別に書くほどじゃないけど…

ツイート以上、フリペ未満の雑文帖

そういうことに救われたいと思った。

なんかそれっぽいタイトルを付けて書き始めてみたけれど、別に書籍化目指して雰囲気出してきてるとかじゃなく、いつも通りの雑感です。

いよいよ世間は大学入試共通一次試験。駅とかで赤シート片手に必死に問題を眺めている学生をぼんやり眺めつつ、世の高校生たちは頑張っててすごいなあと思う。私は頑張れなかった方の人間だからだ。
思い出したくもない(思い出すのだが)十数年前の当時、私は全く受験勉強をしなかったし、センターもまともに受けなかった。全てが投げやりで、「どうせ死ぬのに、なんでみんなこんなに頑張ってるの……?」みたいなことをずっと考えていた。とどのつまり、鬱だった。
背伸びして入った進学校で、春休みに出された大量の宿題をやっていかなかったあたりから、全ての歯車が狂い始めた。中学まではなんとなく頑張っていたのだが、高校に入ったことで、自分の持てる全てを使い果たしてしまったような気がした。燃え尽きていた。「親の期待に応える」なんてモチベーションは、せいぜい15年ぐらいしか続かなかったわけだ。結局そのまま三年間を自堕落に過ごして、受験という分かれ目で人生を棒に振った。

正直なところ、今の自分が当時に戻ったとしても、別の選択をするとは思えない。つまづいてしまった後の自分は、恐ろしく何も変わっていないように思える。
最近ようやく一つ変わってきたと思えるのは、「自分なんて死んだ方がいい」と呟いた後に「……とまでは言わんけど」を付け加えられるようになったことぐらいだ。それでも大きな進歩かもしれない。価値観が変わったというわけではないが、発する言葉を変えるのはある程度の効果があるのかもしれない。
そもそも自分の場合「死にたい」と呟きつつも、本当に命を断ちたいと思っていることはそれほどない。心につっかえた様々なモヤモヤの出口が見つからないとき、かろうじて出てくる言葉が「死にたい」なのだと思う。だから別にその4文字である必然性はないのだ。母音「iiai」の繋がりで「言いたい」とか「知りたい」でもいいかもしれない。アホみたいだけれど、意外とそういう言葉遊び的なものが有効かもしれないとも思うのだ。(そして偶然「生きたい」もまたiiaiなのである。「死にたい」の代わりに「生きたい」と言うことだって、できるかもしれない)

仕事終わり、職場から外に出たら雪が舞っていた。太平洋沿岸地方都市につき滅多に降らないので、ちょっとテンションが上がる。何もなくて寒いよりは、雪が降ってて寒いほうが好きだ。
いつもは職場から電車直行なのだが、今日は駅のコンビニでホットレモンを買ってしまった。たかだか150円程度のことなのだが、手の中に感じるのはそんな値段以上の温もりであるような気がした。

到着駅の駐輪場では、自転車がみんな薙ぎ倒されていた。これからこの風に向かって帰ると思うと身震いがする(通勤路はほぼ東西であり、帰りは西風直撃)。
原付に乗ると、真正面から吹き込んでくる雪がまるで漫画の集中線。視界は強制的に真正面に固定される。私はこれを冬のスターウォーズと呼んでいる(ちなみに、夏のスターウォーズは羽虫である)。手袋をしていても指が痛い。マスクがどんどん濡れてゆく。でも、楽しい。

こういうことで、救われていけばいいなあと思う。