃げたことになるのかもしれない)。

逃げるな。向き合え。苦しい時を耐えろ。それがお前を強くする。人間的に成熟させる。

そんなの体育会系パワーソリューションじゃん、苦しいのイヤじゃん。と思うんだけれど、多くの人は何かしらを乗り越えた経験があるのかもしれない。逃げずに立ち向かった瞬間があるのかもしれない。みんなすごすぎる。
これもまた嫌いな言葉なのだけれど、「逃げグセ」というのが私には根付いてしまっているのかもしれない。しんどい思いをしないために、そもそも本気を出さない、雑に感覚だけでやっておく、ということを繰り返している。
もちろん、人によって適性や耐性は違うのだから、自分の物差しを人に押し付けることはよろしくない。それは行き過ぎると様々なハラスメントになって悪習を生む。
だから、結局のところ「本気を出すか否か」という選択を最終にするのは、自分自身なのである。

今までに何度も楽器ができるようになりたいと思ってきたし、独自で練習をした時期もあった。ただ、それが適正で効果的な練習かどうかということについてあまり深く考えていなかったし、避けていた。
楽器経験者に聞いたところ、「結局上達するかどうかは本人次第。他のことを忘れてすごく熱中した時間があるかないかではないか」という。自分にそんな時間があったか。教則本をざっと見て、適当にそれっぽいことをやっていただけではなかったか。
そもそも、本気で上手くなりたいと、思っていたか? 楽して結果だけ欲しい、とか思ってなかったか?

そうなるともう、頭の中に真っ白い霞がかかってしまって、「本気になれない自分なんて生きてる価値がない」という飛躍した思考に囚われてしまうのだった。

もう、本当に何も分からない。
なぜ人は本気になれるのか?
なぜ自分はまだ生きているのか?
なぜ目の前のことに集中できないのか?
なぜこの悩んでいる時間を読書や練習や勉強に充てられないのか?
本当に必要なのはカウンセリングではないのか?