10月1日から始まっている読書日記、2週目です。忙しいなりに4冊ぐらい読んだ。

10/8
仕事で一日中移動なりしていたので日中は読めず。なので帰りにブックオフに寄って二千円ぐらい買い、積読をさらに増加させる。(一箱古本市用にダブりで買った本もあり)
帰宅したら22時ぐらいで、もろもろ済ませて23時。眠いので宇佐美りん『かか』に収録の短編『三十一日』を読む。犬のお墓参りの話で、書かれているのはとても短い時間なのだけれど、情景描写が丁寧で濃密。
ちなみに『かか』は昨日の日記を書いた後に読み終わった。主人公・うーちゃんの語りで書かれていて、その方言や独特の言葉遣いが出来事をより「物語」らしくしている。
途中伊勢中川から松阪の電車の場面が急に出てきて驚いた。めちゃくちゃ寂れた描写されてるけど、まあ、そうなるか。神は死んだ。
『かか』だと夕子ちゃんの火葬の場面とか、さっきの電車とか。『三十一日』は湖を泳ぐ犬や街中の銀色のものたち。そういう「言葉にしにくい感情を風景に託す」みたいなのがめちゃくちゃ上手い作家だと思う。宇佐美さんの新作が読みたい。(でも宇佐美さんの場合、新作ほど抉られが鋭くなっているので、怖くもある)
10/9
設定しているアラームが鳴らないので、思った時間に全然起きられない。起きたらもう10時とかで、そこから一日の予定を組み立てるのはとても億劫だ。
40分かけて山の向こうのブックオフに行った。たまにいくといい本があったりする店舗で、今日も色々見つけてきた。最寄りの店舗に比べて在庫数は少ないものの、小説が充実している。
ニネンノハコの貸本棚に置いていた本を整理した。湿気がすごいので定期的に出し入れしてやらないと傷んでしまう。それにびっしりすぎても誰も読んでくれないので、究極的には2、3冊並べておくのが一番目を引くかもしれない。
そのままハコで本を開いたものの、全然入ってこない。文字が滑っていく。「読めない日」というのは間違いなくあって、今日はそういう感じだ。昨日今日の移動の疲れもあるかもしれない。本が読めないでいると、読むことで覆い隠していた寂しさが襲ってきて辛い。わーーー!って叫びたくなる。貧乏ゆすりが止まらなくなる。
仕方ないので読もうとしていたものとは別に、辻村深月の短編集『噛み合わない会話と、ある過去について』を読む。どの話も大筋が共通していて、「過去に何気ない振る舞いで傷つけてしまった人物からめちゃくちゃ詰められる」という悪夢に見そうな展開だった。
誰だって自分は間違っていないと信じたいけれど、「もしかしたら些細なことで人を傷つけてしまったかもしれない」という後ろめたさも抱えているもの。主人公たちは皆そういう気持ちがあるからこそ、詰められても反論できず言い込められてしまう。そこに共感してしまうから、読む方もめっちゃ胃がキリキリする。「後ろめたさ」のレベルが絶妙にリアルなのだよ。完全に悪いとは言いにくかったり、めっちゃ昔のことだったりして。
東畑先生の解説だけがちょっとした救いだった。
10/10
仕事が忙しい日は、休憩をうまく取れなかったりする。勤務規定で休憩一時間というのがあるけれど、実際は20分ぐらいで済ませてしまうことも多い。打刻は一時間きっかりで押しているので40分分ぐらい無賃労働をしていることになるのだが、フルで休憩してお客さんを待たせてしまうのが申し訳ない。
まあその分、暇なときは勤務中に本を読んだりしているので、適度にバランスは取れているのかもしれない。
今日は座る暇もなく動いていたので、本が読めたのは通勤中と帰宅後だった。読み始めているのは永井玲衣『世界の適切な保存』。群像で6月ぐらいまで連載していたので、「文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ」ともちょっと被っている。
永井さんといえば前作の『水中の哲学者たち』がとても良かった(細かい部分はあまり覚えていないのだが…)という記憶があるが、今作は哲学対話だけではなく、日常の様々な場面でのやり取りを起点に思考を膨らませた内容。前作よりもさらに詩的になっており、短歌がたくさん引用されているので、ちょっとした短歌ガイドとも言えなくはない。
ただ、最近の自分はどうにも詩歌が読めない時期に差し掛かっており、目が滑ってしまう。なんというか、味わえてない。困った。
ノーベル文学賞はハン・ガンが受賞。やはり韓国文学。時代の要請が大きいんじゃないか。なんて言っといて、全然読んだことがないので、さっそく『別れを告げない』を予約しておく。いつも通りのミーハーぶり。
