別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240204雑感

比較的近くにある古道具屋さんと写真集専門の本屋さんがコラボして、ポップアップストアが開催されるという。
ということで、写真集を物色しにいくついでに、お店の近くをぶらぶら歩いてきた。

お店から歩いて2分。かなり田んぼだ。

今日は比較的暖かくてお散歩日和なのだけれど、山から吹き下ろしてくる風は強かった。まあ、小学生の頃からこの風に向かって下校してきた我々にとっては大したことはない。風に向かって両手を広げ、全てを受け入れる姿勢を示す。

ザ・土管みたいな土管があった。縦に埋まってるとめっちゃマリオが出てきそう。

田園地帯には乾いた土の匂いが漂っている。ちょうど眠っていた田んぼを掘り起こして耕す時期なのだ。この匂いがしてくると、もう春も近いな感じられる。
空には風に吹かれながらアオサギが飛んでいる。

田舎あるある、コンテナ倉庫。しかしこれはなかなか作り込まれていて、もはや建築と言えそうだ。
反対側から。下の土台もピッタリだし、倉庫にもなっている。作った人、マイクラとか上手そう。

冬の野はこざっぱりしていて寂しい感じもするけれど、これが夏になると草ぼーぼーで虫も多いので、あちこち歩き回るにはこれぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 再び集落の方に歩いていくと、道路沿いに気になる一本の木が。近づいてみると、小さなお堂が建てられていた。

祠の中には津島神社のお札が納められていた。左の小さな祠もかなり年季が入っていそう。土着って感じだ。
お堂のお地蔵さん。土着レベルでは神様も仏様も同じように祀られている。

そして、2枚目の祠の後ろには気になるものが見えているじゃないか。これも田舎あるあるのバスタブin the 畑である。隅っこにちょこんと乗せられたみかんが可愛かった。

こういうのを撮るために散歩している。

集落を抜けて坂を上がっていくと、団地の中に入っていった。団地は風を防いでくれるので、ぽかぽかした暖かさだけを十分に享受できるのが嬉しい。

等間隔パンジー。なんかもうちょっといい植え方がないものだろうか。
ひっつき虫ことコセンダングサにくっついた山茶花の花びら。遠足の時、帰ってからがとても大変だった思ひ出。
老人ホームの庭に咲いた紅白の梅。メジロがチュピチュピ飛び回っていた。春を感じる光景だ。

しばらく団地を歩いていると、なんだか見覚えのある道に出た。そういえばここ、遠足で歩いたことがあるわ。
小学生の頃には永遠に遠く感じられた距離が、今歩くとすごく短く感じられる。面白いけれどちょっと切ないような気分だ。皆さんもぜひ通学路とかを歩いて実感してほしい。
そこからしばらくのところに、かつて遠足でも訪れた古墳があったので、登った。

下から見ると背中とお尻みたい。
頂上から下々の街を見下ろす。かつての豪族たちもこの光景を見たのだろうか。あるいは、見ることなく葬られてしまったのだろうか。

古墳の上は当然風がビュービュー吹いていてとても寒かった。片隅にあったちょうどいいくぼみにすっぽりおさまるように座り込んでみた。

ちょうどいいくぼみ

古墳全体は綺麗に草が刈り取られていて、地元の人が手入れしているのかなと思ったけれど、さすがに文化財なのだから市が管理しているのだろう。若草山みたいに山焼きできないから大変だろうなぁ。

ここまで一緒に来てくれた純水ぶどうくんにも感謝を。いいよって言ってくれた。純粋だね。

桜の咲く時期になったらきっと文庫本を持ってここにこようと心に決めて、名残惜しい古墳を後にした。


Googleマップを見ながら歩いていると、「音楽スタジオ」と書かれたマークを発見したので行ってみた。たぶん、ここだろうなあという建物があった。
こんな場所にという驚きは感じるのだが、農業を中心とした副業みたいなことを小商い的にされている方が多い土地なのかもしれない。いろいろな意外さが集まっていけば面白い地域になりそうだなあと思う。

近くに何もないのでスタジオとしてはいい立地なのかもしれないが、レコーディングに来る人たちは缶詰だろうなあと思った。音楽だけに集中する空間だ。

またまた気になる一本の木が、と思ったらその手前にある迷路みたいなゾーンもめっちゃ気になる。

槙っぽい木が密集して植えられている。農園? 実でも収穫するのだろうか
おいしそうなレモンも発見。レモンって綺麗に育てるの結構難しそうなので、すごい。

団地のある坂の上から下ってきて、ようやくスタート地点のお店に辿り着いたのは80分後だった。疲れた体を労わりながら、ゆっくり写真集を手にとてみる。
午後の光が差し込む古道具屋と、さまざまな写真家たちが切り取ってきたあらゆる時代・場所の光景が、不思議と繋がっているような気持ちになった。



本日の歩数は、トータル9千歩。最近全く歩いていなかったので、明日は筋肉痛かもしれない。
しかしこれで多いと思っていたらいけない。以前は毎朝のように散歩を続けていたのだ。
人には何のために足がある? 
ドロップキックを蹴り落とすため? 否。
We Will Rock Youるため? 否。
そう、歩くためである。人類が今まで歩いてきたトータルの距離を合算したらどれほどの距離になるだろうか。そんな途方もないことを思う。
せっかく健康に歩ける足を持っているのだったら、歩かないなんて足への冒涜なのではないか。それがここ最近の朝はどうだ。寒いから、仕事前に疲れるのが嫌だからなんつってギリギリまで寝ているこの体たらく。
今日歩いて思ったけれど、やっぱり歩くと足もスッキリする。歩いた直後はちょっと張っているが、温泉に入ってもみほぐしていると、足中に気持ちの良い波が行き渡って心身が回復していくような気がする。
やっぱり、歩けるならば歩かなきゃいけない。それが私たちの運命なのである。


とまあ」そんな決心も、温泉に浸かっているうちに湯船の中に溶け出してどこかへ行ってしまったみたいだ。