服が肌にベタつく気持ち悪さ。もうすぐ降り出すであろう雨は、遅れに遅れた梅雨への入り口になるのだろうか。除湿機が欲しい。
昨日寝過ぎたせいか、あるいは夜にショコラバターサンドなんてカロリーの高いものを食べたからか、一睡どころか0.5睡もできなかったので、朝方の地震にも気付いたわけである。昨日買った突っ張り棒はまだ取り付けていない。土曜日までは大地震が来ないことを願う。

今日はお給料が入る日で、無事銀行の残高が少し増えていた。相変わらずあちこち散財しまくっているものの生活に全くお金をかけていないので、一年間のバイトでようやく7桁を通帳に刻むに至る。今年はあと車検などを乗り越える必要があるため十万単位での増えたり減ったりは見込まれるが、なんとかなる見込みが立ったらようやくパソコンを買って、再び金欠になるであろう。こういう計画性なのでお金がないんです。
今週末に「文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ」の報告会が控えているので、2週間以上放り出していた文學界を急いで読み進めている。
朝の電車は眠すぎて無理だったけれど、帰りは急いだら席が取れたので、ずっと読んでいた。
『今日があったという響き』は上半期同人雑誌優秀作。同人誌からも掲載されるんだというのが驚くだったのだが、これは応募制なのだろうか?
なんといってもそのタイトルの響きが好きなのだが、すれ違い別居中離婚寸前の夫婦の物語である。ただそういう状況だけれど重過ぎず、「人と人ってどうしてこんなに分かり合えないんだろうね」というのが、主人公(夫)と妻の弟との交流などを通して描かれている。
ところどころ男二人の距離がけっこう接近していて、そこに何か別の関係を見出しそうになってしまう瞬間もあったが、傷を抱えたもの同士のたどたどしい触れ合いということだったのだろう。
個人的には又吉さんの『生きとるわ』より関西弁が自然で読みやすく感じた。(やはり日常的に東京にいるか関西にいるかの違いだろうか?)
リレーエッセイ「身体を記す」の第五回は田中慎弥さんの『蛇を飼う』。川端や三島の作品における肉体など文学的な話も絡めつつ、自身の希死念慮について語っているところが大いに刺さった。死を意識する一方で命への執着もあって、毎日散歩をしている……という下りはものすごく身に覚えがある。散歩をすることで、「ほんの一時的にでも、この体でこの世に留まっていていいのだと思」える。生きていたいと思えるほど前向きにはなれずとも、死なないでいることができる。
だから、ここ2、3ヶ月散歩も体操もできなくなっている自分は、緩慢な自傷の中にいるのだと思う。
机の上のゴミをちょっと捨てた。これで生きるポイント0.3。掃除機を2週間ぐらいかけられておらず、床に放置した掃除機にうっすら埃が溜まっていて生きるポイント-0.8。間食をしなかったから0.2。
微妙なバランスを保ちながら日々をやり過ごしている。