別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240220雑感

口座の残高が少しばかり増えた。とはいえ来月のカード支払いで1/3ぐらいになるので全然ハッピーではない。
お金の管理が全然できない人間である。もし本気で貯金なりしようとしたら、生活水準を大幅に下げる必要がある。生活といってもそのほとんどは本とお菓子代とサブスクといった余剰の部分なので、そいつらを減らせばもうちょっとマシになるだろう。そもそもちゃんと積読と向き合いさえすれば、三年ぐらいは新しい本なんて買わずに済むじゃあないか。

できればお金のことなんて考えずに生きていたい。お金持ちになりたいんじゃなくって、一番お金について考えなくていい程度の生活がしたい(お金持ちは税金対策とかで大変そう)。でもいずれ老いとか家族の死とか災害とか様々な不条理とかで考えなくちゃいけない時が来るのだろうなあとは思う。家を手放すのにだってお金は必要なのだ。特にうちみたいなガラクタだらけの家は……。今の自分の金銭的体力では、そういったものには到底向き合うことはできない。何せ貯金が3桁万円を超えたことが人生で一度しかないのである。最近の若者はみんな自転車操業だってニュースで自分を安心させているのだが、果たしてその枠に居座っていて大丈夫なのか。

お金のことを考えると、いつも思考が飛躍する。自分なんてお金を貰うのに何一つ相応しくない存在なのではないか。貨幣経済では絶対に生きていけない人間なのではないか。もちろんそんなの贅沢だってわかってる。お金が欲しくても対価の労働をすること自体がとても困難な人もいる。それに比べて、まだギリギリ健康な身体という資本はあるのだから。問題は精神の方が全然健康じゃないことなのだが、そういうのは無いことにされがちなのが社会である。辛い。

引き寄せの法則」なんてのもあるけれど、自分はあらゆる面において「遠ざけの法則」を実践しているようなものである。具体的にどういうことを実践しているかというと、例えば自分のスキルを見込んでなんらかの仕事を頼まれたとしても「いやいや、自分なんてぜーんぜん未熟なんで、もっと上手い人に頼んだほうがいいです」と断ったりとか、責任は大きいけど対価も大きい仕事からは逃げたりとか、そもそも働きたくない、とか。

ちょうど今日読んでいた安部公房の『壁』には、初期の短編『魔法のチョーク』が収録されている。貧乏画家のアルゴン君はある日「魔法のチョーク」を手に入れる。これで壁に絵を描いたら、描いたものが実体となって現れる、というドラえもんひみつ道具みたいなお話である。アルゴン君は食べ物とか美女とかを描きまくって、究極の贅沢を手に入れる。ただしこのチョークの効果は日光の下では消え失せてしまう。だから部屋を完全に封鎖して、チョーク一本で自分だけの新世界を創造しようというジェネシスである。
これがもし劇場版ドラえもんであれば、なんやかんやで創造した世界でのび太たちは大冒険を繰り広げ、世界の危機がやってきたけれど無事に打ち勝って去っていくという筋になりそうなところだが、そこは安部公房。チョークや壁の成分を吸収しすぎたアルゴン君はやがて……という寓話的な不条理で物語は終わる。
めちゃくちゃ即物的に解釈したら、「二次元なんて所詮幻だよ現実を見ろ」ということになりそうだが、それでもチョークを欲しいと思ってしまう自分がいる。壁だろうが透明人間だろうがなんでもいいから、とにかくこの現実的なものから遠くへ逃げたい。そう思ってしまう。(作品を読んでいるときには、主人公が無事に帰って来られることを望んでいるのだが)