ともあれ、この一年は韓国含め色々な世界文学に挑戦していきたい。
外文を全然読んでこなかったのって、値段の面も大きい。白水社エクス・リブリスも講談社クレストブックスも新刊で買うのはちょっと躊躇ってしまう。でも最近は河出とか、文庫でも外文は充実してきているし、手に取りやすいところからやっていくしかないな。(東京の古本屋にはエクスリブリスもクレストもいっぱい並んでいて、そこはやっぱり文化格差を感じちゃうよなあ)
10/11
文章が上手いなあ、幸田文。
読み始めて三行ぐらいで分かるうまさ。ノリとか勢いで読ませるんじゃなくて、しっかり全ての文が研ぎ澄まされていて、ぐっと引き込む。やはりこういうものは、エッセイというより随筆だと思う。
『木』の初めに収録されている「えぞ松の更新」は、高校の教科書に使われていたので思い入れがある。でも今読み返すとこんな内容だったかと新鮮な驚きもある。「倒木更新」という言葉が印象的だから記憶に残ったのだと思っていたが、森の中の輪廻に命の力強さと残酷さを見る視線こそがこの随筆の醍醐味で、当時も心を揺さぶられていたのかもしれない。
帰りに図書館に寄って、昨日早速予約した『別れを告げない』を借りてきた。図書館の横の広場では祭の前夜祭がやっていて、歌謡グループのパロディみたいなグループがステージで揺れていた。出店コーナーは中高生と思しきカップルやグループでぎゅうぎゅうで、こういうところにくると強烈な場違いを感じてしまうが、耐えて津餃子を買った。
10/12
吸い込んだ空気が肺の中でひんやりする。頬に触れる雪が溶けてポタポタと垂れ落ちる。そんな冬の感覚が次々と思い起こされてくる。
『別れを告げない』の舞台は冬の済州島だが、読んでいてこんなにも景色が見える小説はなかなかない。リアルに映像が思い浮かべられるのは、みかんが採れる気候で、でも冬にはけっこう雪が降るという描写が、自分自身が愛媛の農園でバイトしていた時の記憶とリンクするからだろうか。もちろんそれを抜きにしても、景色を描写する文章力がすごい。
帰宅後もちまちま読んで、読み終えたら深夜一時だった。小説あるある。
終盤の方で、あの謎は答えが出されないんだろうなあと思ったけれど、やはりぼかして余韻をもたせた終わり方だった。次々と資料が出てきてインソンの母の秘密が明かされていく場面はやや異質だったように思う(たぶん、小説の時間が止まったように感じたので)けれど、あくまで事実としての歴史の上に立っていることを強調するために、執拗なまでに資料を載せているのだろう。
帯に書かれている「再生に向かう愛の物語」という文言について考える。確かに冒頭から不吉な夢が出てきたり、インソンの怪我、キョンハの希死念慮、雪の嵐、鳥の死骸といった様々な「死」のイメージが小説前半には張り巡らされている。(雪の涸れ川に転落し、スマホを無くしたところが個人的には強烈な死のイメージで、そこからずっと抜け出せなくなってしまった)
生きているのか死んでいるのか分からない存在としてのインソンや鳥たちが現れる工房、時折挟まれる過去の描写はまるで天国のような静けさで、小説の中間部は再生というより完全に死後の世界だ。
しかし、そこから徐々に明かされてゆくインソンの母の過去や、歴史の痛みを通ることで、最後に「世界でいちばん小さな鳥」のような炎が起きるのだ。なぜ、歴史と向き合うことが再生につながるのか。それは彼女たちが、確かな繋がりのようなものを見出したからではないだろうか。
この作品を一言で表すとすれば、供養ということになるかもしれない。
解説までは眠たくて読めなかったので、明日読もう。
10/13
朝、いつもと同じ時間に、いつもと逆の電車に乗る。それだけで何か特別な感じがして楽しい。電車の中では『東海林さだおアンソロジー 人間は哀れである』を読む。こういうサクッと読めるものは良い。
あっという間に伊勢市駅。気分的に毎日通っている四日市の方が近く感じるが、実際伊勢の方が近いというのが不思議。十年前は通ってたのにね。
まだ10時前だったので、外宮さんにお参り。もう人が多い。多賀宮の石段なんてすごい行列になってる。やっぱ神宮は早朝に来ないと「観光地」になっちゃってだめだ。境内に生えているすっくとした木々を見上げて、幸田文のエッセイを思い返すなどした。
10時ちょうどに散策舎に入店。まずは店内をぐるっと見回す。ブルーシープから出ているスヌーピーの『ホリデー HOLIDAY』が手のひらサイズで、めっちゃ可愛かった。モノとしていい本は良いなあ。
