別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

240313雑感

午前中はずっと死んでいて、もう動きたくなさすぎて、お布団にくるまってグダっとしていたのだけれど、いかんせん昨日「明日は出かける」と書いてしまったので、重い腰を上げて昼下がりの電車に乗った。宣言するって大事だなと思った。

いつもは乗ることのない、この時間帯のこの方面の電車。車内にはおそらく終業式を終えた小学生たちが、でっかい作品袋を持ってわいわいしていた。農村で生まれて農村の小学校に通った自分としては、小学生の頃から電車に揺られて通学するというのがどういう感じなのか、全く想像できない。中学で塾に通うまで、一人で電車に乗ったこともなかった気がする。

今回の小さな旅では、特に降りる駅を決めないでどこかへ行きたかった。とはいえ最初に乗ったのが急行だったため、定期圏内で止まる駅は結構限られてくる。二駅乗って、そこから各停で一駅戻ってみようかと考えたが、20分ほど待たなくてはならなかったので、一駅進んだ駅で降りた。海の匂いがした。

私大の最寄り駅なので若い人がちらほら見受けられたものの、駅自体は小さくて、周辺にもコンビニぐらいしかなさそうな感じだった。とりあえず東に行けば海だろうと思って、適当にぶらっと歩き出す。
とりあえず東に行けば、海にはたどり着くだろう。

田舎の畑フルセット。愛おしすぎる。

海の近くには、町工場が点々と並んでいた。積み上がったパレット、ビールケースの上にある郵便受け。
地元の方でもそうだけれど、海辺の家はどことなく個性的で面白い。

堤防道路を上ると、青く海が広がっていた。

小綺麗に整備された海岸。
浜は大きめの砂利だった。

散歩する老夫婦、バイクを撮影する若い男女、風に吹かれながら記念写真を撮っている高校生ぐらいの子ら。平日日中の海岸はとても静かで穏やかだった。郵便配達の人が散歩のおじさんと話している。配達員になるなら、海辺の街を回りたいなと思った。

東屋に座って、風に揺れる松の木を眺めている。自然の景色は、基本的にはほとんど変化をしない。もちろん、災害などで急激に変化することもあるだろうが、今日のこの時間には特に目立つ変化は訪れなかった。
それに比べると、我々の社会や情報はどれだけ早く変化しているだろう。そういう変化に慣れすぎていて、変わり映えない海岸を眺めているとそわそわしてくる。情報に毒されすぎている。
一体いつから自分は海を20分も眺めていられなくなってしまったのだろう。


それがなんだか悔しくて、歩いた。ずんずん歩いた。このまま一駅分歩こうと思った。

住宅街の間を貫く道路の脇を歩く。いちごと卵の直売は魅力的だったけれど、生物を持ち帰る余裕はない。またいつか。
しばらく歩いていくと、突き当たりに御堂があった。
夏にはここでお祭りなんかをやっているのかな。


歩きながら喫茶店にでも入って本を読みたいと思っていたのだけれど、全然見当たらなかった。なんとなく地図を開いたら負けのような気がしていて、駅前についたところでマップを見たらすでに通り過ぎてしまっていた。
というかそもそも、こんな昼下がりに、地元のお母さんたちが井戸端会議をしているようなカフェに入る勇気なんて持ち合わせていなかった。ためらいなくカフェとかへ行ける側の人間になりたかった。

結局、海を見て4キロちょっと歩いて小さな旅は終わった。
目的だった精神的な回復はできたのかな、どうか、よくわからない。何ヶ月かぶりに1万歩を達成したので、ちょっとだけ健康にはなったかもしれない。(一度に歩きすぎは逆効果だという説もあるけれど)


夜、違国日記を7巻までぶっ通しで読んだ。恋愛とか少女漫画とかBL的なジャンルの絵柄に慣れていないため、最初はちょっと入りにくいところもあったけれど、文学性が高くて現代的な漫画だなーと思った。
普段めったに漫画を読まないのは、イメージに疲れてしまうからかもしれない。というか読むときは一気にぐわっと読んでしまうタイプなので、細部が記憶に残らなくって、ストーリーだけ拾うみたいなことになってしまう。それが疲れるんだな。だから日常系みたいなストーリーもふわっとしてて一話完結みたいな方が読みやすいんだけれど、最近はちょくちょく小説も読むようになってきたからか、違国日記は楽しめる漫画だった。いや、楽しいというのともちょっと違うかもしれないけど。
自分はまだまだ子どもみたいな考え方なので、どちらかというと朝のほうに感情移入して読んでしまうけれど、さすがにもう「親のせいでこんなんなった」みたいなところでぐるぐるしているわけにもいかない。読みながら「で、あなたはどう生きるんですか?」と問われているような感じがした。