今日マチ子さんの秋らしいクリアファイルと一緒に、予約注文していた『ライブラリー・オブ・ザ・イヤー選考委員長の日記 2022』とその製作日記を買う。納戸色の表紙に茶金でタイトル箔押し。シンプルながら存在感のある装丁がお店の雰囲気とすごくマッチしている。河崎でもよろしくお願いします、とご挨拶してお店を出る。駅方面に戻っていると車両規制があってなんだろうと思ったら祭りだった。市駅前の37号線に出店がずら〜っと並んでいる。どこもかしこもこの連休は祭りなのだ。
いったん祭りはスルーして、河崎まで歩く。一箱古本市会場は今日も快晴。暑い。当日の日除対策必須ということを確認し、古本屋ぽらんへ。お店に入ると出迎えてくれたのは現店主さんで、名古屋の催事期間中だからかお顔がかなり疲れているように見えた。11月に控えたイベントの調整なども色々あるようで、古本屋って大変だな〜と思った(他人事)。
再び駅まで歩いて戻り、電車まで時間があるので少しだけ伊勢まつりを覗く。からあげ、お面、からあげ、アイス、からあげ、からあげ……。多いなからあげ。大分からあげ。からあげすぎて何も分からなくなってしまったので、また駅まで戻って電車に乗った。買った日記をさっそく読み始める。
13時前に津に戻ってきてまた歩いて、今度は津まつりの中に入っていく。こちらはよさこいパレードをメインとしたイベントなので、あちこちで低音がドゥンドゥン響いていて賑やかだ。郷土芸能のしゃご馬(ナマハゲの馬版みたいなやつ)とか唐人踊りとかをざっくり見ながら、ニネンノハコへ辿り着いた。大門のあたりもいつも以上の混雑。普段からこの半分でも人がいればアーケードも無くならずに、一箱古本市もできたろうに……。
ハコでは日記の続きを読んで、そのまま読了。最近姿勢を保つのが辛くなっていて、何度も椅子を変えたり背中にペットボトルを挟んだりと苦戦した。
日記の内容はタイトル通り、「ライブラリー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員長として駆け抜けた一年間の記録だった。……ちょっとマニアックではないか? と思わなくもないのだが、一応岡野先生のことを存じている(そんなに関わりはないが)のと、河崎一箱の話題が出ていたので、「へ〜、そういう調整とかをしながら開催まで漕ぎ着けているんだなあ」という苦労が知れたところが面白かった。それにしても大学教授ってこんなに忙しいのか。
個人的には一緒に買った『ライブラリー・オブ・ザ・イヤー選考委員長の日記の製作日記』の方を面白く読んだ。というのもこの日記本、著者自身がInDesignでDTP・デザインしているという。初めて作ってこのクオリティになってるの、凄すぎん? フォントとか余白の細かい調整など、ZINEを作る側としてめっちゃ分かる話が多くて参考になった。みんな色々試行錯誤して作ってるんだなあ、と。どこまでやっても誤字が漏れてるの、わかりすぎる。
寝る前に『別れを告げない』の訳・齋藤真理子さんの解説を読む。四・三事件がなぜ長年タブーとされてきたのか。そして現在でもまだ真っ白なままの済州島の石碑。
日本が朝鮮半島を占領しなければ、南北の分断も、その結果としての虐殺も起きなかったのだろうか。分からないけれど、何も知らずに無関係なままではいられないと思う。だからこそ、文学を読む。
「哀悼は単に忘却に抗うためでなく、今を生きて未来を作るためにある」という考え方が、韓国小説には通底しているという。過去を見ることを恐れずに、未来のために過去を振り返れるようになる。個人的な部分においても、社会との向き合い方に関しても、そういう勇気を持てたらいいなあ。
10/14
朝の電車では東海林さだおアンソロジーの続きを読む。
ちょっと今の時代にそぐわないなあ、というところもあったり。電車で化粧している女性を背負い投げしたい……とかはもうユーモア・冗談では済まないよな。それがおもしろとして受け取られていた時代。といっても2011年に書かれている文章なのだが。だめじゃん。
そもそもこのアンソロジーだって2021年に出ているわけなのであって、もうちょっと配慮できなかったのかなあと思う。
帰りの電車では『世界の適切な保存』の続きを読む。世の中には「余計な心配」をしてしまう人がいて、例えば電車に入ってきてしまった蝿が元の場所に戻れるのかを心配したり……とか。やっぱり着眼点が面白い。着眼点が面白い人を見つけて言語化できてるのが面白い。
町田康の『きれぎれ』が引用されている箇所があって、最近積読に加わったことを思い出した。




